お茶、はじめよ。 #3 山は山だし、水は水だ

2回目まで書いて、早くも綺麗な三日坊主になりそうでした。
このnoteの目的といえば、お稽古で習ったことを覚えておきたくて始めたので、必要最低限でまずは続けてみようと思い、すこし内容を変えてみます。

あたらしく見つけたことベースにしてみることにするぞ〜。
今回は掛け軸、水指、炉縁、お花について。

・掛け軸 「山是山水是水」

最初の「水」よめなくない?

やまこれやま、みずこれみず。と読むらしい。読み方までは教えてくれたけれど、意味まではその場で教えてくれないから帰って調べてみた。

悟りに至らない段階では、山は山としか、水は水にしか見えない。
しかし、本来無一物の境地に至ると、一切が無差別平等となり、山は山でなく、水も水でなくなってしまう。
さらに修行が深まって悟りの心さえも消え去ってしまうと、山が山として水が水として新鮮に蘇ってくる。
ーー
山はこれまさしく山である。
つまり、山には山の個性があり、同様に水には水の個性がある。
その2つの個性がうまく調和し、自然を形成しているということ。
山が川になり、川が山になることはないのと同じように、
自分もまた人を羨んでみたところでその人になるはずがなく、
自分は自分、相手は相手そのままの存在を認めってこそ円満でいられるのだよという禅語
ーー
山は山として、水は水として完結しているの意
山なら山を認識した瞬間、山は山であり、美しいの青いのと後念を接がないならば、山の本質をそのまま山として認めることができる。

掛け軸倶楽部 https://www.kakejikuclub.com/hpgen/HPB/entries/204.html

一見むずかしそうに見えるけれど、シンプルだ。
しっかしたった6文字でこんなにも深みのある意味を表現できるなんて、漢字っていいよね。毎週の掛け軸は絵とかじゃなくて、禅の言葉がいいかもしれない。

まず自分は山であるのに、他人を羨ましがって水になろうとしない。自分は自分の役割を全うするのだ、ということはいつも戦ってる。東京は羨ましいことばかりだもの。

その先の役割でない本質的な存在としての認知はまだまだ辿り着けそうにない。全てのことに意味を見出そうとしてしまうからだ…。この茶道のお稽古だってそう。もっと素直に受け取れるようになりたい。

水指 「大口 (おおくち)」

おっきいやかんみたいなやつ

大口は、口が大きいところから大口と呼ばれ、「おおぐち」ともいいます。

大口は、昔は一旦漉した水を大口に貯え、それを水指や釜に移し替えたといい、利休形の水漉は大口にかかる寸法にできています。

大口は、如心斎が席中に水指しとして用いたと伝えられ、表千家では春先のころ置水指として用いられます。


ここの大口は蒔絵のミール貝があしらわれている。朱色で飾られていて、蓋を開けて横にそっと置く際に見え隠れしてうつくしい。

(※ まきえ:漆器の表面に漆で絵や文様、文字などを描き、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を「蒔く」ことで器面に定着させる技法)

おばあさまが「ミール貝は春の貝ですものね。わたしも先週ははまぐり食べたわ。」と話してくれた。

僕も千葉まで行ってミール貝をいただきましたよ、と返す。

年齢関係なく旬の食べ物をいただくことは尊い。ミール貝の話ができる場所が近くにあってよかった。

「高校生の時からお茶をクラブで習っているの。マンションでやっているようなお茶は時間制限があって、人のをゆっくり見られないから上手くならないのよね。」とおばあさま。ちょっとだけツンツンしてる。おばあちゃんってそういうところ、あるよね。

・炉縁 遠山

なんとね、茶釜のお湯をわかす炉の縁も変えられるんだって。そんなこと考えてもなかった。

遠山といって、遠くに見える山々が少し霞んで見える様子があしらわれているデザインだ。

山々をじっくり見ていると、風の吹く高原で佇んでいる気がしてくる。春のまろやかな風に包まれて、きもちがいい。

・お花 卯の花

本当はインターネットの拾い画なんかじゃなくて、自分の目で見たものを、写真で残せてたらいいんだけどね。茶室に一眼持って入っていいですか、なんてまだ先生に言える雰囲気じゃなくて。


お点前ができるようになってから、勇気を出していってみようかな。

今週のお花は「卯の花」。初夏のお花らしくて、先生も「ちょっと早いんだけどね、まぁいいや」と口癖の「まぁいいや」でどうにかしている。

卯月(4月)に花が咲くから卯の花というそうな。だとしたら昔の暦的にはぴったりで粋な提案なのかもしれないね。

お花は金曜日にお稽古に来ているお花屋さん?の方が持ってきてくれるそうだ。毎週違うお花が立派な花入に入っているのを眺めるだけでお稽古していて良かったなあと思う。


今日はいつもより長めに居残りをして、最近同じくらいに入った女性二人組と初心者同士、先生に見てもらった。

お茶碗を粗雑に扱うたびに、

「なんのためにお茶をやってんだ!
居酒屋のおっちゃんじゃないんだぞ!」

と叱られる。

「自分がやるだけじゃなくて、他の人のお点前を見てなきゃダメだぞ!」

自分で基礎を作らないと人のお点前を見ていても体に入ってこないよね。結局はお稽古の場で覚えるのではなくて、日々の中での反復がものを言うんだよね。

最後に、水屋と呼ばれるお茶道具を洗って準備する場所があるのだけど、雑巾で水回りを拭くところがちょっと二郎ぽくて笑ってしまった。

思えばジロリアンの方々ってどこか去り際美しいものね。

おしまい、また来週〜。

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