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平野啓一郎『マチネの終わりに』の終わりに。

悲劇的に仕組まれたようにも思える偶然が重なってできた世界を、ひとは愛することができるのだろうか。

「ああこれが唯一の結末じゃない、他の可能性もあったように見えるのに」と思いながら一回きりのその先の世界を、強さを保ったまま生きていけるのだろうか。



『マチネの終わりに』という小説を読んで、読み終わって、そんなふうに思った。

長めの小説を読み切ったのは『蜜蜂と遠雷』以来だろうか。

印象的な小説だったので、感想を書こうと思う。



1.『マチネの終わりに』あらすじ

主人公の蒔野聡史は若い頃から非凡な才能を発揮し続けてきたクラシックギタリストだった。彼はある日行われた演奏会後、少々の自分の心身のコンディションに違和感を覚えつつ自分を支えるスタッフたちと食事をしていた。

その場には著名な映画監督である父を持もち、自身は戦地・イラクで取材を続ける小峰洋子が同席していた。

会食の中で、ふたりは些細な会話のやりとりから互いが自分にとって非常に大切な存在であることに気づく。洋子には既にフィアンセがおり、その夜はただ皆で食事をしたというだけの記憶になるはずだったのだが…。


これがほんの導入部分で、そこから先ふたり及び周りの人々の運命がぐるぐるとうねって混じって悲喜劇が展開されます。

それは時に、意図的に仕組まれた形で。
それは時に、完璧に偶然に思える形で。

一筋縄ではいかない荒波の中を壊れそうになりながら必死で駆け抜けたふたりが、マチネ(昼の演奏会)の終わりにたどり着く場所とは―。

そんな感じでしょうか。サラッと述べていきましょう。

2.主題は「運命」「偶然」「受容」か

この小説中では、登場人物たちが自分たちの今置かれてる状況を俯瞰的に見るシーンが何度も描かれています。

例えば「○○を愛していない自分はどこかに存在しているだろうか」「ここではないどこか違う分岐先(違う世界線、とでも言えばいいのか)では、自分たちはどのように生きているだろうか。」といったような描写が多いということです。

自分が今いる現実を相対化して、「…だったら、」と想像することは年齢とともに精神的な負担が増すような気がするのですが、どうにも作中の登場人物たちはそこに執着があるようです。

年齢とともに負担が増すのは、生きている時間が長ければ長いほど分岐の数が増すと考えられるからです。僕は20代ですが、40まで生きていれば今よりもっと多くの幸不幸を経験するだろう、というのは想像に難くありません。

(noteで自分より先輩の人々の記事、特に日記に近いものを読むと感じさせられるところでもあります。)

そこが作者・平野啓一郎さんが問いたいところだったのだろうか。

中心人物たちは30代から40代なかばくらい。男性も女性も精神的なはたらき、例えば想像する力や共感する力が段々深まるのと反比例して肉体的な力が落ちてくる頃でしょうか。

高校生くらいまでの真っ直ぐに何かを思う気持ちを恋慕しつつ、「しかしそれだけでは…」と精神的な成熟を願い行動するような状況が多く、複雑な気持ちになります。救われないような言動も特に中盤以降多くなります。

この物語を少々単純ですが気持ちのアップダウンでとらえるとするならば、最大のダウンは小説の長さ的にちょうど真ん中くらいにあります。
しかもそのダウンには、「単なる偶然」では済ますことができないようなある人物の言動が含まれています。

大破局が人為的なものによって起きるか、自然的なもので起きるかはその大破局の評価に大きくかかわると思うのですが、今回は人為的なものです。

ちょっと胸にどす黒いものが流れます笑

で、登場人物たちはその容易にままならない現実を目の前にしてどうするか。
そこから更に「ここではないどこか」をも見据えた上でどうするのか。

ひとつ対処を誤れば、心に傷を負い体調をひどく崩してしまいそうな場面で、彼らは諸偶然の中から選ばれた(必ずしも主体的に「選んだ」というわけではない)運命的な現実を、その場に踏みとどまって受け入れようとするのです。

その様が一方で痛々しいのですが、他方人というものの容易に折れたり投げたりしない底力をも感じます。

彼ら彼女らが踏みとどまる様子を見てひと呼吸して、「さて、では今この本を読んでる僕はどうだ」と問いたくなる、というか問わざるを得ません。

や、だからあんまりやらないレビューとか次の朝にこうやって書いてしまってるわけです。
振り返らせる力が、考えさせる力がある小説です。

あと、平野啓一郎さんの「分人」という考え方に興味がある人はぜひ読むといいと思います。この小説は人物たちの心情理解や描写に分人の考え方が応用されています。

「誰かを愛せないことよりも、誰かと一緒にいるときの自分を愛せないのがつらい」というような描写がありました。自分の人格を唯一無二の不動のものと捉えずに、接する人によって自然に変わるものと捉えるのが「分人」という考え方だったと思います。

今作はそういった人格理解を踏まえて、そういう人間たちが偶然性や運命論と対峙したらどうなるかを描いてる感じなので…はい。

非常に読み応えがありましたが、文中は程よくウィットにも富んでおりスラスラと読めました。


心の余裕がある時にぜひどうぞ。


3.まとめと雑感

結構な悲喜劇が織り込まれているにもかかわらず、最後まで一気に読めました。平野啓一郎さんの書いたものを読むのは初めてでしたが、人間の内面を複合的かつ外的な要因を通して見事に描く筆致に唸りました。

内面のドラマだけでもきついのに、そこにイラク戦争や人々のショッキングな言動も絡めるものですから参ります。

またこれは非常に個人的な感想ですが、宮本輝さんの『錦繡』という小説の読後感とよく似たものを感じました。あの物語は過去の(またしても)破滅的な出来事によって離れ離れになった男女が、書簡で過去を整理したりや心情を吐露したりする内容で、それはそれできつかったのですが…。

あれは大学の時ふられたときに読んだんだっけ。懐かしい。

なんとも言いようがない悲劇にさらされた、人間は強い。社会的な復帰とかは脇においておくとして、その生きてるだけで非常に強い。

彼らがその後の人生を生きるのを虚構で体験するのは、読む我々にとって負担ではあるけれど彩りをもたらすこともあるのでしょう。







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