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【小説】悪い子だれだ

1Kの部屋で、わたしはキッチンの床にペタリと座り込んでいる。
この部屋には扇風機しかない。
蒸し暑い夜。タンクトップとショートパンツという出で立ちなのに、じわじわと汗がにじみ出てくる。

彼とケンカした。
その彼は部屋にいる。キッチンと部屋を仕切る引き戸は薄く開いていて、テレビの音が聞こえる。
静かにニュースを読む声。どうやらNHKらしい。
普段は絶対に観ないくせに。
『おまえのことなんか気にしてないよ』とポーズをとりつつ、こちらの様子をうかがっているのがよく分かる。
わたしもうかがってほしくて、薄く戸を開けている。

ケンカの理由はささいなことだ。
今日は一緒に夕飯を食べようと約束していたのに、彼がすっかり忘れてサークルの友だちと飲みに行ってしまったからだ。

別にわたしは悪くないもん。
謝ってくるまで許さない。
それなのに、彼の家から出ないのは仲直りしたい気持ちがあるからだ。

どれぐらいそうしていただろう。
暑さのせいか、頭がボーッとしてくる。
扇風機は彼のいる部屋にあるので、キッチンは蒸し風呂状態だ。換気扇でもつければ変わるだろうか。でも、歩くのもすでに億劫になっている。ポニーテールにしている髪束から、何本かはらはらとこぼれていて、首筋に張り付いてうっとうしい。

シャワー浴びたい。

そのとき、カラカラと戸が開く音がした。
振り向きたいのをグッとこらえる。

「まだ怒ってる?」
「…………」
「ごめんって。俺が悪かった」
「やだ」
「どうしたら許してくれる?」
「自分で考えてよ」

沈黙。
考えてる、はずだ。
考えていてほしい。

キシッ、と床がきしむ。
それから、後ろから抱きしめられた。
汗ばんだ肌と肌。いつも以上に密着している気がする。

「いや、バカなの? こんなクソ暑いのに抱きしめて許されると思ったの?」
「いつもこうしたら笑ってくれるじゃん」
「それは冬の話だよ」
「え、じゃあ夏は?」

暑い。

その腕を振り払おうとするけど、意外としっかり抱きしめられてうまくいかない。

「自分で考えてよ。とりあえず、離して」
「んー……なら一緒にシャワー浴びよ」
「は?」

思わず、彼のほうを見る。

「あ、こっち向いた」
「びっくりしたんだよ。よくこの状況でそんなこと言えるね?」
「だって暑いじゃん?」
「うん」
「汗だくだとイライラするじゃん?」
「うん」
「許せるものも許せなくなるじゃん?」
「……」
「シャワーで汗流して、スッキリしたら、冷静に話し合えるじゃん?」
「……そうやってただうやむやにしようとしてるんじゃなくて?」
「そんなことないって。風呂上がりに俺のガリガリくん食べていいからさ」
「ハーゲンダッツがいい」
「……」
「……ハーゲンダッツ買ってくれたら許してあげる」
「じゃあ、シャワーの前にコンビニに行くか」

腕を引っ張られて、立ち上がる。
私の汗で床がぬるりと滑った。
不快なはずなのに、そんなに嫌じゃない。
ケンカはしたくない。
でも、仲直りしたときの気分はそんなに悪いものでもないかもしれない。
大好きな人とのケンカなら。

蒸し暑い部屋で、アイスを食べて笑って寝よう。

Fin.

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