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№7 これまでの順子さん ~信頼~

僕の妻の順子さんは、「多系統萎縮症(MSA)」という原因不明の難病に罹患しています。

たぶん発症から5年、ただしく診断から4年がすぎました。

多系統萎縮症には、大きく3つの症状があります。

ひとつめは、脊椎小脳が壊れていくために生じる運動失調です。歩けなくなり、ろれつが回らないしゃべり方で、食事も自分ひとりではできません。夜間にイビキをかくのは、咽喉の失調で、呼吸障害があって、酸素吸入器を使っています。

ふたつめは、自律神経失調です。失禁や体温調整の不調があります。夏でも「寒い」とダダをこね、冬は冬で、寒さを感じないのか、車椅子への移乗に不便なのか、靴下を脱ぎ捨てます。起立性低血圧といって、立ち上がったときに頭まで血液が回らず、目の前に砂が走って、ホワイトアウトして、ときに倒れます。

最後のひとつが、パーキンソニズムです。パーキンソン病という病名は多くの人が知っているとおもいます。マイケル・j・フォックスやモハメド・アリ、日本では永六輔や岡本太郎など、多くの著名人も罹患しています。でも、どんな病気かはよくわかりません。よくわからないから難病なのですが、症状は僕にもわかります。手足がふるえたり、こわばって動かなくなったり、全身がひきつったりと、とても難儀で厄介な身体に、どんどん変わっていく病気です。パーキンソニズムとは、このような難儀で厄介な身体になるということです。

どれもこれも難儀で厄介な症状なのですが、診断当時の順子さんには運動失調と自律神経失調はありましたが、パーキンソニズムの症状はありませんでした。

診断から4年、今順子さんの頭や手足はいつも小刻みに震えます。牛の頭を指で押すと、ゆらゆらと頭の揺れる「赤べこ」という会津のおみやげがあります。「赤べこ」が頭は縦に揺れるけど、順子さんは終始、横方向に小刻みに揺れています。指で押さなくても、自分の意思とは無関係に。

想像してみてください。

人のもつセンサーがどんなに優れていても、手振れ防止の補正機能をもつ、カメラ以上の性能が脳にあったとしても、頭がゆれるということは、視線がゆれるということで、そんな状態でテレビを見て、本を呼んでいるのが、今の順子さんです。

本を読むといっても、手がふるえて本を持てないし、介護ベットにいる時間も増えたので、iPadを専用スタンドでベットに固定して、震える人差し指でフリックしながらの読書です。しかし、それも、オーディオブックに変わるのも近いかもしれません。

順子さんはいつも、「疲れる」といいます。何もしなくても、ちょっと動いても、疲れる病気が「多系統萎縮症(MSA)」という病なのです。

ただ慰めは、この病気は痛みを伴うことがほぼないことです。ただ、運動失調による転倒などの怪我や骨折、合併症による肺炎などの疾患、口蓋の異常閉塞。注意しなければ「痛いおもい」「苦しいおもい」はそこいらに転がっています。それどころか急死するリスクを抱えています。

今も明るく元気な順子さんですが、つかまり立ちから尻もちをついて、恥骨を骨折したことがありました。肩がこるのは日常的。車椅子を転がす指を擦りむいた。ベットから車椅子への移乗時に膝から落ちて打ち身。と、痛いおもいを繰り返しています。

まるで、目の離せない幼児のように心配ですが、四六時中育児に集中する子育てママのようには、僕はできません。仕事で家をあける日もあります。そんな日は介護ヘルパーさんにお願いして、訪問してもらいます。小さな監視カメラをベットサイドにおいて、順子さんの様子は外からいつでも見ることができます。なにより、脊椎小脳が壊れても、ものを考えることができるわけで、何かあれば、そのときは自分で判断して行動してくれると、僕は信じています。順子さんも自分自身のことは、精一杯に自分でやると決めて、他人の何倍もの時間をかけて着替え、トイレにいき、薬を管理し、サブスクで映画鑑賞や読書をして、リハビリに精を出し、病魔と戦いながら日々を送っています。

そして、困ったことがあれば、順子さんは非常ベルを鳴らし、「マグマ大使〜(№4)」と呼びます。僕が助けに来ると信じて



夕日の順子さん(イメージ画)

順子さんの医師

2020年4月、確定診断をした担当医は病院を去り、新しい医師に担当が変わりました。

地方都市の総合病院にはよくあることで、いくつかの大学病院の系列からなる組織のヒエラルキーや、専門医研修のプログラムがあって、医師にはマグロのように回遊するシステムがあるようで、2、3年で若い医師が入れ替わります。

患者やその家族にとっては、迷惑なシステムで、医師との関係が生まれてきて、ちょっとは慣れたなと思ったら、担当医が変わる。もちろん、カルテがあって、今までのことはおおよそわかるのだろうけど、「多系統萎縮症(MSA)」という指定難病に罹患している順子さんにとっては、日々病状が進行していくことを、ともに感じて、そのときに応じた治療や相談を、親身に考えてくれる医師を望むわけで、なにより、医師には安心と信頼をもちたいのですが、それが叶わないことに、もどかしさを感じます。

順子さんのあたらしい担当医はM先生といいました。28歳のかわいらしい女医さんでした。当時、順子さんと僕は、親しみを込めて彼女をMちゃんと呼んでいました。もちろん、診察のときは「先生」とお呼びしますが、僕たち二人の会話のなかでは、いつも、Mのイニシャルの美しいお名前を、ちゃん付けで呼んでいたことを思い出します。

順子さんへの問診がはじまりました。パソコンの電子カルテを見ることなく、目をそらさずに順子さんと僕を交互に見つめ、これまでの出来事や病状に耳を傾けます。いままで何度も繰り返してきた指鼻指試験、打鍵検査、ベットに横たわっての足の具合、歩行動作や片足立ち、狭い診察室での時間は過ぎます。

なにがそう思わせたのでしょう。そのかわいらしい容姿も影響していたかもしてません。真剣な表情で僕たちの話を理解しようとしている。言葉を選びながら話している。と、その趣きを感じ取ったからでしょうか。順子さんと僕は、はじめての診察のときからM先生が好きになりました。

優秀な娘を授かって成長して、今その娘が順子さんの主治医をしてくれている。そんな妄想が浮かび、安心や愛情や感謝に、そして信頼に近しい気持ちになったのかもしれません。

信頼というのは、慎重に紡いでいくものです。まして、患者の医師への信頼はとっても複雑だとおもいます。

大前提として、難病である「多系統萎縮症(MSA)」をよく理解している専門医であってほしい。病状が悪化していく姿を共有して、できれば共感を強く感じてほしい。そして、それを継続して、そのときそのときの症状に最善で最良の対応を施してほしい。これから起こる出来事を、順子さんと僕のメンタルもよくよく考慮して教えてほしい。そして、できれば奇跡の治療法を探し出してほしい。奇跡は起こせなくても、進行を抑え、この時間が長く続く努力をともにしてほしい。なにより、この医師なら任せられると、こころからおもいたい。

医師にはあたりまえに深い傾聴力(聴く力)がそなわっていると信じたい。しかし、望むような医師にはなかなか出会えません。

ある診察のときでした。M先生の机の上に大きな分厚い書籍が乗っていました。その英語の書籍のとびらに「Multiple System Atrophy」(「多系統萎縮症」)の文字が見えました。

「あざとい」とも、いえます。

髪には寝癖が残り、眠そうにも見えるけど、真剣な表情のM先生は、順子さんと僕のはなしを聞きます。順子さんと僕の話はちゃんと届いているし、届いた出来事の意味を、医師として深く理解しようと努めているのだと、そのときは、そうおもえたのでした。

ところが、その後の話です。

M先生は数ヶ月でどこかへ消えました。この件を補うかのように常勤医が担当医になりました。翌2021年の4月には、新任の医師にまた担当医が代わったことで、総合病院のこのシステムに馴染めず転院を決めました。

脳神経内科の専門医が開業している医院であれば、担当医の変更はないと考えて、町医者を担当医としたのでした。ところが、症状が進行する順子さんの病気には、都度の検査や、骨折というアクシデントもあり、町の内科医では対応できません。ちょうど、障がい者住宅への転居もあり、現在通院している総合病院へ二度目の転院をしたのが2022年12月のことです。

2023年4月。地方総合病院の因果か、また担当医が変わるといいます。このカルマから脱出したいと、離任する医師に相談すると、順子さんの病気の専門科である脳神経内科部長が、ちょうど移動するとのことで、この新部長に担当医をお願いするのがよいだろうとのことでした。この提案を受け入れました。

確定診断から4年、順子さんを担当した医師は6人目になりました。幸いにも、現在の担当医は約1年半継続して、順子さんの担当医として診療を続けてくださっています。

信頼について考えます。
たとえ、信頼が得られても、継続した一貫性がなければ関係は続きません。
しかし、継続した一貫性がなければ、信頼は生まれません。
と、おもうのです。

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