なぜか失われるもの〜カテゴライズ問題〜
はいどーもです。
『やわらかな日本酒リテラシーを求めて…』のお時間です。
ホントにねえ、今の今まで気づかなかったんですが…。
ここまで「通称酒ラテです!(๑•̀ㅂ•́)و✧」とルンルン気分で言ってたんですけど、
「酒ラテ」じゃなくて「酒テラ」じゃない?????もしくは「酒リテ」???
っていう…なんかもう「酒ラテ」でいですか?
「酒テラ」だとなんか微妙に語呂が悪い…。
ってことで、酒ラテの時間です。
昨日言ったカテゴライズ問題をちょいちょい考えてゆきます。
カテゴライズがどうなってるか、どうしたらいいかなどなど論じるべきものはたくさんあるのでしょうが今日は一番気になっている点に触れておきます。
「カテゴライズすると、当たり前の感覚を見落としがちになる」という点。
カテゴライズは、言うまでもなく便利です。
日本酒で言えば「純米酒」「純米吟醸」とか、「爽酒」「薫酒」とかかなあ…。
初めて見る人でも、そこに添えられたかんたんな説明書きを見ることで特徴が理解できます。
「お米を磨いてるから、雑味が少ない」、「爽やかであっさりとした味わい」…とかね、みたらちょっと知らん分野の商品でも選べそうな気がします。
…ってくらいのね、こういう参考にする分にはそれほど害がないのですが。
これがちょっと行き過ぎると、例えばこんな意見が出てくる。
「え?同じ純米酒なのに味の感じ違わない?」
「爽酒なのに爽やかじゃない」
「お店のおすすめ通り自分の好みっぽいのを選んだのに全然好みじゃない!」
↑こんな状態になったこととか、なってる人を見たこととかありませんか?
ここにはなかなか大きな問題が潜んでいると思うのです。その名も!
カテゴライズって、そもそも分けられないものを分かるために便宜的になされているはずなのにそれが定着するとはじめの「分けられないものを分けている」という事実が忘れ去られてしまう問題!!!(長)
です。
ざっくりいうと純米吟醸ってくくりで純米酒のくくりとおんなじような味わいの酒ってあるし、飲み方によって爽酒にも薫酒にもなる酒ってありますから。
もっとごっちゃごちゃなはずなのです。一番はじめの状態は。
けど商業的な理由とか、あと税制上の理由とかでカテゴライズがなされる。
するとカテゴリが独り歩きをし始める。
というか人々がそこに「カテゴライズされてるということはなんか共通の本質があるのかな?」というふうに見始める。
それが激化(?)するとさっき述べたように「カテゴライズあてにならんじゃん!!!」みたいな事態になるのです。
や、そうです。
カテゴライズはあてにならんのです(無茶苦茶)。
だってそれは他人の基準ですからね。
爽酒薫酒云々ってただの官能評価(誰かの五感に基づいた評価)でしょうし。
そんくらいの気持ちで接したほうが楽しいと思うのです。イライラしない。
これ、やっぱり掘り下げがいがあるかも知らない。
ということで、明日からもしばらくはこのカテゴライズ問題について書こうと思います。
よし、また明日〜。
酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。