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太陽と空

早朝5時から仕分けのバイトをしていると、おそらく*6時をすぎたあたりから少しずつ、だんだん東の空が漆黒の黒から深い青へと変わっていく。作業に忙しいからじっと港で海の夕陽を眺めているのとは違うけど、屋外で作業していると気温の変化を敏感に感じる。ダウンジャケットと毛糸の帽子、手袋が必要な気温で働き始めるけど、体を動かしたり時間の経過と共にスウェットで十分なくらいに暖まってくる。太陽は偉大だ。光と熱を地球にもたらす。雲ひとつない東の空に日が昇ると、その日1日がそこからくっきりと始まる。だんだん明るくなる空、眩しすぎる東の空は見ていられなくなる。常温の荷物の仕分けが終わった後、冷蔵庫や冷凍庫の荷物を運んでも太陽がいるから寒くない。重たい荷物をマグロと呼んでふざけ合う大人たち。軽い荷物はカツオらしい。魚が出てくるのが日本らしいのか。マグロと聞くと100キロくらいだなと反射的に思うし、カツオと聞くとカツオのたたきの爽やかさと身軽さが自動的に思い浮かぶ。海のない内陸にいても魚な存在は身近にある。茨城県は海に面しているし。

12月の屋外は部活の朝練を思い出す。高校生の頃、水泳部だから夏限定だけど授業の前にプールで練習した。早朝7時ごろだったと思う。1時間くらい泳いで、その後通常の授業の合間に早弁して午後2時過ぎには解放されて放課後になる。夜間の学生が来るまでの数時間が再び部活の時間になる。夕方5時すぎには校門を出て昼間の生徒たちは帰宅する。高校生の思い出の多くがこの大阪の天王寺高校の思い出だ。高校は2つ通ったので両方の思い出があるのだが、最初に通った小倉高校の思い出は断片的だ。高校1年生の1年しか通っていないのだから仕方ないが、考えてみたらそれは昭和から平成への切り替わりのタイミングだった。今の今までそのことに気が付かずにいた。昭和と共に消え去る北九州、楽しかったけどさようなら。大阪で始まる平成時代は制服もない、校則のほぼない自由な高校から始まった。内ばきもなく土足の高校生活。プリントを落とすと真っ黒になったのを覚えている。床は道路より暗く汚れていた。ハイレベルな高校の受験英語に悪戦苦闘する日々。嫌いになったりはしなかったけど、赤点しか取ったことはなく、最後まで難しかったな。今、学習塾で英語を教えるためにはこのあたりのことを思い出してうまく展開する必要もあるのだろう。英語なんて話して通じればいいじゃないか、論文程度の簡単な作文できればいいじゃないか、からもうちょっとエレガントな英語へ。

それはどうやって解いてもいいじゃない数学の問題なんてから、中学生的に正解なのはこの方法、への転換でもあるし、I understand からI createへの道を進むことでもある。やらやれ、山を降りていくということは頂上を目指すプロセスとは真逆で意外と難解な問題だった。難しいことに気づいていなかった。どこへ降りていくかは頂上を目指すのとは違ってはっきりしていない。ただ降りるのではなく、どこへ向かって降りるのか、そしてどんなお店を広げるのか。それは旅と似ていて行ってみなければわからないし、試してみなければそれが好きかどうかもわからないという体験の旅だった。だったら楽しめばいいじゃない?というのがシンプルな答えだ。難しい解説は多分必要ない。世界はもっとシンプルだ。再び早朝の仕分けバイトに行って陽気なおじさんたちに会いに行こう。来週あたりにね。

*本当に6時かどうかは時間要観察

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