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「ご感想への返信2023」No.12

 看護師になったときには、患者さんが自分の性について話してくれることがあるかもしれない。その時には、無理に共感しないと、と思わなくていいとRYOJI先生がおっしゃっていて、少し安心してしまった。でもこれは性に対してだけでなく、人の感情を完全に理解、共感することは難しく、患者さんと看護師の関係としてではなく、その前に1人の人という大前提があることをきちんと認識して、その人のことをただ理解しようとすることは大事であると考えた。
 カミングアウトの時に、なぜ今このタイミングで言ってきたのか、まず考える必要もあるのだと聞いた。SOSであれば自分が助けとなることができればしたい。それとは違い、ただ開いてくれたのなら、1人の人間として素直に関わりたいと感じた。
 質疑応答でより良い世の中になることを期待するしかないとおしゃっていて、今世の中にまず望むことはなんなのか、当事者の方はどんなニーズを持っているのか気になりました。私は、義務教育の中で今日学んだゲイやレズビアン、トランスジェンダーなど学ぶことが良いのかなと思いつつ、教育者によっては、その人の価値観が影響するなど問題もあり難しいと思ってしまいました。

学生の感想から

「属性を乗り越えられないものが偏見、乗り越えるのが共感」

 たとえば患者ではなく同僚のレズビアンにあなたが共感している時、あなたのその感情は彼女の仕事に対する向き合い方だったり、人への接し方だったり、生き方だったりというものに反応したのではないだろうか。おそらく彼女のレズビアンという属性には関係ない。そこから発生していない。レズビアンとしての同僚の経験に何か普遍的なもの、あなたが共有できるものを発見することはあっても、その(普遍性をもった)瞬間に、その「何か」は既にレズビアン固有の事情じゃない。あなたの中にもある「何か」なんだ。あなたは「彼女がレズビアンだから」共感したわけじゃない。――そして、それで何の問題もないわけだよね。

 「偏見」が属性に阻まれるもので、「共感」が属性を超えてくるものだというのは、なかなか興味深いですね。では「ゲイに偏見ありませんと示すために見つける共感」は属性に阻まれているでしょうか、属性を超えているでしょうか。いずれにしても、私があなたに「私はゲイで、同性パートナーがいて、治療方針の決定には彼を同席させたい」とお願いする時、私があなたに「理解」してほしいのは「同性パートナーを同席させたい」という点だけなんだ。


義務教育の中で学ぶことは可能なのか

 皆さんは「セルフエスティーム」ってどう訳してますか。「自尊感情」? 
「自己肯定感」でしょうか。「価値あるものと認める中に自分を数え入れ、他と同じように価値あるものとして取り扱うこと」は、しばしば個人にとって困難になります。個人差はあれ難度が高いことで、どんな環境にある人にもいつでもできることではありません。

 私はHIV/AIDSの予防啓発活動を通じてそのセルフエスティームが行動変容に不可欠だと感じ、コミュニティの内側だけでなく外側の環境も整備する必要を感じました。だからいわゆる権利運動から入ったのではなくて、畑違いなところから、そこに「行き着くべくして行き着いた」感じがありました。コミュニティの外にも希望がおかれ、人生の選択肢が多くあることは、「生きる理由」につながる。生きることが目的になり、健康志向が選択肢に入って来る。政治や教育が個人の人生に影響を与えるなら、よい作用を願おうと考えて、学校教育(性教育)に関心をもち、本学と並行して、他でも大学院の教員枠でお話しさせていただいたりしていました。2009年頃の話です。

 しかし折も折、当時の社会はバックラッシュの嵐で大変だったんですね。学校現場を経験した上で学びを求めている教員たちから、どれだけ性教育が困難になっているか聞くことが多かった。文科省からトップダウンで一日に何枚もファックスが送られて来る。ああしろこうしろと書いてある。しかし対応できる量でもないし、たえず横やりが入って来る――そんな実情を聞くことが多かったです。「何かこちらからサインを出すことさえ困難なのに、親にさえ言えずにいる生徒の事情をどうやって教員がキャッチできるんですか?」と悲痛に言われ、何も申し上げられなかったこともありました。

 前置きが長くなりましたが、要はジェンダー教育ひとつでも非常にアンテナ精度が高い教員が先導して(学校で孤立しながら)枠を広げていくようなことが求められていたのだと思います。皆さんが生まれた頃は、まだまだ暗黒の時代だったわけです。教員の「質」を問う以前に、学校教育の「質」、政治の「質」という問題だった。象徴的な事件などもありましたが、大きく変わったかというとそうではないのでしょう。だから教科書問題にも敏感になり、どの教科書が選ばれているか関心をもち、前進しようとする学校や教員の援護射撃をする気構えでいることが大切です。「よりよい社会になる」というのも、ただ期待して待つのではそうなりません。それぞれが置かれた環境で「意識的に動いて行くこと、待たないこと」がとても重要です。

質問:今世の中にまず望むことは?

 私は同性婚法制化を願い続けてましたし、今もそうです。同性婚の法制化なくして同性愛者に対する差別が終わったとは言えない。私はシス‐ヘテロとちがい、この社会で権利が制限された “second-class citizen” であるということです。それはどう取り繕ってもらったところでそうなのですね。皆さんは私に会っています。私が同じ人間だと思えましたか? しかし私は皆さんの多くと同じ人間ではありません。少なくとも同じ権利を有する国民ではありません。これは前時代からの慣例で、皆さんは同じ国民でも与えられる権利に差があることに不同意かもしれないけれども、そうなのです。「まず望むこと」というより私にとって「唯一望むこと」ですが、ご質問にお答えするなら「同性婚」ということになります。部分的な回答ですがよろしいでしょうか。ご質問ありがとうございます。



 

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