八重桜の話。

八重桜というものを知ったのは、この町に引っ越してきてはじめての春だった。

小学校に上がったばかりだった。ソメイヨシノは終わったのに、まだ校庭には桜の花弁がたくさん散っていることに気がついた。よく見ると、私の知っている5枚の花びらの桜ではない花が落ちていた。ぎゅっと濃いピンクの花は、お姫様のドレスの飾りみたいで、まだ屈託もなくおとぎ話に憧れていた私は胸をときめかせた。

花びらの道を追っていくと、学校の突き当たりの土手に出た。2年生と4年生の昇降口のすぐ側だった。そこにはフリルの桜の樹が、1列に並んで植わっていた。

八重桜という名なのだと知ったのは、それからそう経たない頃だったと思う。曾祖母が八重野という名前だったので、漢字もすぐ覚えた。お転婆だった私と妹をにこにこしながら可愛がってくれた、おもちゃを買いすぎて母に叱られた、大好きだった曾祖母の13回目の命日も、つい数日前に過ぎた。

この町に引っ越してきてから15回目の春だ。あれから私は大人になって、堂々と顔を上げて歩くのに気後れするようになってしまった。

中学時代の同級生とすれ違った。気づかれるのではないかと俯いて通り過ぎた。杞憂だった。当然だ。
髪を染めた。眼鏡をかけるようになった。このご時世だからマスクをしている。おまけにバイト帰りでスーツだった。今かなり親しくしている人間ではないと、私が私だと気づかないだろう。私がかつての私として思い出されない限り、私が過去に傷つけられることはもう、ない。この町で数年ぶりに息ができる気がした。

月やあらぬの歌は、「や」を疑問の意味で解釈する方が好きだなと、5年ぶりに物語を紐解きながら思う。高校1年生のときに1ヶ月かけて挑んだ作品が、もう水がつるつる流れるように読めてしまう。
ただ、「我が身ひとつはもとの身にして」は、通りがかった小学校で今年も満開の八重桜のことで、私じゃない。私じゃないんだ。

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