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【WEEKLY留学記㉑】(1/28~2/3)

ニューヨークに来てから、「アート」や「デザイン」といった言葉に出会うことがよくあります。クリエイティビティ溢れるアーティストたちが世界中から集まり、共鳴し合う街だからかもしれない。どれもはっと息を吞むような、発想の斜め上を行くアイデアばかり。

これまで出会ったことがないそんな真新しい衝撃があると、「あれ、アートって何なんだろ?」、「デザインって何なんだろ?」って、後ろから頭を叩かれるかのように、原点に立ち返って考えさせられます。分かっているようで、ちゃんと言葉にするのが意外と難しかったりします。

そんな衝撃を受けた例を一つ。

ホタルのお尻やオワンクラゲが光るのと同じメカニズムで、渦鞭毛藻(うずべんもうそう)という藻のある一種にも生物発光の機能があります。その微生物が持つ機能を活かし、照明や広告に使う従来の光を取って代わることで、電気を使わない社会を目指すプロジェクト(ニューヨークのコロンビア大学と、スペインのセリビア大学の共同研究)がニューヨークにあります。

そんなことを先日、大学の生物でもなく、都市設計でもなく、アートの授業で知りました。生命科学とアートの融合という文脈での紹介でした。

これを書いている僕のこれまでのバックグラウンドには芸術の「げ」の字もなく、アートやデザインに関しては全くの初心者であります。専ら勉強してることと言えば、細胞の中で起きていることを調べる分子生物学です。

なので、今日、アートやデザインついて書いていく内容も、ニューヨークに来てから大学の授業で聞いたことや本で読んだこと、美術館の中で見たことや感じたこと、をもとにしながらも、初心者なりの視点から考えたものでしかないです。The fact(事実)と捉えずに、An opinion(意見)として読んでもらえたら幸いです。

言葉の定義

本題に入る前に少しだけ、言葉の定義をしなくちゃいけない。なんせ曖昧な概念をこれから一緒に考えていくわけですので。(定義は大辞林を参考にしています。)

【アート】
芸術。美術。         
げいじゅつ【芸術】
特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動、およびその作品。建築・彫刻などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・舞踊・映画などの総合芸術に分けられる。
びじゅつ【美術】
美の視覚的・空間的な表現をめざす芸術。絵画・彫刻・建築・工芸など。
【デザイン】
建築・工業製品・服飾・商業美術などの分野で、実用面などを考慮して造形作品を意匠すること。
おうようびじゅつ【応用美術】
芸術としての美術を日常生活に応用することを指し、この過程をデザインという。

どうも、英語の「Art」は日本語よりももっと広い概念をカバーしていて、日本語の「芸術」や「美術」と一対一の対訳関係ではないみたいですね。

辞書の定義をまとめてみると、「芸術」には「美術」が含まれており、その「美術」を実生活で利用することで「応用美術」という概念が生まれ、その応用の過程を「デザイン」というらしい

そして、この「デザイン」には、ファッションや建築から、都市計画、工場の管理システムまで含まれており、どれも僕らの生活とは切っても切り離せない関係で、それほど遠くはない身近なトピックであるような気がします。

しかし、これらの定義は、概念たちを整理しやすいように言葉でカテゴリー分けをしたようなもので、実は僕が本当に欲しい答えではない。

それらの性質や可能性が知りたいのです。さらに言えば、生体分子や微生物を勉強している学生の立場からアートやデザインを眺めた時、それらと生命科学が融合する境目に注目しながら、それぞれの本質的な性質社会を楽しい方向へ変える可能性を見つけたい。

まず美術(アート)と科学から見てみましょう。


美術と科学の交差点

絵画、彫刻、建築などを含めた美術分野と、天文学、物理学、医学などを含めた科学分野は、常に互いを影響し合いながら発展してきました。

対極と思われがちな、人類文明の二大巨人にも共通するところはたくさんあります。その中でも僕が思う一番大きい共通項は、対象物をじっくりと「観察し、分析する」ことだと思います。

三つのトピックを例にして、美術と科学の共通項を見ていきましょう。


ルネサンスを例に

ルネサンスの成立は、美術史の中で大きな出来事でした。

フランス語で「再生」を意味する「ルネサンス」。ヨーロッパ社会に広がっていた禁欲的な中世キリスト教の考えを改め、「神」ではなく「人間性」に重きを置いていたギリシア・ローマ時代の文化を復興させて、人間のありのままの姿を表現しようという動きです。

そんなルネサンス時代の三大巨匠と言われるうちの一人、レオナルド・ダ・ヴィンチ。

『モナリザ』や『最後の晩餐』など、数々の有名な作品を残し、芸術家として知られていますが、音楽、建築、生物学や天文学などにも携わっていて、「万能の天才」だったと伝えられています。

特に、解剖学の分野。

人間のありのままの姿を表現しようと、じっくりと鋭い目で観察した人体の解剖図は、現代の理解とは少し乖離がありながらも、今日の医学の教科書の説明イラストの使われているぐらい正確なものです。

人体は美しい。

そう言えば大学一年生の秋、薬学部の授業で人体の解剖実習があり、医学部の3年生がメスやピンセットを使って、組織の間にある脂肪を取り除きながら神経と血管を整理しているところを、隣で黙々と見ていました。腐敗が進まないようにホルマリン処理した後の献体でも、マスクを通り抜け鼻を突き上げるような匂いがしたことを今も覚えています。

当時(15世紀終わり~16世紀始め)は今の時代ほど換気扇や空調システムは発達しておらず、ダヴィンチはきっと湿気と悪臭と闘いながら、それでも気が遠くなるぐらい長い時間をかけて組織の細部まで目を凝らし、忠実に見たものを記述したと思います。

「神」という外的基準ではなく、個人の感情や価値観を含めた「人間性」という内的基準が、美しいかどうかを決める。それがルネサンス時代に起きたパラダイムシフトでした。この定義に沿えば、人体解剖の描写も生命の美しさを反映するものなので、れっきとしたアート作品だと思います。

もう一枚ダヴィンチの作品を。

これはダヴィンチは晩年(56歳)の時に書いた『聖アンナと聖母子』という作品です。

繊細な描写で表す柔らかい表情だったり、濃淡が織りなす背景の奥行きだったり。やっぱりじっくり観察する目を通しているからこそ出来上がる作品だと思います。今はパリのルーヴル美術館の所蔵されているようです。


後期印象派を例に

ルネサンスから4世紀後の19世紀の終わりごろ、印象派という画法が生まれました。印象派の出現はその後の美術に大きな影響を与え、近代絵画の出発点になったと言われています。

印象派は、繊細な筆使いで光と影を表現しようとする画法です。クロード・モネの『印象・日の出』は印象派の名前の由来となる代表的な作品ですね。

たしかに、優しい雰囲気で、落ち着く。今はパリのマルモッタン美術館で展示されているようです。

ちょうど同時代に、光や色を研究する色彩論が発展しました。その学問の発展に貢献したある面白い科学者がいます。

フランスの化学者、シュヴルール

彼は元々を色彩を専門にしていたわけではなく、動物脂肪の研究をしていました。高校化学で「バスオリレン」と語呂合わせで覚えた高級脂肪酸のうちのステアリン酸やオレイン酸を発見、分離、命名したすごい人なんです。これらの研究は後のろうそく製造業を進歩させたと言われています。

シュヴルールは化学研究をしていた傍らで、フランスの伝統織物(ゴブラン織)を作る工場で工場長を勤めていました。しかし、色の仕上がりが悪いとの苦情が寄せられたことで、色の組み合わせを科学的に研究し、色彩調和論なるものを展開しました。

話を印象派に戻しましょう。

当時の、いわゆる印象派に属する画家たちの色の使い方が、恣意的(気ままで自分勝手)だと批判的に考える画家がいました。それがジョルジュ・スーラです。

彼は、先ほど紹介した科学者シュヴルールが提唱した色彩調和論などその時の最先端の色彩理論、光学理論を学び、印象派の美学を科学的に推し進めていこうとしました。(マクスウェル方程式で知られる古典電磁気学の父、マクスウェルの論文も読んだらしい。)そして、その動きは新たなジャンルを創り上げ、新印象派もしくは後期(ポスト)印象派と呼ばれるようになりました。

観察を通して光と色を分析し、論理的に色を配置したスーラの代表作が『グランド・ジャット島の日曜日の午後』です。

少し上にスクロールして、モネの『印象・日の出』と比べてみてください。全然雰囲気が違うと思います。スーラの絵を拡大してみると、無数の点が隙間なくかつ重なりなく連なっているのが分かります。きっとそれがこの絵に透き通るような爽やかな感じをもたらしているような気がします。

ほぼ同じ時代に生きたモネとスーラの作風が全然違うのは、観測の対象物と分析の評価基準が違っていたからだと思います。モネはきっと対象物を、そこにある風景だけではなく、自身の心情やその時代の世間の雰囲気をも視野に入れており、また、美しさの判断基準はもっと主観的で感情的だったはず。一方、スーラはそこのある風景にさらに一歩踏み込んで、普段気にしないような光や色の性質にフォーカスを当て、美しさの判断基準を、もっと客観的である科学的に裏付けられた色彩理論においているのが分かります。


ちなみに、上の『グランド・ジャット島の日曜日の午後』は完成品であり、今はアメリカイリノイ州のシカゴ美術館で展示されています。この作品を仕上げるのにスーラは練習を重ねに重ね、習作と呼ばれるものを多数残し、そのうちの一点はニューヨークのメトロポリタン美術館で展示されています。

『グランド・ジャット島の日曜日の午後(習作)』@メトロポリタン美術館

後期印象派の時代(19世紀終わり~20世紀始め)はまさに、緻密な観測と分析によって科学とアートが融合した時代だと思います。


遺伝学の発展を例に

もう一つ、美術と科学の交差点を見つけることができる例を生命科学側から紹介したいと思います。

今日の現代遺伝学に至るまでの発展を見ていく前に、キリスト教の旧約聖書の最初の書、『創世記』からの引用を少し見てみましょう。

20 神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。
21 神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。
22 神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海たる水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。
23 夕となり、また朝となった。第五日である。
24 神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。
25 神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。
26 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
(中略)
31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

中世のヨーロッパの思想家や研究者は、あらゆる生物の「種」は神が創ったもの、というキリスト教の教えを忠実に信じていました。

そして、その考えが徐々に覆るようになるのは、チャールズ・ダーウィンによる進化論の提唱を待たなければなりませんでした。

ここから遺伝学が芽生え始めます。

太平洋上に浮かぶガラパゴス諸島は南アフリカ大陸から遠く離れて隔離されており、ここガラパゴス特有の生物が数多く生息していたようです。ダーウィンは1835年にここを訪れ、そこに棲む生物、特にダーウィンフィンチと呼ばれる小さな鳥から進化論のヒントを得ることになりました。

ダーウィンはガラパゴス諸島の各島を周り、フィンチの種ごとの生息スタイルや形態上の特徴をスケッチと共に事細かに記述したそうです。そして、その観察を通して、自然選択がどう進化に結びつくかを『種の起源』という本で体系的に説明しました。

ダーウィン(1809~1882)と同じ時代に生きた偉大な生物学もう一人います。遺伝学の父と呼ばれ、中学校の教科書でも必ず出てくる、グレゴール・メンデル(1822~1884)です。

メンデルは約15年間、エンドウマメの交配実験をひたすら繰り返し、種子の色、形や背の高さといった目に見える形質(表現型)を注意深く観測しました。そして、それらを数学的に解釈し、メンデルの法則と呼ばれる古典遺伝学の根幹となる一連の法則を発見しました。

ダーウィンもメンデルも何がすごいかって、当時はまだ、遺伝に関わる物質が何なのか全く特定できていなかった時代でした

1858 – ダーウィンが『種の起源』を発行.
1866 – メンデルが『メンデルの法則』の発見を発表
1869 – ミーシャが細胞核から核酸(DNAもこれに含まれる)を単離
1952 – ハーシーとチェイスがDNAが遺伝物質であることを証明←ここでやっと
1953 – フランクリンの力を借り、ワトソンとクリックがDNAの二重螺旋構造を解明

遺伝現象を解明するに手掛かりなんてないに等しく、また宗教や他の学閥からのも圧力ものしかかる時代に、やっぱり緻密な観察分析が、今日に至る遺伝学に黎明をもたらしたと思います。

改めて、先人たちは本当にすごい。

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ここまで、美術(アート)と科学の交差点を見てきましたが、書いてみて初めて気づかされたこともあります。

一つに、どちらも(アートもサイエンスも)社会にパラダイムシフトを起こし、新しい時代を創り上げる力あるんだなと思います。そして、そのパラダイムシフトを起こす人物はそれまでの歴史で誰よりもある物体や事象を観察し、世に送り出している人なんだなと。

一方、美術と科学の違いはというと、基準となるモノサシの違いかなと思います。

美術を含めたアートが、それ自身「アート」として成り立っているかどうかは、個人の主観的な感じ方によって裏付けられると思います(少なくとも今日の時代は)。「美しい」と誰かが思えば、それはもうアート。一般的に理解が難しいと言われるモダンアートは特にそのはず。

一方、科学が「科学」として裏付けるために使われるのは、誰かの感情や受け止め方ではなく、数学を軸とした理論だと思います(少なくとも自然科学は)。生物分野もどんどん数量化することを求められ、僕自身も数学の重要性を実感している日々です。


少し壮大なテーマなりましたが、まだ半分ぐらいしか書きたいことを書けていません。

今週はアートと科学が交わるところを考えましたが、来週はこの続きで、そしてもうちょっと範囲を狭めて、「デザインとバイオテクノロジー」について書いていきたいと思います。

最後まで読んでいただいて本当にありがとうございます。良い一週間を!

君に幸あれ!!!