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ぼくもいくさに征くのだけれど


「ぼくもいくさに征くのだけれど」竹内浩三

街はいくさがたりであふれ
どこへいっても征くはなし 勝ったはなし
三ヶ月もたてばぼくも征くのだけれど
だけど こうしてぼんやりしている

ぼくがいくさに征ったなら
一体ぼくはなにするだろう てがらたてるかな

だれもかれもおとこならみんな征く
ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど

なんにもできず
蝶をとったり 子供とあそんだり
うっかりしていて戦死するかしら

そんなまぬけなぼくなので
どうか人なみにいくさができますよう
成田山に願かけた

青空文庫

 特攻という目前に死が迫った状況で書かれた遺書なら「きけわだつみのこえ」がある。戦場小説なら「野火」、「兵隊画集」は手に入れるのに苦労したけど、兵隊たちの生活を知るのに役立った。戦場から戻った人たちが失って取り戻せないものを描いた小説なら「本当の戦争の話をしよう」を読んでもいいし、漫画であれば「あれよ星屑」がある。私はそういう本を読んできた。もっともっと沢山あったな。あれこれ読んで来た。

 でも「出征の前に若者がどんな気持ちでいたのか」知りたければ、こんな一篇の詩もあったのだ。

 大儀を言われて無視できる人などいない。戦時下ではそうだ。内心どう考えていても、徴兵を断れる人などいない。「あなたは祖国のために戦えますか?」なんて問い自体が無意味だ。意思なんて関係なく行かなきゃならなくなるのが戦争だ。それを知った上で、愛国の物語にしている。問いに国民が応えたのだと、後で教科書に書くために。

 この問いについて考える時、また意見をもつ時、国民は戦争がまるで自分の意思や選択であるかのように思考を始めている。さすが、老獪だ。


 パートナーに「若い人たちが行くべきじゃないから上限なしの50歳以上徴兵制にすべきだと思うんですよね」と言うと、それだけで「そうだな。一緒に行くよ」と答えた。それなりに夢もみた。恋もした。可能性も限界も「知った」と言える程度には必死に生きた。たくさん笑った。人生半分だとしてもまあまあだ。若い人たちを戦地に行かせてどうなる? 年寄りが残っても国は終わる。私には若い人を死にに行かせて生きる神経はない。おじさんもおばさんもおじいさんもおばあさんも、きっと賛同してくれると思う。だって現在の社会を作ってきたのはそういう世代なんだし、これ「誰かが行かなきゃならない」って話なんだよな?



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