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夢は砂漠を駈け廻る T.E.ロレンスの鞍 Camel saddle stool 

 10年以上も前に手に入れた少し変わった形のスツールがある。横長で、天守閣の屋根みたいに裾広がりに開いた木製の脚に棚を付けて革っぽいクッションがのった構造だ。両端の、天守閣ならしゃちほこの位置に取っ手があるので持ち運びしやすい。取っ手や脚に金色で草花模様が象嵌され、オリエンタルな感じが気に入っている。座面長辺が中心に向かって緩やかにくびれているからまたがって上半身のストレッチをするにも安定するし、腰かけて違い棚や香炉の世話をするのにちょうどよい高さなのだ。パソコン作業に疲れた時、アーロンチェアをリクライニングして伸ばした足を乗せるにもよい。

 ところがこのクッションが合皮だったためいつの間にか劣化し、情けない感じになってきた。家具屋さんに張り替えを頼めるだろうか。クッションが劣化したことを除けば人の体によく馴染んだ構造で使いやすいので、古くからあるデザインのように思える。10年も前の衝動買いのためお店も商品名も覚えていないが、こういう時にスマホのGoogleレンズは便利だ。
 写真を撮って検索したらよく似た画像がいくつか出てきた。国内のインテリアショップもあったが、古い内容ばかりで現行商品は見当たらず説明もない。情報があるのはほとんどが海外のサイトだ。

 「キャメルサドルスツール(Camel saddle stool)」と呼ぶらしい。Egyptian styleとかAfricanと説明されている所もあった。どうやらCamel saddle =ラクダの鞍が原型のようだ。鞍の前後に突き出た棒状の部分が家のものはアーチ型になっているところが違うが、他はよく似ている。
 さらに追っていくとイギリスの帝国戦争博物館 (Imperial War Museum)にほぼ同じかたちのものが収蔵されていることがわかった。

Austin Auction Galleryより

 そこでは詳しい説明が見つからなかったが、別のオークションサイトにそっくりなものが出品されていて、「BRITISH WORLD WAR 1 IMPERIAL CAMEL CORPS SADDLE(第一次世界大戦の大英帝国ラクダ旅団の鞍)」となっていた。

 1916年に就役した大英帝国ラクダ旅団は、エジプトのカイロ近郊を拠点としてシナイ、ガザ、ヨルダン渓谷、その他の戦闘でオスマン帝国軍と交戦した。つまり映画「アラビアのロレンス」の頃のイギリス帝国軍のラクダ部隊が使用したものということらしい。そういえば、エジプトもトルコもいつか行ってみたいと思っていた場所だ。知らぬ間にゆかりのデザインに心惹かれていたのかもしれない。
 砂漠の民がラクダの鞍、兼 椅子として使っていたものが原型だろうか。定住せずに遊牧などをしながら身軽に暮らす人々なら鞍と椅子が兼用できれば便利に違いない。私のものは脚が固定されているが、いくつも出てきた画像の中には、ロープを解くと全体がコンパクトにたためる仕様のものもあった。アラビアのロレンスの映像を探すと、ラクダの背の上で布や毛皮に厚くくるまれている鞍の細部は見えないが、全体のフォルムは似ているように思える。

 当時のエジプトは自治権を持っているとはいえオスマン帝国の属州であり、さらに実質的にイギリスの保護下にあるという複雑な国だった。1914年の第一次世界大戦勃発を契機に独立の機運が高まり、1922年に独立が認められた。戦場から帰還した大英帝国軍兵士やエジプトから本国へ引き上げたイギリス人たちが持ち帰った荷物の中に、このラクダの鞍が混じっていたとしても不思議ではない。

 同じく1922年にはイギリス人のハワード・カーターによってツタンカーメン王の墓が発見されている。ナポレオンのエジプト遠征以来のヨーロッパにおけるエジプトブームはこの発見でますます盛り上がった。空を屋根とし、星をたよりに「砂漠の舟」と呼ばれたラクダに乗って移動するベドウィンの人々、天幕や宮殿を飾る手の込んだ工芸や豪奢な宝飾品、美しく力強いアラブ馬。物語のような歴史と神秘的なスタイルへの憧れとともにエジプトやアラブの様々な文物がヨーロッパに持ち込まれ、影響を与えた時代だ。機能的でエキゾチックなこのスツールはそうした文化が流行する中で愛されたのかもしれない。そして模倣品が作られて流布していったのだろう。
 その末裔が私のところへ来てくれたことになる。

 劣化した合皮のキシキシ音が我慢できず、たまたま目についたインテリアファブリックでカバーを自作し、応急処置をしてしまった。しかし、来歴とサドルスツールと云う名前を知ってしまうとやはり革製のクッションがふさわく思えてきた。計らずも、アラビアのロレンスやあのハンサムなエジプト生まれのオマー・シャリフゆかりのロマンを語り、昔の夢を思い出させてくれたCamel saddle stool君に手製の間に合わせをまとわせておくのは心苦しい。いつかはちゃんと職人さんにお願いしてご先祖のような凛々しい姿に戻して差し上げたいものだ。ハードな革をギュッと深くボタン締めしたイギリス風もいいし、カービングを施したモロッコ革も優美で捨てがたい。でも一体いくらかかるんだろうか。

 というわけで今はこんな姿です。今生で本来の姿にしてあげるために、お仕事頑張ります。

PS:
  このスツールを買ったのは夫・光太郎の亡くなった年の秋でした。特別必要があったわけでもなく、存在感のあるエキゾチックな形が目について何となく欲しくなり、居間の光太郎がいつも寝そべっていたあたりに何となく置いていました。今思えば、光太郎が占めていた場所がぽっかり空いていることが落ち着かなくてしようがなかったのかもしれません。
 月日は流れ、いつの間にか居間は日々巨大化していく息子とゲーム機に占領されて、押し出された私は書斎に引き籠りです。ほとんど眺めるだけだったこのスツールも一緒に移動してきました。手近に置いてみるととても使いやすくて馴染むので、だんだん可愛さが増してきています。

 サハラにもトプカビ宮殿にも行く機会はもうないかもしれないけれど、月が煌々と輝く夜には、夢の中でラクダに乗って砂漠を駈け廻ってみたりするこの頃です。


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