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社会が「茶室化」した2021年の変化

「対立のない世界をやさしい世界をつくる」を理念に掲げて4年。私たちは業界、産業を越える協業を数多く行ってきました。
大企業から中小、スタートアップまで。日本茶業界から、コーヒー、チョコレートなどの嗜好品の周辺産業はもちろんのこと、モビリティーや不動産、テクノロジーまで。多種多様すぎて自分でも追いきれないくらいの企業/団体の皆様と協業し、理念に向けて歩みを進めています。

最近なぜこういう事業に行き着いたのかを振り返る機会があり、気づいたことがあったのでまとめたいと思いました。今生きる人たちの感覚を言語化し、少しでも多くの方が対立をなくす、その価値観に気づいていただけたらと願いを込めて。

Z世代的感覚

私は97年生まれの24歳になりますが、世界は私たちの世代のことをZ世代と呼びます。GenZだなんだ、若いからと言って注目いただけるのは本当にありがたいことで、実績と注目の乖離をどう埋めていくのかを考えるのかが起業家の悩ましいことかと思いますが、Z世代という世代です。

私の場合は中2でスマホを持ち、まずはLINE、そのあとすぐFacebookに登録し、Instagram、Netflixとさまざまなプラットフォームを通じてオープンに世界とつながってきました。いまではAmazonを通してモノを世界中から取り寄せられる時代です。 国という概念はインターネット上には存在しないほど世界がシームレスに繋がっている感覚を覚えて生きてきました。

どの国にもマイノリティーと言われる宗教的やLGBTQなど、様々あるものの周りに存在するのはあたりまえ。昔から当たり前に外国人が近くにいて、(外国人という言い方も自分は好きではないものの概念として)、心を共にするパートナーが同性だったという友達も多数います。ハーフ、クォーターなんかは当たり前でそれくらいすべてがシームレスな中で育ってきました。

それが情報、モノ、人ともに国を問わず飛び回り、境界という境界は国を跨ぐときのVISAくらいしか感じませんでした。

茶室の中で起きていること

そんな時代の中、私は9歳の頃から茶室の中で育ちました。その中で繰り広げられていることそれは「遊戯」です。よくお茶は「ままごと」と言いますが、茶室の中では「茶をともに愉しむ」という目的のもと、亭主、客とが一定の型(=ルール)とともに、それぞれが任された役割を演じます。

役割を演じる際に、あえて境界を設けるところと設けないところがあるので、気にしながら動作を追ってみると意外と面白いです。

例えば、茶は一盌を皆で一緒にいただきます。飲み回すことで、同一のもとを喫するという一座建立という概念に昇華され、共に愉しむということが型化されています。人種、宗教、国、身分問わず私たちは茶を飲むという目的のもとで集い、その瞬間を愉しみます。この意味ではみなが人間であり、人が概念上作った境界を意識させないようになっています。

一方で、挨拶するときには、人と人との間に扇子を置き、概念上の境界を設置します。境界をあえてつくることで、自分と他者を分け、自らの立場を明確にします。客として亭主とどのように接するべきか、正客(1番客)、次客(2番客)、末客(最後に座っている客)として何の役割を演じるべきか、また亭主は客をもてなす立場としてどのように振る舞うべきかを規定し、役割をわけて茶を愉しみます。いわゆる、ロールプレイング/ままごとを行います。

お互い身分、役職関係なく、同じ人間であるということを理解した人たちが、茶室に集まり、それぞれがするべき役割を演じるのです。話を大きくするならば、地球上にいる人は皆全て人間であり、概念として国や宗教が存在しますが、それぞれは与えられた役割を全うするのみです。それ以下でもそれ以上でもありません。だからこそ、役割としての境界は存在するのです。

こんなことを、私は生涯を通して茶室の中で学んできました。全てはつながっており、人間が作った概念によってときには、肯定的にときには否定的に、境界が作られるのだということを知りました。

事業課題もシームレスに共通化

私たちTeaRoomは、大きく分けて2つの事業をおこなっています。
1つは生産の課題を解決する事業もう一つは需要を多様化する事業です。
日本の場合、高度経済成長から大量生産、大量消費のビジネスモデルを変えずに事業運営してきた企業が多く、そのモデルにぶら下がる形で運営されてきた、中間業者や下請け業者が多いです。そのサプライチェーンの最上流に農家さんがいるのですが、結局マーケットにある需要が大量生産大量消費のまま、ある種硬直化した状態であるからこそ、生産における平均単価は下がり、投資できるお金はなくなり、人は流入せず、そのまま衰退しているケースが多いです。
茶業も、林業も、なんでも同じ課題です。生産はマーケットが柔軟ではなく、硬直化しているために構造上身動きが取れない状況が続いています。

一方で、マーケットサイド。長年変わらなかったビジネスモデルを強引に変えうるムーブメントが起きました。SDG'sです。
資本市場の中に内包できなかったSDG`s的観点を意識した事業づくりを「制度」として強引に取り入れることで、短期的にも長期的にも事業モデルの変更を余儀なくされています。SDG'sのムーブメントを発端として、人、モノ、環境に対するウェルネスなど、ほとんど全ての企業が同じような課題感を持っていて、そのアプローチだけは向き合う対象によって異なっている、そんな状態が起きています。
現代は課題すらも業界問わず境界がなくなり、全てがシームレスな状態で、共通化されている世の中になってきました。

自社の協業モデルの成り立ち

TeaRoomではスタートアップとして1社で成長していくつもりは創業当初からさらさらありません。協業によって大きなインパクトを残していけると信じています。
茶室の中で「茶を愉しむ」という共通の目的のもとで、役割を演じると書きましたが、社会に環境を置き換えれば「SDG'sな未来」という共通の目標のもとで、それぞれの企業が求められる役割を演じることと言えると思っています。だからこそ、国、宗教、人種、業界、企業問わず、皆で協力して共通の目標を達成したいと思っています。

だからこそ、私たちはお茶を扱います。創業より大切にしている「対立のないやさしい世界を」社会全体に広めたい。そして茶室の概念を社会にインストールすることで、対立の間にある、その間に向き合い、時にはつなげたり、時には離したり、時には多面的にみて、斜め上からつなげてみたりして、同じ目標に向かっているのだから一緒にやろうよと当たり前のように協業をできる社会にしたい。この感覚、思想を協業を通じて、少しずつ社会に伝えていければと思っています。

業界というものは人間が作った概念上の世界

実務ベースでは、境界線の強さに気付かされたのは私たちがTHE CRAFT FARMという会社を建てたときです。静岡の工場を運営する農業法人になりますが、社名の由来はクラフトの知恵を業界なんていう概念を超えてシェアし合い、CRAFTのFARM(農家)としてもFIRM(研究機関)としても社会に対して必要とされる会社になろうという思いを込めてつけました。

原体験として、コーヒーとカカオの焙煎機をみたときに同じものを使っている人がいたことが衝撃でした。ちなみにお茶でもコーヒーの焙煎機を使っている人を見かけたことがあります。コーヒーとカカオとほうじ茶、例えば「焙煎」という技術はほぼ同じ。にもかかわらず人間が作った業界という概念によってそれぞれが独立して知見をためている。これが違和感しかないのです。例えばバリスタが培ってきた知見を使って、ほうじ茶を作ってみれば焙煎の効いたほうじ茶が作れるはずですし、お茶の熟成、発酵の概念を使って、もっと美味しいコーヒーができる可能性があるはずで、その協業が日本のものづくりには圧倒的に足りないというのを思っています。

対立をなくすこと。茶の湯の会社として出来ること。

私たちが茶の湯の会社として社会に何ができるのか。考えれば考えるほど、人間が作った境界線を少しずつ曖昧に、見えない間をつなげたり時には離したりしていくことが大切だと信じています。
1番大切なのはAとBの間に対立もなにもないということ。競合だって別に対立をしているわけではありません。もっと俯瞰してみれば業界をつくるパートナーであるはずで、その視点を社会に普及すること。これが最も大切であると思っています。

国同士の対立、宗教紛争、企業間の金の殴り合い。そんなことをしている暇があったらもっとお茶会をしよう。茶会で人と人とが真につながる感覚を覚え、それを実行していこう。そんなことを思います。

私の直近の勝手な目標は、トランプさんとバイデンさん、マークザッカーバーグやジェフベゾスが私の茶会で仲良く離している姿です。トランプさんは茶会でビール、バイデンさんは正座して茶。マークザッカーバーグは横で禅をし、ジェフベゾスは宇宙に持っていくにはどうすればよいかと点前を観察する。そんな人たちがそれぞれ意思を持って、でもお互いがお互いを肯定し、繋がっていることを理解している、そんな優しくて包含的な世界を作りたいです。

時代的といえば時代的。
茶の湯のに触れてきた私とそれを導いてくれた時代、これまでの出会いに感謝して、私は世界から対立をなくしていくため、茶を手段として邁進して参ります。

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