慶長3年(1598)3月15日は秀吉が醍醐寺三宝院で花見の宴を催した日。北政所や淀殿など身内や諸大名の女房衆1300人を参加させた。朝鮮での戦線膠着や秀頼の将来不安への憂さ晴らしか。11年前の北野大茶会と異なり厳重な警固で民衆と隔絶したもの。この対比が最晩年の秀吉を表していそう。
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