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「ご感想への返信2023」No.19

デンマークの動画が目がうるっとするほど心に響き、とても印象に残りました。質問が1つあります。セクシュアルマイノリティの方達の中には病院に行っても最初の問診票で躓いてしまう方もいるというお話があったと思うのですが、医療者としてはその性別特有の病気があったり身体的構造がそもそも男女で異なるため、身体的性別がどちらなのかというのは絶対に把握しておかなければならない項目です。そこで私は、性別を選択する欄のところを「性別」ではなく、「身体的性別」と言葉を変えればその方達の心のわだかまりを少しは解消することができるのかなと考えました。よろしければRYOJIさんのご意見を伺いたいです。

学生の感想から

医療者が患者の生得的な身体的性別を把握しておく必要性


 これについては、過去の記事をご参照いただけますでしょうか。他でも書いていると思いますし、今後も書くかもしれないのですが。

医療者としてはその性別特有の病気があったり身体的構造がそもそも男女で異なるため、身体的性別がどちらなのかというのは絶対に把握しておかなければならない項目です

完全に同意します。その通りですね。

 医療者は患者の出生時の「身体的」性別が女性型であったか男性型であったのか知らなくてはなりません。「身体的性別」と書くことに加えて、「自認する性別」について記入欄を設けるというアイディアも出ています。


All That We Share/People In The Boxes

 デンマークのCMはこちらですね。

他人を枠にはめることはたやすい。「私たち」「あの人たち」。
「富裕層/低所得者層」。「社会的信用がある人/関わりたくない人」。
「移住者たち/先住者たち」。「田舎から来た人/牛も見たことがない人」。「熱狂的サポーター/自己受容度が高い人」。――共通点がある「私たち」、接点すらない「あの人たち」。

私たちはいつもそのように意識の上で「私たち」「あの人たち」と分けている。そこで進行役の司会者が言う――「今日は皆さんにいくつか質問をします、当てはまる人は移動して下さい。質問には個人的なものがあります、しかしできるだけ正直にお答えいただけると嬉しいです」。    

「学校でピエロ役だった人は?」「ステップファミリーだった人は?」
人々は動き始め、見えなかった面が明らかになる。思いがけないことに、「あの人たち」だったはずの人が「私たち」になる。
「死後の世界を信じる」私たち。「U.F.O.を見たことがある」私たち。
「ダンスを愛する」私たち。「いじめられていた」私たち。「誰かをいじめたことがある」私たち。「先週セックスした、ラッキーな」私たち。「恋を失った」私たち。「熱烈に誰かを愛している」私たち。「孤独だと感じている」私たち。「バイセクシュアルである」私たち。

誰かの勇気ある行動を賞賛できる「私たち」。人生の意味を知る「私たち」。誰かの命を救うこともある「私たち」。そして私たちは皆、デンマークを愛している。――動画はそのように終わる。今や人を分ける枠など不要になったその空間で、人々は握手し、ハグし合う。私たちを結びつける要素は、想像するよりもずっと多いのかもしれないよ、というメッセージだ。         

 属性を前に私たちは臆する。「分かり合えないのではないか」と。しかし見方によっては、私たちにはいくらでも共通項があって、同じ体験、同じ感情を共有している。それを見つめた時、人はこだわりなく向かい合うのかもしれないのだ。そんな出会い直しは、美しい。


 なんか、You Tube がこんなのも勧めて来た。こういうの好きだって思われてるみたいですね。勝手に決めつけやがって。まあ、観ちゃうんだけど。



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