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U君と生産性の呪い|週末セルフケア入門

さいきん、セルフケアに悩む人からの相談を受けることが増えました。
本人の許可を得て、ひとつの事例を紹介します。

セルフケアゼロ男子・U君の場合

自他ともに認めるセルフケアゼロ男子・U君は30歳を過ぎたばかり。出版社でデジタル関連の仕事をしています。彼は「ひとりでいるのが無駄だと感じる」といいます。休日も会社に行ったり、週五回も会食を入れたりしてしまう。時間を有効に使いたいという気持ちが強くある。

「すごいですね。週五で会食したら、私なら爆発します」というと、「全然苦にはならないんですけど......」と応えつつ、何となくやりすぎだとは感じているようです。セルフケアをはじめたいけど、何が自分にとっての「セルフケア」なのかもよくわからない。

強烈なエピソードを聞きました。U君が忙しい日常から離れて「ゆっくりしよう」と考え、恋人と離島へ旅したときのこと。「何もないことに耐えきれず、結局、二泊三日で50キロくらい歩いたんですよ」。全然ゆっくりしていません。「フェリーから降りると、ダッシュですからね」。旅に来てまで、旅程を最適化しようするU君……。山登りも分刻みで計画するので、恋人に「二度と一緒に山登りしたくない」と言われてしまったそうです。

一方で、「ひとりの時間」はかならず発生しているはず。何をしているのか聞くと、小説はたくさん読んでいるとのこと。国内中心で、ミステリ多め。「本を読んでいるときは、八割くらい『退屈だな』と思っているかもしれません」。むしろ、退屈な部分が多い本を選んで読んでいる。さいきん良かった本は、仕事以外で読んだ宮脇俊三の『ローカルバスの終点へ』。その話を聞いて、初めてU君の人生の「無駄」に触れた気がしました。

セルフケアとライフハックの違い

U君は、無駄な時間をなくそうとしています。一方で、それだけでは問題があると気づいている。「生産性がないと思っちゃう」と彼はいいます。これは呪いではないでしょうか。人生は生産性で測れるものではないはずです。いったい、何を生産しているというのか。測れるものだけで人生を考えると、つらくなってきます。

以前紹介した「顔剃り」は、身だしなみを整えて人の好感を得るため――ではなく、自分が気持ち良くて、すっきりするから行きます。「自炊」だって、健康のためというよりは、疲れ切った夜にも人の手で作られた料理を食べて、人心地つきたいから作ります。なんらかの目的のためというより、「いまここ」の自分に寄りそってあげること。

セルフケアとライフハックはちがいます。セルフケアは「生活のハッキング」ではない。時間の短縮でも、工程の適正化でもない。むしろ非合理的な部分に関係しているのではないでしょうか。U君の非合理的な部分、それは読書です。

そこで、こう訊きました。「U君は、退屈な時間を必要としているのでは? 生産性はないけど、「心地よい退屈」をもたらす読書の時間が、結果的にセルフケアになっているのでは」。彼は絶句しました。「すごいですね、そうかもしれません」。

自分のために時間を浪費しよう

「どんなセルフケアをしていますか」と訊くと、ほとんどの人が「役に立たないこと」をしています。食洗機があるのに皿を洗う。呆然とぬいぐるみをなで続ける。重いバーベルを上げる。U君は積極的に「退屈」しようとしていた。共通点は、生産性から遠く離れることです。

妻は、ネイルサロンでネイルされながら、席に備え付けのタブレットで、ネイリストさんが適当に選んだ海外ドラマをボーッと見る時間が好きだそうです。「忙しいのに、時間を浪費している」と実感するそう。「なんか心地いい時間の浪費」がセルフケアになっているようなのです。

私なら、何度も読んだ小説を読み直すことがそうです。たとえばメルヴィルの『白鯨』は、物語が始まる前に、えんえんと鯨についてのウンチクが語られます。その膨大な抜粋を再読するのが好きなのです。これが、人によっては猫と遊ぶことだったり、お気に入りのドラマを見返すことだったり、マンガを一巻から再読することだったりするのではないでしょうか。

それは時間の浪費かもしれません。でも、たぶんそれこそが必要なのです。週末だけでも、生産性の呪いを解く。物事をコスパで考えるのをやめる。予防でも投資でもなく、いまここの自分にかまけること。哲学者の國分功一郎さんは、余暇について考えた『暇と退屈の倫理学 増補新板』(太田出版)のなかで、次のようにいっています。

人はパンのみにて生きるにあらずと言う。いや、パンも味わおうではないか。そして同時に、パンだけでなく、バラももとめよう。人の生活はバラで飾られていなければならない。


読んでいただいてありがとうございます。