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社会人になってから学びなおす意義

専門学生のとき、学校の授業でカウンセリングを学びました。しかし、そのときはカウンセリングの重要性を理解せず、担当の先生のオーバーアクションがおかしくて、そればかりを覚えて卒業してしまいました。その後、障害福祉サービスの現場に勤めて、初めてカウンセリングの重要性を知りました。そこで、学校の先生にお願いをしてもう一度、カウンセリングの授業に参加をせてもらいました。

私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人を経営しています。利用者の一人が、養護学校時代の写真を見せて「〇〇先生、スキ」と話をしてくれました。そのことがあり、昨日のnoteには私の記憶の中にある学校の先生について書きました。昨日は、主に小学校、中学校、高校の先生の話でした。今日は、専門学校のときのことを書きます。

カウンセリングの授業

私は、社会福祉について学ぶ専門学校に通っていました。今は、福祉系の学校もたくさんあります。しかし、昭和50年代には、あまり数がなく、私は片道2時間かけて学校に通っていました。そこでの話です。

その学校が力を入れている教科の一つにカウンセリングがあり、副校長がその教科を担当していました。その先生は、カウンセラーとしての実績もある人でした。しかし、私たち生徒は先生のオーバーアクションがおかしくてその先生のマネをしてふざけてばかりいました。

カウンセリングの授業は、半分が先生の講義、半分がグループワークでした。また、常に宿題がありました。宿題は、友達とペアになり片方がカウンセラー役、もう片方がクライアント役を担うカウンセリングのロールプレイングでした。それをカセットテープにとり、文字おこしをして提出をします。

カウンセリングのロールプレイング

40年近く前の話です。誰もが「ウォークマン」を持っていたわけではありません。録音は、学校にある大きなラジカセを使って行いました。また、それらは十分に手入れがされていなかったために、文字おこしをする際、早送り、巻き戻しを繰り返すとテープがからんで、切れることがありました。もちろん、文字おこしは手書きです。

そのロールプレイングするとき、カウンセラー役の生徒は、必ず先生のオーバーアクションとしゃべり方をマネしましました。それで笑ってしまうとまた、最初からやり直しをする、そんなことばかりの学生でした。カウンセリングのだいじさを学ばずに卒業をしました。

私は、卒業後、今とは別の障害福祉サービスを提供する事業所に就職をしました。そこで、カウンセリングをしっかり学ばなかったことを後悔し、大きな壁にぶつかりました。

学びなおし

私のグループにいた利用者さんのことです。その人は、ご家族が共働きで、いつも一人で留守番をしていました。その利用者の一番の希望は、誰かに話を聴いて欲しいということでした。しかし、私はその人の話をしっかりと聴くことができませんでした。うわべだけで話を聴くことがありました。私がうわべだけで話を聴いた日、その人は、自傷行為で反抗しました。そのとき、聴くということ、カウンセリングを学ばなかったことを後悔しました。

それからしばらくして、私は母校の専門学校を訪ね、もう一度、カウンセリングの授業を受けさせて欲しいとお願いをしました。学校は、先生の手伝いという形で授業への参加を許可してくれました。たしか、週に一回、半年ほど通ったと思います。

一度、社会に出ることで本当に必要なことを学ぶことができました。現場を見ることで理論を理解できることがありました。今は、社会人学生がたくさんいます。当時は、そんな時代でもなかったように思います。もっともっと柔軟に学べるようになるといいですね。


連続投稿1000日まで、あと38日

その学校では、社会福祉の勉強と合わせて、英語にも力を入れていました。

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