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「ご感想への返信2023」No.09

LGBT法の改訂や歌舞伎町タワーのジェンダーレストイレなど最近セクシャルマイノリティに関するニュースを多く見ていたので、非常にタイムリーな話題であった。ジェンダーについて学べば学ぶほど、理解して共感しなければならないという気持ちがあったので、当事者に聞いてもいいということがわかって気持ちが楽になった。今現在、ジェンダーに関する私の懸念点は、LGBT法の改訂で公共の入浴施設やトイレに性自認によって選択できるようになるかもしれないということである。実際にそうなれば身体的特徴が男性の方と入浴することになってしまうし、それを利用して性犯罪が起こる可能性もある。私自身は身体的特徴で分けるべきであると考えているが、トランスジェンダーの方達の気持ちを考えるとモヤモヤする部分がある。話し合いが一直線でどこでお互いに納得できるのかがわからず頭を悩ませている。

学生の感想から

講義の振り返り

 この講義は2023年春に行なわれたもので、国内の「LGBT関連法が成立すれば『心は女性です』と男性が女湯に入ってくる」という(SNSを中心に拡散された)デマからの影響を濃厚に受けた意見や感想が多かった。講師としては講義中は当然として事前配布用資料や当日のレジュメでもファクトチェックの材料をかなり提示/共有して臨んだのであったが、この感想にもみられるように学生の不安(混乱)は全く払拭できていない。
 またこの感想にもある「共感」問題。どちらも根深い。

お詫び

 LINEスタンプみたいに講師の顔画像を用意しようかなど考えてました。そんな時間があったせいでアップが遅くなりました。ごめんね。でもそれだけ「ソフトにしたい」、センシティブな話なんですよね。もっとギチギチな下書きもしていたけど何度か書き直したくらい。おすすめする書籍も別日にまた記事にしますので、そちらも読んでくれたらいいなと思います。


講義への意見感想ではなく「風聞」に対する感想になっている

 後半部分について。講義を反映した/講義を受けて反論する内容であればよいのだけれど、講義以前にあった前提をそのままに考えて書いてもらっても困るんですね。私の授業、どこ行ったんでしょう。

 学生の意見は講義内容を反映したものでなくてはならない。Aという前提を覆すBという講義があった。その後で学生がAを前提とし直すのであれば、当然学生からBを否定する新たな視点論点が示されなければならない。

そうじゃない?

思考の迷路におちいるのやめて

 いただいたご感想の後半部分は講義内容ではなく「風聞」をもとに「対立する二者」の構図を想定し、「話し合いが一直線でどこでお互いに納得できるのかがわからず頭を悩ませている」ということなのですが、この「A/Bが利益相反関係と前提しての思考」、袋小路になることが分かり切っている「悩むための思考」です。このケースでいえば「生得的な身体的性別特徴を備えたまま女性用風呂に入浴したいという主張」はトランス側から出たことはないので、利益相反は起きていない。それでも尚「トランス女性は女性用風呂に入りたがるはず」とあなたが考えるのであれば、事実もナラティブも度外視してあなたが取り入れた「想像」です。

 私は医療者にとって想像力は敵ではないと考える講師です。いいですね、想像しましょう。「幼少期から自認する性別が身体的性別特徴と一致しないことに苦悩し、自分の身体に対する忌避/嫌悪を抱えてきたトランスジェンダーが、その苦しみを生じさせた男女二項的社会の象徴的な場といえる公衆浴場で裸体を晒せるか。晒したいと思うか」想像してみましょう。トランスジェンダーに共通する生育環境については講義でお話ししました。一般的なナラティブとして生得的な身体的性別特徴に深いコンプレックスをもつ人々です。彼女たちは自分でも受け入れがたい裸体をあなたに見せることを願うでしょうか。男女別のトイレに行けず膀胱炎になるような人々が、敵視/白眼視をいとわず他人の面前で全裸になりたいはずだと、あなたは想像しましたか? もしそのように想像したなら、医大の学生として自らにふさわしい思考に戻って下さい。

 いいですか。絶対にしてはならない想像もあるんです。それはナラティブを無視した「想像」です。思い返してみて、傾聴できていたと思いますか。

「共感」の自己目的化

 「自己目的化」が何かは知っていると思います。簡単に言えば手段が目的にとって代わることで、問題としては「目的が不明確になり達成されない」ことが挙げられます。あなたが回顧した「共感しなければならないと思うあまり患者に質問してはならないと思い込んでいた」状態は、まさに共感の自己目的化です。毎年一定数の学生がこの問題を抱えたまま私の講義に出るので、とうとう「共感は不要」と言わざるを得なくなったのです(結果そちらが正しかったと感じていますが)。皆さんにとって最も重要な仕事は質問です。なぜ必要な仕事より「別の何か」に重きが置かれるのでしょうか。そして「別の何か」とは何でしたか。そこにあなたが恐れる患者像があります。

「偏見はあるしあってよい」の真意

 皆さんは患者について無知であることを極度に恐れています。だから「知っている」「分かっている」と言いたい。「これを言っておけば大丈夫」という魔法の言葉をいつも求めている。患者といわず他者が怖いからです。 
 「そこは私には分からないのでもう少し話して下さい」と言えば、きっと患者が「そんなことも知らないなんて偏見だ、差別だ!」と怒鳴り始めると思っている、そうじゃない? でもそうした「患者像」はやはり「偏見」以外の何物でもない。自分にそうした考え方のクセがあると認めて、偏見と付き合えるようにならないとダメなんです。「私にも偏見はある。でもその正体は分かっている。だから私は偏見に支配されずに仕事ができる」と感じている状態が、おそらく最も安定していて望ましい。患者と同化する型の「共感」には限界がある。それで乗り切ろうなんて、絶対に無理だから。

私が学生に望むこと

 女性用トイレや風呂を共有したいとトランス女性が望んだわけではない。しかし女性用トイレや風呂からトランス女性を排除しなければ安全が守れないとシス女性が考え、性的少数者について法制化を押しとどめようとする運動が起きた。これはよく言っても社会的混乱であり、単なる魔女狩りだと私は思う。トランス女性を排除したところで、女性用のトイレや風呂が安全になるわけじゃないからだ。歴史の検証に耐えて後世に評価される質のものではない。

 私が学生に望むのは、これだけひどいことが起きたのだから、今後どうしたら女性用のトイレや風呂が安全になるのか、考え、取り組んでほしいということだ。どういうトイレなら性犯罪者の侵入を困難にさせるか、構造から考えることをしてほしい。「個室の扉は外開きにするか内開きにするか」、「個室の広さ」、「個室と洗面台との距離」、空間の色、明るさ。あらゆることを多角的に考える。どのようなデザインが「侵入しにくく、妄想させにくいか」考えることをおすすめする。人目と通報システムは多いほどよい。私なら、トイレ入口に扉はつけない。性犯罪者の心理も考えることだ。彼らは女性の神秘性を重視する。女性用とされた場所は彼らにとって聖域だ。女性を「汚れなき、しかし非力な存在」と考える彼らには、守られるべきその秘密あるいは恥部(と彼らが考える排泄行為や裸体)を目撃する妄想が行動の支えとなる。その場所を特別なものにすればするほど彼らの妄想を助けるということだ(その観点から考えれば、ジェンダーレストイレは世間で言われるほどの愚行ではなかったのかもしれない)。もちろん、私は犯罪心理学の権威じゃないから、この意見は無視してくれて構わない。しかしそれならプロはどこに行ったんだろうな。空間デザイナーは、設計士は? 真剣に性犯罪に取り組む政治家は? 安全のために予算を費やすべきところで、本来は主導すべき人々が「現状のままで」「予算をかけずに」済ませることを考えている。シス女性がトランス女性を追い出し、性犯罪者と取っ組み合って私人逮捕するような日常に戻ることを望んでいる。それが心底、嫌なんだ。

 あなたは知力をどこに使うだろうか。絶対に安全を勝ち取ってほしい。そしていつか、トランス女性とシスターフッドを築くことだ。会ったことある? 深い痛みを知る人たちなんだ。きっと大切な友達になれる。あなたたちが今日の痛みを忘れなければ、誰にとっても安全なトイレを作って、迎えに行くことだってできるさ。そうだよね?


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