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不登校娘の卒業式を終えて

ちょっと時差の投稿になってしまいましたが、先月末、不登校の娘の小学校の卒業式が終わりました。「無事に」という言葉をつけられたらよかったのですが、正直、そうはいかなかった。いろいろと悲しい思い、切ない思いを抱えることになってしまった卒業式でした。小学校に言いたいことがいくつもあったのですが(実際、意見を言うことも頭を過ったりもしましたが)、立つ鳥跡を濁さず、で黙っていることにしたので、このnoteだけでは、自分の思いを吐き出しておこうと思って、久しぶりにパソコンに向かっています。

以前の記事でも書きましたが、娘は小学5年生の3学期から学校に行けなくなり、6年生もほぼ完全に不登校の状態でした。4月の当初、進級して担任が変われば本人の気持ちも変わるかもしれないと期待して、私も付き添って学校まで行き、別室登校などを試したりしたのですが、娘が学校に行きたくないという思いと、同級生に会うと不安を感じて動揺してしまう症状は相変わらずで、結局学校に戻ることはできませんでした。担任の先生に紹介された適応指導教室に通うことになり、その送迎のため私が退職を決めたことも別の記事に書いた通りです。調子のいい時は、適応指導教室に週数回通うという状態で、6年生の1年間は終わりました。

不登校児の卒業アルバムと文集

6年生は卒業に向けていろいろな準備が始まります。卒業アルバム、卒業文集、卒業生の親が企画する、いわゆる謝恩会…などなど。そのためにたびたび学校とやりとりする必要があり、その都度、心をすり減らす結果となりました。

まず、卒業アルバムの撮影ですが、1回で済むものと思いきや、個人写真に加え、委員会・クラブごとの撮影、クラスの集合写真などいろいろな種類があると判明。そのたびに「来れませんか?」と担任から連絡が入りました。個人写真の撮影の時は、他の子供たちが終わった後に個別に撮影をしてくれると言うので、指定された時間に指定された場所へ行ったところ、先生の手違いで、なぜかクラスメイトが大勢いるというハプニングがありました。動揺した娘は逃げ出し、トイレの個室に閉じこもって隠れてしまいました。先生方も多忙な中、特別な要望に応えるのは大変だとわかっていますが、がんばって勇気を振り絞って学校まで来たのに、この手違いは勘弁してよ…と正直思ってしまいました。ここまで強い不安障害の症状があることを、理解してもらえていなかったせいもあるかもしれませんが…。

その後、もう一度、委員会やクラブの写真にはめ込むための撮影に行きましたが、それ以降は、すべて同じ写真でいいので使いまわしてくださいとお願いし、了承してもらいました。

また、卒業アルバムも、本人が書けないというので断ったのですが、それについても二度も三度も学校から確認の連絡があり、かなり参ってしまいました。最後の時には「それでご親戚の方々も大丈夫ですか?」と聞かれる始末。正直、意味が分からなくて頭の中で「?」が渦巻いてしまいました。学校としては、卒業文集に作文が載らないことを周囲も納得しているのか?と確かめたかったようですが、親戚はまったく関係ないし的外れな確認。初めに断った時点で、親としては、申し訳なさや切なさを抱えながら、懸命の思いを伝えているのです。そんなに何度もしつこく確認しなくてもいいから!と怒りすら覚え、この件でもかなり疲弊してしまいました。

音声のみの卒業式

そして、ついに卒業式本番がやってきました。初めのうち、卒業式にまったく興味を示さず「行くわけない」などと口にしていた娘でしたが、3月に入り卒業を目前に控えて少し気分も変わったのか「見てみたい」と言うようになりました。私も、卒業式は出席しなくてもいい、後で証書だけ受け取りに行けばいいやと割り切っていたのですが、娘の気持ちを尊重したいと思い、早めに担任の先生に相談。ほかの同級生に会わないような形で式を見られないかと聞いてみました。すると先生から、体育館のギャラリーから見られること、ギャラリーへは裏口からこっそり入れるからと提案してくださり、証書だけは渡せる時間がないので、卒号式の日の午後取りに来てほしいと言われ、それでOKとのことで話がまとまりました。

ところが、卒業式4日前になり、担任から急に電話がかかってきて「当日12時から式に出られない子のための少人数の授与式を行います。卒業式が終わったら、放送室で待っていてください。」と、これまでのやりとりがなかったかのような内容の連絡があり、びっくり。いやいや、他の子と会わないようにこっそり行き帰りしたいし、少人数の授与式でも娘の参加は無理です、証書はあとで個人的にもらいに行きます、と改めて伝えたところ、「ちょっと管理職に確認してみないと答えられない」「証書は校長から渡すので、校長の予定を確認しないとわからない」などと言い出すのです。イレギュラーなお願いをしているのは本当に申し訳なく思っているけれど、だからこそ余裕を持って、何週間も前に相談していたはずなのに…。悶々としたものの、担任の先生が困っている様子が電話越しに伝わってきたので(たぶん、授与式でチャチャっと証書を渡しちゃいたいんだな、と)、私一人で授与式に行くと伝えて電話を切りました。

こうして、卒業式の当日を迎えました。起立性調節障害の症状があるので、娘が時間に間に合うよう起きられるか心配しましたが、なんとか起きて準備。卒業式は平日でしたが、ギャラリーからでも参加できるのならと、主人も休みを取って、3人で学校へ向かいました。担任から事前に伝えられていた通り、受付で一人先生が待っていてくださり、体育館のギャラリーへ通じる裏口へと案内してくれました。

…が、しかし!!
ここから、最大の問題が!!
案内された場所は想像していたようなギャラリーではなく、舞台裏の放送室。体育館の様子も、ステージの様子も、1ミリも見えません。目の前に小窓があり、カーテンが引かれていたので、式が始まったらそこを開けて見せてくれるんだろうな、なんて思いながら、用意されていたパイプ椅子に3人並んで座って式の開始を待っていたのですが…。いざ式が始まっても、その小窓のカーテンが開けられることはなく、何1つ式の様子はわからないまま、音声のみが聞こえる状態で式は進んでいきました。一人一人が壇上に上がって卒業証書を受け取るところも、ただただ担任が名前を読み上げているのを聞いているだけ。まさかまさか、何1つ見えないなんて思ってもいなかったので、びっくりするやら、がっかりするやら…。どうやらこのまま、式の様子は一切見られないまま終わるらしいと受け入れるまでに、しばしの時間を要しました。他の卒業生が退場して体育館の外に出てくる前に退席することになっていたので、最後の閉会の辞が述べられている間に、元来た裏口からひっそりと退場しましたが、結局体育館の中の様子はちらりとも目にすることができませんでした。

帰る道々、主人もこのまさかの展開に驚いたと言い、音声だけで何も見えないならわざわざ休暇を取らなかったと怒り出しました。この時ばかりは、主人が怒るのももっともだと思いました。私は事前に何度も「卒業式を見たい」と伝えていたからです。見えなかった事実を怒っているのではありません。「見たい」と言ったのですから、もし見えない席からの参加になるのであれば、それを事前に伝えてほしかった。ただそれだけでした。だったらこちらも見えないことを了解した上で行ったし、主人も仕事を休む必要はなかったと思います。先生方も忙しい中で、一生懸命対応してくださったのだと思いますが、この時感じた大きな落胆はずっと忘れられないと思います。

ただ、唯一の救いは、肝心の娘はそれほどがっかりはしておらず、それなりに満足していたことでした。舞台裏からでも参加できたことで、気持ちの区切りがついたのかもしれません。娘がよかったのなら、それでよかった、そう思うことにしました。

切なすぎた授与式

しかしながら、この後に続く少人数での授与式では、さらにつらい思いをすることになります。授与式を行うから体育館に来るようにと指定された時刻は、12:00。この時間を聞いた時から、怪しいなぁとは思っていたのですが、案の定、12時前に再び学校へ出向くと、校庭にはまだ大勢の卒業生と保護者が残っていました。しかもよりによって、みんなで撮影タイム。真新しい中学校の制服や、華やかな袴を身に付けて、キラキラした笑顔ではしゃぎながら写真を撮り合う顔見知りの親子たちの横を、俯き加減で横切って体育館へ向かう時の、これ以上ない切なさと言ったらなかったです。この時が一番、涙が出そうになりました。ちょうど、同じく子供が不登校だった親御さんと一緒になり、「みなさん、まだいらっしゃるんですね~」なんて、無言のうちに切なさを共有できたのだけが、心の救いでした。

少人数での授与式も、厳粛な雰囲気の中で執り行われました。参加予定の生徒は5人でしたが、実際に来られたのは2人、他の3人は保護者が一人で来ていました。一人の子は壇上に上がり証書を受け取れたものの、もう一人の子は椅子にうずくまって、立ち上がることができません。子供が来ていない3人は、親が受け取るように言われ、校長から直々に証書を受け取りました。この時、写真を撮影していいかと聞かれたので、もちろん断ったのですが、断ったら断ったで、かなり困っている様子。上に確認しないと、どうしましょう、、、などと揉め出したので面倒になり、「もういいですよ」と言ってしまいました。一人分、撮らなければいいだけなのに、なぜそれすら対応できないのか? 私が一人で証書を受け取っている写真を、後で他の保護者に見られるのはあまりいい気分がしないと思っただけなのですが。これもまた、苦い思い出として刻まれてしまいました。

帰り道、完全に打ちひしがれた気持ちで校舎から出ようとして、よりにもよって知り合いのお母さんたちの集団に出くわしてしまいました。「来たの~?」と聞かれ、「私だけね~!」って、なんとか笑顔を作って答えるのが精一杯でした。ただただ、切ない思いだけが残った授与式となりました。

卒業式を振り返って思うこと

こうして、娘は小学校を卒業しましたが、正直に言って、すべてにおいてガッカリ感だけが残った卒業式となりました。もちろん、ただでさえ忙しい卒業の時期にイレギュラーな対応をお願いしているので、それについては、感謝の気持ちとと申し訳ない思いは持っています。しかしながら、だからこそ、余裕を持って前々から相談していました。できないならできないと言ってくれれば、納得できたことでした。せっかく勇気を振り絞って、久しぶりに足を踏み入れた学校で、音声しか聞こえない卒業式。その点について、不登校児なのだから、それぐらいでいいでしょう?と、軽く扱われたのではないか?そんな風に悪いほうへ考えてしまう自分をどうしても止めることができません。ほんの少し…、最後に卒業式だけでも行ってみようと思った不登校の親子の気持ちを想像してくれていたなら…、こんなことはなかったのかもしれないと思ってしまうのです。

少人数の授与式も同様です。学校からは、娘も一緒に参加するように言われましたが、あんなにワイワイにぎやかに同級生やその保護者が集まっている横を通って体育館へ行くなんて、そんなことができる不登校児がいるでしょうか? 学校にも事情があり、なるべく続けて体育館で授与式を済ませてしまいたいという都合も理解はできます。でも、それでも。やはり、卒業生が全員いなくなったあとの時間帯に設定するべきではないでしょうか? もしくは、せめて、ほかの親子と出くわさないように、裏口から入ってくださいなどの配慮はあってもよいのではないでしょうか? また、これは私個人の意見になりますが、体育館のステージなんて使わなくていいです。校舎の中で、普通の教室でいい。厳粛な雰囲気の「式」なんていらないから、こじんまりとアットホームな雰囲気で、証書を渡してくれたら、そのほうが、不登校の子供達には参加しやすいのではないかと思うのです。もともと、集団生活やそういった行事などが苦手で学校に来れなくなってしまった子も多いのですから。

最後に、ちょこっと内情をお話ししますと、数年前に校長先生が変わって、こんなふうになったのは、今の校長になってからなんですよね。その前の校長先生は本当に素晴らしい方で、不登校児も含めて一人一人にちゃんと目を向けて向かい合ってくださる先生でした。PTA本部役員としてずっと近くでご一緒していたのでよくわかります。その先生が去って以来、学校の雰囲気も、一人一人の先生方の雰囲気もすっかり変わってしまいました。アットホームで暖かい小学校だったのに、トップが変わるとこんなに変わってしまうんだ…というのを、今回の卒業式を通じてあらためて目の当たりにした次第です。

学校には通えなかったけれど、この小学校の生徒でよかった、そう思えなかったのが本当に残念でなりません。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!