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1年目の答え合わせ

ライフプランをよく考える。24時間365日くらい考えている。目的地はどこに設定したのか、そこへちゃんと向かっているのか、現在地を見失っていないか。最適なゴールも、最適なルートもないことが明らかになってしまった今こそ、手探りで進む。

我が家のカーナビはあてにならない。父親がよくカーナビを無視して、”何のためのナビゲーションだよ”と思った。ナビのことを不便に思った。方向音痴である私はナビのことを信頼している。だからこそ裏切られた時の憎悪も人一倍だ。すぐさまスマートフォンでマップを開き、二刀流で目的地へ向かう。”何のためのナビゲーションだよ”と思っている。

面白い方向へ向かう習性がある。それが進行方向なのかは分からない。迷子なのかもしれない。道のりを記録した結果、ゴールから遠ざかっていたとしても実はどうでもいい。自分で進むから楽しいのだと思う。おんぶに抱っこじゃ途中に何があるのか見ることはできない。

予定よりも早くブログを始めた(ほら、プランなんてもうあてにしていない)。
人生100年時代を自由に生き抜くための道標。
10年後に答え合わせをするための道標。

1年経った現在地を確認する。

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『心を燃やし、最前線に立ち続ける臨床家になる』

新しい発見と課題を絶えず見つけること。より少ない手数でより良くできるように。時代や環境に物申す評論家ではなく、目の前の人のために全力を尽くすのみ。1日8時間近く、患者の身体に触っている。パズルを解くように最適解を探している。一番やっていることは誰にも譲れない。この手を信じている。

この一年で副業が本格的にスタートした。これも予定より早まった。きっかけは最寄駅にできたレンタルスペース。「今だ」と言って飛び込んだ。多くの先輩が「いつかやる」「そろそろ始める」と言って、ただ時間が過ぎていくのを見てきた。そうなりたくないと思った。大きな準備より、まずは小さな一歩を。頭では分かっていても、体が動かないこともある。頭が重くなる前に、体が動かなくなる前に、とりあえずやってみる。勇気は待っていても湧いてこない。動いているうちに漲るものだ。

病院にいれば患者は来るが、病院の外に出たらそうはいかない。機能障害の治療だけではなく、その人の人生がより良くなるように、出来ることや求められていることを色々と仕掛けていきたい。そのための拠点ができたこと、そしてそこで戦っていける真似事ではない臨床論を持てたことがこの一年の自分なりの成果だ。この武器をまた一年間研ぎ澄ませていく。

『自然に学び、真理を探究し続ける研究者になる』

知りたいことを知るために、人が作り出した知の道具を揃える。冒険したいステージがあるならば、それに見合ったレベルや経験値が必要だ。やむを得ないが急がば回れだ。人は探究し、学び、何かを創る。その贅沢な遊びに参加したい。未来のために道を拓きたい。

臨床家の見えている世界を符号化するために知らなくてはいけないことが山のようにある。限られた時間の中で、全速力でやってたったのこれだけ?と自分を疑う。本当にやる気あるのかと。情報もテクノロジーも現在進行形で発展しているなかで、業界丸ごと取り残されている気分。みんな本当にこのままで良いと思っているのか。

世界は線形じゃない。身体は機械じゃない。切り分けて引っ付けて、足りなければ何かを足して。それで事足りるならこんなに悩んでない。

それだけのことなのに、私達の身体はどうも物事を”簡単”に知覚し、認知し、認識してしまう。生存のために備わった機能が時に邪魔をする。対抗するために私達は学ぶ。

実績は未だゼロ。反省点から目を背けない。やってこなかった自分が悪い。見て見ぬふりをしない。

『同類の魂を共振する作家になる』

一年でブログ、note、クラブ広報など、合わせて50近くの書き物を書いた。散文、エッセイ、ショートストーリー、読書感想文、活動報告、脚本、台本、記事。単純に何かを書いていると落ち着く。ちょっとした文章でも誰かに届き、反応があると嬉しい。

まだまだ荒削りだけど、文章が自己表現になると気づけた一年だった。次に試したいこと、書いてみたいことがたくさんある。文字、音声、映像。焦らずに丁寧に届けていけたらいい。

臨床や地域活動を通して、たくさんの人の生活や人生に立ち会える。それを創作に活かすことができる。この手が届かない人にも、文字や電波に乗せて、自分の学びや知恵を届けたい。

止まり木はなにも一つじゃなくていい。

『英語を学ぶ』

昼休みに英会話を始めて、かれこれ9年くらい続けている。どうしても惰性でなんとかなってしまっている感があるので、目的を再確認する。勉強方法から見直す。特にここ最近はChat GPTのおかげで独学でもやれることが幅広くなった。目指すは国際学会でのオーラル発表。今年は発音の修正を頑張りたい。

『数学を学ぶ』

高校数学から大学数学へ、行ったり来たりを繰り返している。こればっかりは仕方ない。背伸びしてもしょうがない。やりたい解析も処理も機械がたくさん助けてくれるからこそ、アルゴリズムをちゃんと理解したい。昔から解けない問題が出てくるとそこで立ち止まってしまう性分だ。効率の良い人は飛ばしたり進めたりするなかで、どうしても考えてしまう。大人になっても同じことを繰り返すということは思考回路がもうそうなっているのだとも思う。が、もう少し要領良く学びたい。昔ながらの見慣れたコクヨのノートに書き込む。アナログの勉強方法に切り替えることで学習効果が高まった。行ったり来たりは正解で、その過程を残すことが学習なのだと思う。人工言語を研究道具としてちゃんと使いたい。

『読書を習慣化する』

やりたいことがたくさんある中で、気づけば本屋に行っているし、本も増えている。”習慣化”なんて心配ご無用だった。デジタルで読んでも「なんか違う」のが十二分に分かった。改めて色んな本や論文を読んで納得もした。子どもの成長や教育のためにも、自らアナログで学ぶところを見せたい親心もある。

本屋に行き、本屋の匂いを感じながら、ふらふらするのがやっぱり好きだ。

本を読まない日が続くと急にジジイになっていくような恐怖があった。外見がジジイになるより、中身がジジイになっていくことの方が嫌だ。読書は”脳の全身運動”らしい。今は仕事が終わって20分の帰りの電車時間を読書時間にあてている。長時間読む必要はない。たったの1行でもいい。読んだ後に思うことがあればそれでいい。それくらいの気持ちでいい。次の一年はもう少し読んだ本から学んだことを共有できるようにしたい。自分と違う意見が聞きたい。先人の知恵を貪欲に取り込みたい。

『身体を鍛える』

仕事と性格上、健康第一主義である。リハビリ技術の中でも療法士の身体機能や身体能力が反映されやすい業務である。自分の身体を評価道具、治療道具として考えた時に、思考を含めた鍛錬は欠かせない。休日早朝にランニングをしていたが、週二日がちょうど良い気がしている。心拍数を高めよう。睡眠、運動、栄養が有機的に結びついている。説得力のある健康を実践する。

『家族に還元する』

全員が元気なうちにできることは限られている。祖父母、親、パートナー、子。使えるお金や時間は平等ではない。後悔のないように過ごそう。

『地域に広がる』

昨年度は年に1回の健康講座に加えて、連続3回×3期の別講座を新たに企画した。さらに行政との連携でリハビリ専門職の講師派遣という形で市の高齢者向けに2回の講座を行った。こちらは市役所に勤める理学療法士の方と共に企画するところから始まった。地域には課題だらけだ。やれる事なんていくらでもある。合計12回の講座を通して地域に種を蒔く。参加者がまた、その学びを自身の生活や集団に持ち帰ることで活動が広がることを実感できた。

ピラティストレーナーと共に立ち上げた勉強会が発展し、ワークショップを2回開催した。こちらはまだまだ始まったばかりだが、同じ悩みを抱える者同士、コミュニティを形にして、大きくしていきたい。

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これがこの一年で自分で歩いた道。

言い訳なんて一つもない。

邪魔者なんて一人もいない。

自分がやるか、やらないか。

約束の答え合わせまであと9年。


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