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暴力の記憶

両親や、祖父母に殴られたことはありますか?
いけないことをしたら、ペチリと手を叩く。それぐらいは仕方がないかもしれません。
痛みを知らないと、知らないうちに誰かを傷つけてしまっているかもしれないから。
ただ、許容を越えた痛みを近しい人から受けたとき、どうすればいいのだろう。
殺されるわけでもない、ギリギリの痛みを受け続けた場合はどうすればいいのだろう。


ハタチになるぐらいまで、我が家ではひどい家庭内暴力があった。
おとーさんからは力の暴力、おばーちゃんから言葉の暴力。

言葉の暴力っていうのは
「このブサイクが」という悪ガキの悪口のようなものから始まり、頭が悪い、誰にも好かれずに死んで行く、五感が悪い、笑顔が汚い、何か手柄があったとしてもそれは「おばーちゃんのおかげなんやで!」(五感が悪いって今考えるとひどい言われよう……)

でも、小さいころっていうのは家にいる大人が全てだ。
おばーちゃんの言う通りだと思っていたから、私はひとりだとてんでダメな子なんだ、何もできないし、誰にも好かれずに生きていくしかないんだ、って26~27歳ぐらいまで信じ込んでいた。

例えば、普通なら初対面の人からは「好き」でも「嫌い」でもないフラットな状態から関係がスタートするんだろうけど、私の場合は最初から相手に「嫌われている」というところからスタートする。これは小さいころに「あんたのことを好きになる人なんかいない」と言い聞かせられたことによる賜物なんだろう。頭ではそんなことはないと分かっているのに、全く気持ちがついていかない。
今はだいぶ改善されたけど、初対面の人に会うたび、何を考えるよりも先に
「ああ、この人は私のことが嫌いなんだ」
と思ったものだ。

でも、そんな思い込みのおかげか、周りの人から少しでもよくしてもらえるとすごく嬉しいし、仲良くなれなかったとしてもやっぱり好かれないものなんだなぁ、そうだよなあ、とあっさり諦めがつくのでいいっちゃいいのかもしれない。

ただ、無意識のうちに、誰のことも好きにならないようになった。その人に嫌われたら苦しくて辛いだけだから。

そう考えると、例えば大好きだと思い込んでいた人にフラれたりとしても、「うんうん、大丈夫、知ってたよ、私のことが嫌いだって」
と納得させられる。あまり大きなダメージを受けずに済む。今振り返ると、これまでの失恋なんて、悲しんでいるフリをしているだけだったんじゃないのかなぁ、とさえ思えてくるほどだ。

そんな感じで、たいてい辛いことがあったとしても、理由をつけて消化したし、場合によっては『あんな辛いことがあったから今の私がいるんだ』と切り替えてきた。

辛いことと言えば、20代半ばぐらいから、父の『おかげ』で300万程度の借金を背負うことになったんだけど、それがあったからがむしゃらに仕事ができたんだと思う(今は完済している。念のため)(あ、でも借金があったせいで、お金に対する執着心は強いな……(笑)。そこはどうなんだろう)。
生活費もロクになかったし、リアルにガスや電気が止められることもあった。もちろん大したものは食べられない。幸い、家の庭が広くて、おとーさんが趣味で作っていた畑で採れた野菜でどうにかこうにか過ごしていた時期もある。稼がないと生きていけない、私だけじゃなくて、家族も生きていけない、と思ったら必死だった。まあ、それも過ぎ去りし日の学び。どうにか生きていけるし、やってこられた。大丈夫。

それでも、どうしても未だに治しきれないのが暴力を受けたことで。治るどころかその傷は年をとれば取るほど痛むようになってくる。

気にしていないと思っていたのに、びっくりするほど些細なきっかけで傷口がパックリ開く。

とは言っても、主に拳による暴力で痛い思いをしていたのは私ではなく、私のすぐ下の弟と妹だ。

スーツのズボン用のベルトで何十発も殴られることはザラだったし、何日もごはんを食べさせてもらえない、タバコの火を押し付けられる、ロープで縛られたまま、放置される。私も小1から小2の春ぐらいまで学校に行かせてもらっていなかったけど、弟と妹はほとんど小中学校には行っていない。

でも、暴力は躾だと言われ、学校へ行かせないことについては教育方針だと言われた。躾に関してはほかの家でもやっていることだ、と。そう言われたら、子どもは信じる。だから、先生や友達に言ったこともなかった。

たまに、友達の優しい両親の話を聞いて「○○ちゃんちのお父さんはね、お母さんはね、」なんて言おうものなら、その子とその子の家のことをとことんけなし、もう遊んじゃダメだと言われた。そして暴力は続く。

で、すぐそばで暴力を見ながら何をしていたかと言うと、常に、次は自分だと怯えていた。一度止めようとしたら蹴られて頭をぶつけた。それからは止めようとしなかった。だから私も同罪だと言われたらそうなのかもしれない。だから、余計に今さら傷が痛むのだろう。

大の大人に子どもが殴られたらどれだけ痛いか。目の前に星が飛ぶ、なんてマンガの表現があるけど、嘘じゃない。一発、平手打ちをくらっただけで、頬は燃えるように熱いし、しばらく頭もクラクラしている。
当然のことながらタバコの火は熱いし、ロープで縛られたときの恐怖ったらない。しばらく縛られた感覚が残るのだ、眠っていても縛られていたときの感覚が体をむしばむ。
そんなこと、自分がされずに済むのなら、余計なことはしたくない。「妹たちの代わりに私を殴って!」というほど愛もなかった。

それでも、「おとーさんもおばーちゃんもすごいひとなんだ!!」と思っていたのだから恐ろしい。

おとーさんはたくさんの人に慕われているし、偉い研究もしている。
おばーちゃんはいいとこのお嬢さんだったから、蝶よ花よと言われて育てられてきた上品な女性だったのだ、と。
これを言っているのが誰かって言ったら、本人なんだけども。
そんな人が暴力をふるうのか? って話で。

実は、いろいろハッと気がついたのはここ数年なのだ。
きっかけはとても単純。テレビだった。家庭内暴力で逮捕された人がいる。話の内容に耳を傾けてみたら、うちでも似たようなこと、なかったか? と。

そして、幸せになろうとしたら、思い出さなくていいことまで思い出した。
納屋にずっと閉じ込められたこと。
二の腕が腫れ上がるまで竹定規で殴られたこと。
足が立たなくなるまで、長い廊下の雑巾がけをやらされたこと。
生まれて来なければよかったのに、と何度も、何度も言われたこと。
1人になると繰り返し、繰り返し、昔の記憶がよみがえってきて、泣く。
夜になると特にひどくて涙が止まらなくなる。

そんな私に向かって、旦那さんは「不幸で居続けようとするクセがあるね」と言った。
いなくてもいいのに、ずっと不幸な場所に居続けようとする。
幸せなのにどうして不幸になろうとするの? 幸せでいいんだよ。
辛いところからは逃げていいのだと教えてくれて、手を引っ張ってくれたのは今の旦那さんだった。

あれ? 私は一人で勝手に幸せになってもいいの? と。

最近、昔の暴力を思い出して不幸になりかけたとき、似たような境遇の人と出会った。
その人が言ったのは「DNAを残したくない」という言葉。
どういう思いで言ったのかは分からないけど、私もよくそう思ったものだった。今も思っているのかもしれない。
子どもを生まないことが、親に対する復讐だと感じているのかもしれない。だとしたら、こんな気持ちを抱えたまま子どもを持つのも怖い。
今は私も、そしてかつて暮らしていた実家も平和なものだ。
でも、未だに中で誰かが暴力をふるっている。

昔、暴力を受けた人は大人になってどんなふうに生きているんだろう。
ちゃんと、自分は幸せになっていいんだ、って思ってるのかな。

でも、幸せになった途端に殴られたりしないかな。

私は、未だに幸せになることを誰かに許してもらいたがっている。

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