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旅情奪回 第25回:失われた徳島。

こういう物言いはあるいは失礼かもしれないが、日本全国を旅したとはいえ、どうしても思い出せない土地というのがある。
たとえば、史跡や新観光名所などを訪ねたならばまず忘れるということはない。しかし仕事で訪れた土地での取材は、その土地の日常の一部を摘出するようなスタイルであったから、時に大きな絵として記憶に残らなかった場所というのが存在してしまう。
その土地の日常的なニュアンスを、通りすがりの旅人が深く記憶に焼き付けるには、もうひとつ越えなくてはならない壁がある。
そんなわけで、実は徳島県の記憶は失われていたわけである。

それが先日、仕事仲間の会社が創立10周年を迎えるということで、パーティに出席するべく徳島は鳴門に飛ぶこととなった。かつて取材で訪れたときはどうだったろうか、今回は東京からの直行便で徳島あわおどり空港へのフライトは実にあっという間であった。
そういえば、最近はどうも、ユニークなミドルネームを持つ空港が増えたような気がする。それはそれで、空港の特殊に神聖な感じとは異なるがかわいらしくて悪いものではない。
まさに未曾有の規模となった台風13号の爪痕が、雨漏りとなって残る京急浅草線のホームが嘘のような、真夏の快晴である。

私たち一行は、祝典の前日に前乗りしたような形である。仲間との再会もそこそこに、午後はせっかくの鳴門旅行を楽しんでもらおうと、現地では思い思いの希望に合わせたもてなし。気のおけない同志は海釣りに飛び出し(この日は、75センチを超えるハマチと、大振りな鯛二尾が釣果であった)、私は一人、大塚国際美術館に向かった。

景観豊かな小高い山を利用して建てられた美術館は、ある人からすればそれは贋作の殿堂かもしれないが、私にとっては巨大な学び舎である。展示室の動線もユニークであるし、いつのまにか四時間も歩き続けていたことを忘れるくらいであった。特に、古代美術については、日本国内でテーマ展が開催されることは稀であるし、そもそも保存状態の点や、建造物に付帯しているケースも多く、不動産としての美術作品が多いため、これらを複製という形であれじっくりと観ることが出来たことは貴重な経験であった。

思い思いに過ごしたプレパーティという名の再会と初対面の宴。そして式典当日。ここで仔細は語らないが、倦むことなく自分を信じ、仲間を信じ、そして存分に支えられた男の晴れがましい姿と、ここからが本当のスタートだという秘めた強い意志の伝わるパーティであった。私は立ち止まり、彼は動き続けたということ。これに尽きる。

ところで、彼との付き合いは長いし、苦楽をともにした時間も短くはない。しかし、それぞれがそれぞれに一所懸命であったし、同じ釜の飯を喰らうというほどの余裕もなかった。私が彼にしてあげたことなど何ほどのものでもないのではと、鳴門まで足を伸ばしていまここになぜ自分がいるのか、自問する瞬間もあった。
しかし、おそらく彼とは、お互いのある瞬間、それもかなり象徴的な瞬間を目撃し合った、そういう仲ではないかと考える。寝食をともにしなくても、それで十分に分かりあえる関係は作れる、そんなことを考えたりする。そして、これから何が起こり、彼がどうであろうと、ほんの少し年上の私は変わらず、彼を頼もしい弟のように大切に思い続けるだろう。

失われた徳島は、今度ははっきりとした輪郭をともなって私の中に居場所を見つけた。こういう縁だから、また遠からず徳島を訪れることもあるかと思う。その度に、近くに見えた淡路島、べたつく潮風に洗われて舫う漁船、その向こうに架かる大鳴門橋…。私は鳴門の景色にこの日のことを思い出すに違いない。(了)

Photo by Kanenori,Pixabay

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