燎旦

茶の湯と馬を愛する隠者。 教会主任牧師は辞任しました。「枕するところ」のない旅に出ます…

燎旦

茶の湯と馬を愛する隠者。 教会主任牧師は辞任しました。「枕するところ」のない旅に出ます(笑)

最近の記事

量子力学的神学メモ   肉ー霊  粒子ー波 信仰とは神との量子もつれではないか?etc.

    • 僕が僕であるために

      「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」なんて随分面倒な生き方だなと以前は思っていた。 ただ尾崎の真っ直ぐな言葉とシャウトを聞くと、胸が熱くなるような、目から熱い水が零れてしまうような、そんな気持ちになったのも事実だ。 「人を傷つける事に目を伏せるけど優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく」なんて聞くと昨今のキャンセルカルチャーが頭に過る。人に傷つけられることは許せないと言い募り、ルサンチマンを解消しようと強者に立ち向かうのも、人としてある意味では仕方ないのかもしれないけ

      • 二宮教会 主日礼拝説教メモ ロマ書12:9-12「泣く人とともに」

        12:09愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 12:10兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 12:11怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 12:12希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。12:13聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。 12:14あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 12:15喜ぶ人と

        • 聖霊降臨節第6主日使徒言行録11:4-18「神が清めたもの」説教メモ

          11:04そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。 11:05「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。 11:06その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。 11:07そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、 11:08わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物

        量子力学的神学メモ   肉ー霊  粒子ー波 信仰とは神との量子もつれではないか?etc.

        • 僕が僕であるために

        • 二宮教会 主日礼拝説教メモ ロマ書12:9-12「泣く人とともに」

        • 聖霊降臨節第6主日使徒言行録11:4-18「神が清めたもの」説教メモ

          聖霊降臨節第4主日ルカ福音書8:43-48「信仰によりて救われる」説教メモ

          8:43ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。08:44この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。08:45イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。08:46しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。0

          聖霊降臨節第4主日ルカ福音書8:43-48「信仰によりて救われる」説教メモ

          忘却と呪縛 ~教会報巻頭言として

           江戸幕府の終焉と明治維新、太平洋戦争の敗戦から現代まで連綿と日本人に引き継がれる、その精神性の正体とはなんだろうか。  日本人は批判的思考が苦手であるように見える。「○○を批判するな」「~さんに批判されて悲しい」なんていう言説からも、批判と否定を区別できていないことがよくわかる。  そもそも批判とは何であろうか。  すなわち批判とは、自らの好悪に捉われず論理的思考に基づいて事柄の評価を判断するということになろう。一般的な例として挙げた意味は上述された中での3番にあたるだ

          忘却と呪縛 ~教会報巻頭言として

          ある委員会への餞別

          委員のみなさま まず5・15デモに賛同の意思とコメントを寄せることは何らの負担にならないであろうことは知っています。だから反対するわけではないと言いました。 しかし「賛同とまでは言えない」のは、この委員会の目的は何であり、わたしたちの本旨は何であるかということを委員会を離れるにあたって問いたかったということに過ぎません。 わたしはこの何か月間かずっと「キレ」続けています。だから社会福祉委員を辞め、すべての委員会活動から身を引くところなのですが、それはどの委員会に参加して

          ある委員会への餞別

          『聖なる公同の教会』とは

           聖なる公同の教会とはいかなるものか。この言葉の中には3つの要素が含まれている。即ち、「聖なる」とは、「公同」とは、「教会」とは何かという3つの問いである。しかしながら、われわれは「聖なる」存在一般について、また「公同」の存在一般についてここで追求しようと考えるものではない。「聖なる教会」について「公同の教会」についてを追求するのである。従って、「聖なる教会」「公同の教会」という2つの要素に解答すれば良いようにも思われるが、「教会」とは何であって、何でないかという問いにも当然

          『聖なる公同の教会』とは

          武とは

          わたしがNCC(日本基督教評議会)でバイトする神学生だった頃、NCC幹事や職員の中で嫌がらせやいじめのような出来事が頻発していた。 3年生のクリスマスに躁を再発し冬休みの1ヶ月丸々入院したのだが、久しぶりにNCCに出勤してみると、デスクの上に一輪の白い薔薇が飾ってあった。 「綺麗ですね、僕は白薔薇好きなんですよ」と声をかけたら気まずそうな顔をしていたが、正直、あの年になって、しかも平和に関わる運動をしている人間が、「お葬式ごっこ」のような低レベルの行為をするとは思いもしな

          ヘブライ人への手紙9:23-28「多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた」

          新共同訳 09:23このように、天にあるものの写しは、これらのものによって清められねばならないのですが、天にあるもの自体は、これらよりもまさったいけにえによって、清められねばなりません。 09:24なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。 09:25また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献

          ヘブライ人への手紙9:23-28「多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた」

          カインとアベル

          創世記4章1節~10節04:01さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。 04:02彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。 04:03時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。 04:04アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、 04:05カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒

          カインとアベル

          墓前礼拝小説教ロマ書6:1-11

          06:01では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。 06:02決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。 06:03それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。 06:04わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光

          墓前礼拝小説教ロマ書6:1-11

          エレミヤ書20章7〜13節「主の言葉は骨の髄まで染み透り炎と燃え上がる」

          20:07主よ、あなたがわたしを惑わし わたしは惑わされて    あなたに捕らえられました。 あなたの勝ちです。 わたしは一日中、笑い者にされ 人が皆、わたしを嘲ります。 20:08わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり 「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。 主の言葉のゆえに、わたしは一日中 恥とそしりを受けねばなりません。 20:09主の名を口にすまい もうその名によって語るまい、と思っても 主の言葉は、わたしの心の中    骨の中に閉じ込められて 火のように燃

          エレミヤ書20章7〜13節「主の言葉は骨の髄まで染み透り炎と燃え上がる」

          幸せとは善く生きること

          教会報巻頭言として                            「あなたがたは、主イエス・キリストを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。(中略)人間の言い伝えに過ぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、(後略)」コロサイ2:6-  わたしが哲学を学び始めたのは中学生の終わり頃でした。「自分はこれからどう生きるべきだろうか?」なんて、漠然と将来の進路を思い描いていたわ

          幸せとは善く生きること

          コリントの信徒への手紙Ⅰ 6章12-20節 「あなたがたは代価を払って買い取られたのです」

          6:12「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。 13食物は腹のため、腹は食物のためにあるが、神はそのいずれをも滅ぼされます。体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。 14神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。 15あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知ら

          コリントの信徒への手紙Ⅰ 6章12-20節 「あなたがたは代価を払って買い取られたのです」

          コリントの信徒への手紙Ⅰ2章6-10節「隠された神の知恵」

          コリントの信徒への手紙Ⅰ2章6-10節 2:6しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。 7わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。 8この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。 9しかし、

          コリントの信徒への手紙Ⅰ2章6-10節「隠された神の知恵」