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失われていくもの守られるもの



沖縄では古くから「二月風舞」にんがちかじまーいと呼ぶこの時期、寒の戻りとともに風が吹き荒び、古き時代の言い伝えの正確さを思い知る今日このごろです。
那覇軍港の移設が予定されている牧港の“かーみじー”のことに言及していただき嬉しく思います。前にも沖縄の石と巨石信仰について書いた書簡でも触れましたが、沖縄に於いて古くから巨石は信仰の対象とされてきました。
あのかーみーじーもまた、「亀の瀬」が転じてかーみーじーと呼ばれ信仰の対象となった場所です。
ヨーリーが書いていたようにアフは青の意味で、海辺にある巨岩奇岩はアフなるもの。神聖な物としてすべからく信仰の対象となったようです。
それは那覇の三重城や奥武山がそうであるように、奥武島もまたそうです。海辺にある島。巨大な岩。それらは神聖であり、犯すべかざるものであったはずでした。
しかし、人の営みは変わり、信仰は廃れ儀礼的なものになると、信仰の対象への敬意すら薄れ、それらが失われることにすら関心を持たなくなってしまう。そういう悲しい事実を浦添への軍港移転問題は突きつけているように思えてなりません。

亀の瀬と書いてカーミージー。タイトルの写真もそう。スッポンのような頭を突き出した亀のような独特の景観。ここに那覇軍港が移転する。軍港を作るなら当然、この岩を残すようなことはないだろう。


浦添という地名はもともと「浦襲い」であり、琉球神道の太陽神から王権を賜る王権神授を政治的な後ろ盾にし、さらには中国から冊封を受け王権を承認させ外国からの権威付も同時に行うという、琉球における王朝政治のスタイルを確立させたのが浦添であり、そのことを「おもろさうし」から発見し、首里王府は所詮は浦添のアイデアの流用でしかないことを喝破したのが伊波普猷でした。
神歌の記述から、琉球神道の起こりと政治との結びつき、そしてそのことが国家の起こりとなり、さらなる巨大な王朝を作る礎となったことを、伊波普猷はほぼ独学に近い形で探り当てました。
その偉業と運命的とも言える知遇。そして、伊波普猷が発見した「おもろさうし」の世界に魅せられ、数々の文化人たちが沖縄を訪れ、この地の文化の発展に寄与してきたことすらも、もはや過去の遺物として忘れ去られています。
前にも書きましたが、浦添城址の側にある伊波普猷の墓の横にある顕彰碑は、保存状態が悪く東恩納寛順の献辞すら判読しづらい有様です。



大切にすべきものが蔑ろにされる。その根底にあるのは信仰の欠如にある、と前記しましたが、では現代における信仰の形の一つがパワースポットなのではないか、と考えることがあります。
そこに行くだけでご利益が得られる。他人に自慢できて優越感に浸れる。そんなお手軽な承認欲求を満たすアイテムとしてパワースポットは機能しておりますが、そんなパワスポ化をしてインスタ映えの名所にしてしまえば、いざ無くそうとしてもそれを惜しむ人がいて簡単にはなくせないのではないか、ということすら考えてしまいます。

沖縄本島北部にある奇岩はパワスポとなり、インスタスポットとして有名で、こんな看板まで立てられています


と、そんなことを考えながらも昨日は娘と一緒に受水走水(うきんじゅはいんじゅ)に行ってきました。奇しくもヨーリーが書いていた東御廻(あがりうまーい)で拝む場所の一つです。この場所からほど近いヤハラヅカサに神が降り立ち、琉球に稲作を伝えたという伝承があり、最初の穀物が育てられた場所が受水走水とされています。
この場所は琉球の稲作発祥の地として、南城市の教育委員会が管理し、毎年旧正月に田植えが行われます。今年も、20日前に植えられたであろう青々とした稲たちが小さな田んぼの中で鎮座していました。
機械を持ち込んで田植えなど出来ない地形ですから、人の手で毎年田植えを続けていることが容易に想像出来ました。こんな面倒なことを続けている人々がいて、そのおかげで千年近く前から続く神話の伝承がなされている。そのことを娘に伝えました。


受水走水の後に、やはり東御廻の拝所となっている垣花樋川に行き、娘と水辺を眺めました。ここは夏に来た時に多くの家族連れがプール感覚で水遊びをしていて、水場が泥まみれにされていましたが、冬のこの時期は荒らされることもなく穏やかで澄んだ水をたたえていました。
水草が繁るその様はまるでミレーの“オフィーリア”が身を沈めていた泉を見ているかのような美しい情景でした。美しい景観を堪能し、この水が受水走水に流れて稲を育てていることを娘に説明し、水場を去ろうとしたその時、娘が水場の近くのクレソン畑の中にシリケンイモリがいるのを見つけたのです。
シリケンイモリは清流にしか生息できない絶滅危惧種で、俺も小学生の頃以来、三十年以上ぶりに見ました。垣花樋川の水の美しさから、もしかするとここならイモリもいるのではないか、と思ってはいましたが、何度か訪ねても見かけることがなかったので、もう人里には生息していないものだと思っていました。それが、目の前に現れたのです。

「このイモリがここにいることは、皆がキレイな水を守ることで成り立っているんだ」

そんな、当たり前のことの大切さを娘と語り合い、水場を後にしました。彼女が大人になり、この水場に自分の子供を連れてくることがあるなら、その時にまたイモリと再会できる事を祈りました。
失われていくものの儚さに思いを馳せながらも、守り継がれているものの逞しさに希望を託していきたい。そんな想いにさせられた一日でした。

下のイモリは娘が。上は俺が描きました。


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