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今朝は雨だった

霧を夜中に見つけてワクワクした話を昨日書いたので、今朝は起きてすぐ南の窓を開けて外を調べた。運がよければまた霧を見つけられるかもしれない。残念ながらそこに霧はなく、かわりに雨が降っていた。まだ夜明けまで30分。外はまだ暗く、地面は雨で濡れている。時々車が通る音がして、地面が濡れているのが音で分かる。そして外の空気は雨のものだ。雨大魔王が降臨していた。正面の白い建物は銀行の支店で、私が利用することはないけどここはかなり便利な場所だ。市役所まで徒歩5分、駅まで8分、コンビニまで1ブロック3分。こちら側に筑波山はない。

雨と霧でなぜこんなに違うんだろう。どちらも水だし、あぁそりゃ違うわ。雨は雲で作られる。霧は地上で作られる。多分。昼と夜の寒暖差が大きいほどできやすいから程々に湿度が高く、内陸の寒暖差が大きい土地で現れるのだろう。東京とか横浜、千葉に住んでいた時は見たことなかった。

霧について調べてみると靄と霧の違いが解説されてる。どちらも水蒸気が微小な水滴となって浮遊していて視界が悪くなる現象。霞(かすみ)の場合は水滴以外の粒子によって視界が悪くなる場合も含む。霧は視程1キロ未満で靄は1キロ以上10キロ未満。濃霧は視程が陸上で100m以下海上で500m未満の霧のこと。まだまだ説明は続く。先日見たのも濃霧、霧、もや(靄)と名前が違うことがわかった。霧は近くが、見えなくなっている状態だから最初に朝起きて観測したのは濃霧。夜中に見たのは霧。電車から見たのは靄か霞のどちらか。用語を調べると、現象の違いははっきりする。定義で世界が区分される感じだ。気象現象を説明するのには便利だろう。だけどこれ朝起きて霧を見てワクワクした感覚が薄れてしまう。何故だろう?

実験とか観察で着目するのは観察者の感情ではなく、見ている対象の状態だからだ。そこには見ているという行為はあっても、見たものが大好きで食べてしまいたいといった感情はのっていない。そりゃそうか、感情が込められた論文なんてみたことない。感情表現について研究した論文や嬉しいバイブスがのったレターなんかは見たことがあるけど。

そうこうしているうちにちょうど夜が明けた。久しぶりに外へ散歩に行こう。1か月余り歩かないうちに冬になってしまったけど。外の空気は気持ちいいに違いない。


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