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74.MIHOMUSEUM訪問雑記

おはようございます。
キンモクセイの匂いがしてきた。好きな季節になってきた。


今日は、昨日のMIHOMUSEUM訪問について感じたことを書いていく。
おそらくMIHOMUSEUMそのものについてのことはほとんど書かないような気がするから、気になる人はぜひご自分の足で。




・『人生、登りあれば、下りあり』を身を持って知る

もううん百回聞いたことのある格言だ。僕はまさに、MIHOMUSEUMへの道中で身を持って体験してきた。
行きは、登りがずっと続いていくような山道を自転車でひたすら漕いで行った。坂の斜度から受ける影響は徒歩も多くあると思うが、自転車はその数倍にもなる。
ゆえに、登りも下りも坂道を十二分に感じられる。
ゆえに、この格言がいつも以上に身体全体に響く。
辿り着ける自信はあったので、心が折れそうになる事はなかったが、さすがにこの登りがずっと続いたらしんどいな~と思うことはあった。
でも大丈夫。
格言のように、下りはやってきた。行きの中では、8割くらいは登りだった気がするが、2割くらいは下りだった。そして、帰りはその比率は逆転し、登りが2割(体感的には1割未満)、下りが8割以上だった。
なるほど、チャラになるんだと、勝手に納得した。行きの登りのしんどい時も、心の中で、「大丈夫、いつか下りがくるし、なんなら帰りはえげつないくらい楽やぞ」と言い聞かせていた。
実際にそうだった。

そして、人生もおそらくそういう風になっている。
苦しいとき辛いときもあれば、楽しいとき嬉しいときもある。登りの時もあれば、下りの時もある。人生山あり谷ありなのだ。そして、トータルでだいたいチャラになる。ような気がする。

大事なのは、この法則を心にとどめておけば、登りでしんどい時でも希望を捨てずに、前を向いて進んでいけるということだ。
さらにこの考えをモノにすれば、登りの辛い状況でさえ、楽しむことができるようになる。と思う。

反対に、先に楽なことがきたら、あとあとしんどい状況が待ち受けていることは覚悟しておかなければならない。これも山あり谷ありの法則だ。
これも知っていれば、備えあれば憂いなしモードでだいたい大丈夫だ。

でも、この格言をみんな知っているはずなのに、なかなかうまくいかない時がある人も多いと思う。それは、言葉を覚えていて、知っているつもりになっているだけで実際にはわかっていないからだと思う。

どうすれば、わかるようになるのかというと、自分の身体をもって理解するしかない。

なので、自転車で山を攻めてみる。それで、人生登りあれば、下りありを理解できるはず。


というかなり飛躍した結論に収まったけど、あながち間違ってないと思ってる。
大体の物事って、人生の縮図やし、それを自分勝手に当てはめていくことがおもしろいかもしれない。


・心の中でひたすらツッコみ続けることと

これは僕なりの美術館の楽しみ方だけど、けっこうおもしろいし、頭使うし、良い感じに疲れる。
そもそも芸術作品って意味不明なモノ多いし、埋蔵物とかみてもよくわからない。
特に、陶器が一番意味わからん。
知識があれば、アカデミックな楽しみ方もできると思うけど、まだそこまでの領域には全然達していない(いずれはその楽しみ方もしたいと思っている)。

わからないから、面白くないと、美術館巡りを諦めがちだけど、僕の中では芸術を理解できるようになりたいという想いが小さい頃からずっとあった。
なんであの絵がそこまで評価されるんや?と何度思ったことか。
海外放浪の時も含めて、それなりに美術館を巡ってきたつもりやけど、結局いまいちよくわからなかった。


ただ、いつの間にか、ひたすら展示品の突っ込みどころを探してみるということを自然にやるようになった。
海外の美術館とかでは説明書きも大して読めないし、英語で書かれてても読むのめんどくさいしで、作品を眺めることしかできなかったことが要因だと思われる。

展示品を上下左右斜め360度舐めるように見尽くして、突っ込みどころを探す。
すると、けっこう「なんやねん、これ、ほんま意味わからん」という部分が見つけられるようになる。そこからは、想像と妄想を繰り返す。
これが結構自分にハマった。


例えば、
「これ、意味未明やけど、○○みたいやな」
と何かに似ている部分を探す。

これはけっこうおもしろい。
格式高いと思いがちな芸術作品や歴史的な物が一気に滑稽に思えてくる。
で、その滑稽に思える感覚っていうのが大事で、これができれば、作者やその時代の人たちの想いを少し想像できるようになる。

もしかしたら、作者も作品を作りながら、「なんかようわからん形になってもうた。まあええや」と思って作った作品が、今になってたまたま展示されているだけかもしれない。
もしかしたら、その時代の人たちが「○○さんが作ってるやつ、気持ち悪くて意味わからんよな~?」みたいに噂話が話題になって、たまたま有名になっただけかもしれない。

あとは、「なんで、ここにこれついてんの?」とか「なんで、こんな形なん?」とか探そうと思えば無限に出てくる。

エジプトのエリアにあった、ハヤブサの頭をした人物の像とか、神聖な何かを象徴してるのだろうけど、ほんまにいみがわからないし、わらけてくる。なんでハヤブサの顔やねん。あと椅子に座ってて、両手が別々に動いてるように見えるけど、就活の面接で、緊張しておどおどしてるようにしか見えなかった。

みたいな感じでてきとうに自分勝手に突っ込んでたら、頭も回転するし、おもしろくなってくる。案外見る目が養われるかもしれないし、いろんな視点を持つ事ができるかもしれない。
また時代や背景や住んでる土地も全く違うけど、作者も見る人も同じ人間なんだなと思えてくる。


あとけっこう大事にしていることとして、最初に展示品の説明書きは見ないという事。エリアの入り口にある説明書きは全体のテーマとか概観を知るために最初に目を通すけど、個々の展示品の説明書きは最初には見ないようにする。
まずは、真正面から展示品と向き合って、印象を感じ取り、つっ込みどころを探す。突っ込みまくって描いた想像と妄想が落ち着いたところで、説明書きに目を通す。
すると、「ああっ、なるほど」とか「いや、ぜんぜんちゃうやん」とか「いや、その説明はちゃうやろ。絶対俺の方がおもろいし」とか、正解のない答え合わせをすることができる。
もちろん専門家が書いた説明書きだから、ある程度の科学的信憑性はあるし、リスペクトはするけど、ただそれが100%あっているかどうかなんて誰にも分らないし、解釈は個々の自由だ。

とはいえ、後半はだいぶ疲れてきたので、先に説明をみて、なるほどと納得して足早に通り過ぎることが増えたけど。笑

やはり、人間は疲れると意味わからんものとは極力接したくないし、楽をしたくなるんやな、と思った。

だからじっくりと楽しみたいエリアは、絶対に先に行くべし。


あと、芸術ってよくわからんと思う人は、ブループリオドという漫画を読むことをお勧めしたい。マンガ大賞にも選ばれて、すでに有名だけど、超面白い。芸術って天才とか閃きがものをいう世界と思いがちてわ、もちろんそういう部分ものあるけど、実は綿密に考え抜かれていたりする。全然違った世界を知れるし、凡人でも芸術楽しめるやんと思わしてくれる。ストーリーもなかなか深くて面白い。ちょっとメランコリックだけど。



・たまに心に引っかかる作品があり、見つけると嬉しい

まず最初に作品と対峙した時に、一目見て「ああ、これなんか良い」と思う物が、だいたい1,2個くらいある。それは案外、メインの展示品であったり、有名な作品ではなかったりする。
誰もがスル―しそうな、小さな作品に自分の心が引っ掛かった時は、気持ちよくなる。この作品に出会うために今日自分はここに来たのかもしれないと思わしてくれるような作品。


・「時空を超える」の意味を少し知った気がする

時空を超えるってよく言うけど、どういうことかっていまいちわかってなかった。カッコいい言い回しやけど、どういう時に使えるのかもよくわかっていない。今でもそうだけど。

ただなんとなく、時空を超えるの意味が少しわかった気がする。

まず、時空とは?
時は、時間で、
空は、空間のこと。
辞書にもそう書いてある。


じゃあ時空を超えるとは?

それは、想像に他ならないと思った。
展示品を見ることを例にとると、
説明書きにはBC20世紀からAC6世紀までに作られたもので、さらに世界各地の物があった。
途方もなく昔に、また今時分がいる所から果てしなく遠い地で作られたものが、現代の自分の目の前にある。

そうすると、物はただ、時間の流れに身を委ねてきた結果として、現在の自分の目の前にあることになる。
それだけでもだいぶロマンチックで面白いのだが、物が時空を超えるというのは何か変な感じがする。



では、時空を超えるとはどういうことか?
超えるという表現になんとなく、何かに対して向かっていったり、抗うようなイメージがある。
ではなにに抗うのか?
時間と空間に対してだと思う。
では、どうやって抗うことができるのか?
想像する。
想像してみることで時間的空間的な流れに逆行することができ、それが時空を超えるという事だと思った。時空を超える主体はあくまで、自分。


紀元前20世紀はどんな時代だったのか?
どのような場所で作られたのか?
どのような人にどのような想いで作られたのか?
どのような社会情勢でどのような境遇だったのか?
作者に家族はいたのか?
貧しかったのか、お金持ちだったのか?
どういった背景があり、作品を作ったのか?
素材は当時はどのような価値があったのか?
手法は、当時は最先端だったとしたら、今のバズるみたいな現象が起こったのか?
その物はどのような旅をして、今時分の目の前にあるのか?

などなどを作品を通して想像してみる。作品に関わりそうなあらゆることを想像してみる。
想像して旅しだすとキリがない。
これが時空を超えるという意味で、無限大に自由だなと思った。


・無駄なことはなく、全てはすべてに繋がっていると改めて感じる

時空を超えるのには想像力が必要だが、プラスで歴史的な知識や現場での経験があれば、その精度が高まり、さらに楽しくなる。

僕は、高校の時に世界史で勉強したこと、2016年に海外を放浪した経験、あとは歴史小説などの本から記憶しているものなどから、想像に繋がるものがけっこうあった。
自分の足で訪れ、目で見て、考えた経験と知識があれば、それをきっかけに想像はさらに広がり、分野を超えてあらゆるものと繋がっていくんだと感じた。
そして、自分の中の知識と経験に裏付けされることで、さらに想像の確度が上がるような気がした。


当時はただただ受験勉強のために勉強していたけど、少なからず覚えていることや印象に残っていることはある。また海外放浪の経験も、なんの役に立ったと聞かれれば、正直回答に困るし、自分でも何のため行ったんやろうと思う時もあった。でも、少しずつその知識や経験がいろんな物事と繋がり始めている感覚はあるし、美術館を楽しめることはその最たるものだと思う。

今までやってきたことは、全く無駄ではないし、全てに理由がある。
全てはすべてに繋がっていると、かのレオナルド・ダヴィンチも言っていたし、僕の好きなオアシスのリアム・ギャラガ―も言っていた。



その瞬間は無意味に見えて、無駄かもしれないと思うことでも、その無意味なものは自分の知らないところで徐々に根を張り、ある日突然芽を出すことがあるかもしれない。

特に若い時にはあらゆるものに触れて、自分の目で見て、耳で聞いて、五感をフルで活用し、自分の頭で考えることが大切だと改めて思った。
いろんなところに種を蒔いておくことが大事だ。
そして、いつの日かふとした拍子に何かと繋がることがあると信じる。
人生は、早いうちに種をばら蒔いたもの勝ちのような気もしてきた。
26歳。まだいける。





と、ずらずらと感じたことを思いつくがままに書いてみた。

まだまだ知らんことだらけで、楽しめる余地があることを知れて良きかな。

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