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ご無沙汰ご無礼そしてご挨拶



ヨーリーや真喜屋さんならいざ知らず、まさか師匠からまで豆腐の文章に返信が来ることに驚いております。つまりはそれだけ「島豆腐という存在の大きさたるや」だということを痛感する次第であります。

沖縄のことに関心のない師匠が十年以上前に俺が島豆腐密輸したエピソードや、その後に師匠もヨーリーと一緒に島豆腐食ったことすら忘れてることなんか、あまり驚きもしないんです。
だから、あの日の飛行機代を立て替えてくれたことと、それを俺が返済したこと忘れてくれてて、むしろ俺が師匠の飛行機代を立て替えてたくらいに記憶が混濁して、俺に飛行機代払ってくれなきゃ面白くないですね。

そのことの方が重大であって、もはやどういう風に店で豆腐が乗ってるとか、些末な始末であります。大事なのは、ハッシュタグにもなってる


#武富一門


という単語であり、その意味の不明さに比べれば全ての事象の不可解など、とるに足らない不明瞭さでしかありません。

師匠であるあなたは説明できるでしょうか?武富一門とは何の一門であるかを?武富一門とは何を師弟に伝えるべきかを。
その辺はもう二十年以上も、余人からとやかく言われてきたので、弟子の俺からは答えたくありません。というか、「答えたくない」ということが俺の解答であり、それが全てだと思っています。

つまりは「不可解」。これに尽きます。

それはもう、豆腐や草履に“島”という言葉を冠する意味がないように、我々が二十年以上やってる活動と呼べない活動もまた、結果として、ハッシュタグが着くような事業となったわけであります。
師匠は忘れていると思いますが、俺は昔問うたことがあるんですよ。武富一門について。
その都度違う答えが返ってきたし、すごくくだらなく力強い人生の糧となってるので、あまり人には言ってないんですけど、まぁ、世界平和のためとか、そういう理由をつけることにして、公開することにいたします。


「なんとなく」


そこに何の意味があるか。わからない人は何も成し遂げることはできません。
何もない。教えることは何もない。それを学ぶのが武富一門なのです。

岡本太郎が沖縄の神域を冒してまで学んだ事象を体現していた武富一門。しかし、信仰において重要な“無”も、師匠が信仰の対象にならなければ意味を持つはずもなく、それこそ無用でしかない、という最高に無意味でナンセンスな集団をあなたは作ったわけで、そういう意味で普通の人に出来ないスカスカなイカれポンチな頭脳をあなたは誇るべきなのであります。

そういうわけで、大概のことはまぁ、どうでもよくて、ジョー・ダンテのスペイン語版の研究本を読めないのに買うべきか悩むあなたの姿を見て弟子たちは育つわけであります。
どういう風に育つのかはわからないけど。つまりはスカスカでいいじゃないか。余白こそ美なり。

この字を書くためにイラストアプリまでダウンロードしてしまった。うーん、実に労力の無駄としか言いようがない。


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