見出し画像

本当の民主主義の敵は夢破れた老革命家 映画 ~Revolution +1~

先日ABEMA Primeで映画『Revolution+1』について議論が交わされていた。スタジオゲストは、元日本赤軍に所属していた本作の監督、足立正生氏。
このような風変りなオジサンが呼ばれる時は、ぶっとんだ意見が開陳され、楽しい楽しい言論プロレスが展開されるものと期待していたが、レギュラーコメンテーター達はしっかりとゲストの話に耳を傾けており、着実に議論が進んでいく。
映画の一部を観たMCの淳さんや、映画を終わりまで見た萌ちゃんや平石アナもフムフム顔をしている。

もしかしたら、この映画は社会にとって有益な問いを投げかけ、議論を喚起するコントラバーシャルな作品なんではなかろうか?
そう思い、正月で大阪に里帰りした折に、十三にある第七芸術劇場にて本作を鑑賞することにした。
映画館への道すがら歩いた、いかがわしいお店の看板に照らされた歓楽街は薄紅色に輝いていた。


仲が良くて性格の悪いご友人とご一緒にご鑑賞ください

まぁ、質の悪い映画である。
いきなり、ディスりからはじめてしまった。
人によっては「こういう書き始めならば、あとで称賛する流れになるのではないか?」と深読みをされるかもしれない。
だが、そんなことはしない。
本当にディスるだけだ。
なので、この映画を面白いと思った方や、本作の関係者の方はすぐさま「そっ閉じ」してほしい。

じゃぁ、なんでそんな意地の悪い記事を書くのかというと、この映画が、安倍晋三氏の暗殺をいち早くとりあげた作品であり、なおかつその脚本・監督の足立正生氏は日本赤軍の元メンバーというコントラバーシャルなところがあるからだ。
世の中には、作品の出来が期待できなくとも、そういう作品なら、自分の考えることの血肉として、何か得るものがあるのではないかと期待を抱き、観るか観ないか迷う人間がいる。俺を含めて。
なので、そのような迷っている方に向けてこのレヴューを書きたいと思う。
加えて、この映画を撮影した足立監督の政策意図にも大きく疑問が残るので、それについても、いささか露悪的になってしまうが話をしていきたい。

では、まず率直に言って、何か得るものがあるかというと、たぶんない。
(ホラ、さっき「そっ閉じ」しろって言っただろ。この映画好きなやつはブラウザバックだ!)
内容の八割が山上徹也を模した川上徹也という男の独白であり、その内容も統一教会や安倍晋三元首相への恨みと、監督の偏った薄い思想を語っているだけなので深みがない。
面白いところや見どころはないのかと言われると答えに困るが、何かにツッコミを入れたいときに、いいサンドバッグになってくれる、というところだろうか。
この作品は、演技や演出、カメラワークが拙くて、音楽も存在感が妙に強いし、脚本も無理やり感があるところが多い。
なので、そういうシーンが来たら鋭くツッコミを入れて、スカッと気分爽快になってほしい。
ひとりで心の中でつっこんでいるのではものたりないかと思われるので、仲がよくて性格の悪いご友人と一緒に鑑賞することをお勧めする。

時代に追いつけない革命家

川上徹也(≒山上徹也)の生い立ちや犯行に及ぶまでの心の有様を、殆ど独白だけで描いているのだが、それだけで映画を作ると「俺の子供の頃に、父が自殺し、兄が小児がんを患い、母が統一教会に入信し~」みたいなことを延々と喋り続けることになる。
独りごと製造オジサンがいるだけの映画だ。
(二人の会話シーンもあるにはあるのでそれについては後述する)

独白で吐露されている心境で、山上の考えと大きく異なるところは、川上は安倍元首相の暗殺を果たすことを「星になる」と述べているところだ。
「あいつ(安倍元首相)のことなんてどうでもいい」などと嘯きながらも、自分の人生の不遇の原因を安倍元首相に求め、また良家に産まれた元首相に嫉妬の念を抱いている。
部屋の壁を安倍氏の写真でいっぱいにし、木に貼り付けた彼の写真めがけて射撃練習をする。
異様なまでの執着だ。
このような暗い感情に基づく個人的な復讐を、はたして「星になる」となぞらえることができるだろうか?

デジタル大辞泉(小学館)によると、星は「花形。スター。はなやかな代表者」という意味で用いられる。
巨人の星とか、スター錦野とかそいう用例だ。


つまり「星になる」とは足立正生監督が、かつて自分達の引き起こそうとした「革命」と山上の起こした暗殺を結びつけるために付け加えられた、バキバキに強い政治的な意図と見做すことが自然だろう。

山上本人も「政治信条に対する恨みではない」と供述している。

またTwitterを見ると、特定の政治的な立場に軽々しく賛同しようとする様子はない。

むしろ、この数々のtweetからは、英雄気取りの左翼的イデオロギーを安易に重ね合わせることが、はばかられるような、一個人の思考の痕跡が見て取れる。

山上が政治的な変革を求めたという解釈をしているのは足立監督だけではない。
国葬の推進派の中にも、この犯行を民主主義の否定との見る意見がある。
政府の調査による文書「故安倍晋三国葬儀に関する意見聴取結果と論点の整理」の中で、政治学者の岩田温氏は以下のように述べている。

「安倍元総理の国葬儀の意義は、民主主義の擁護を第一義とすべきである。選挙とは民主 主義の根幹だ。政治家が民衆に訴えている際、凶弾に倒れた。二度と繰り返してはならな い悲劇である。内外に対し我々日本国民は暴挙による民主主義の否定を許さないと旗幟鮮 明にすべきである」
「安倍元総理の国葬は政治家が凶弾に倒れたことに対する国民の憤りを表現した。吉田元 総理の国葬儀とは意味合いが決定的に異なる。選挙の最中に政治家が殺されることは、民 主主義の否定だ。暴力による言論封殺を絶対に許さないと内外に示したことが、今回の国 葬儀の最も本質的意義だった」

故安倍晋三国葬儀に関する意見聴取結果と論点の整理
https://www.cao.go.jp/kokusougi/kokusougi.html

暴力によって政治を動かすということは、立場を変えてみれば、テロにもレヴォリューションにもなりうる。
だが、今般の事件に関してはどっちもちがう。
政治的な目的があったと見ることは誤りで、この暗殺は山上の逆恨みだ。
結果的に自民党と統一教会の関係が一部露わになったが、革命めいたことなどなされていない。

革命家が政府と対決するという映像作品に、足立監督の盟友、若松孝二氏の弟子にあたる白石和彌氏の手がけた、『仮面ライダーBLACKSUN』がある。
日本赤軍のような革命を志した者たちの意思を、現代の若者がそっくりそのまま受けつぐという、夢破れた革命家たちの願望の具現化のような物語だ。
安倍元首相を模した人物が登場し、革命家たちの手で暗殺を果たすシーンが終盤にある。

だがしかし、現実では『仮面ライダーBLACKSUN』の配信前に既に安倍元首相は革命家ではない、いわゆる「無敵の人」の手によって暗殺されてしまった。
評論家の宇野常寛はこれを“反時代的なメッセージを提示して時代に抵抗しようとしたのだが、完全に現実に置いていかれてしまった”と論じている。

山上を模した川上という主人公に、革命の意図を持たせ安倍元首相を殺害させることは、まるで追い越されてしまった現実に革命の夢を追いつかせようとしているようだ。
けれども後出しじゃんけん的に独自の解釈を差し込んだところで、安倍元首相の暗殺を発端にして、統一教会と政治家との関係が暴かれたことは、足立監督をはじめとした革命家の手柄になるわけでもない。

だが、本作品は老人革命家の自己満足に留まらない恥ずべき作品であることを次に述べたい。

大丈夫?おっぱい揉む?

独白ばかりの『Revolution +1』だが、会話を交わすシーンがときおりでてくる。
それは決まって女性と喋るシーンだ。

まずひとつめは川上の自殺が未遂に終わって入院した時のことだ。
隣の病室に入院していた少女が、川上が宗教二世だということを偶然耳にする。
その夜、少女は川上のもとへと訪れ、自分の病室へと誘い込む。
実は少女も宗教二世であり、川上の身の上に共感していた。
そしてベッドの上で二人はTHE BLUE HEARTSの「未来は僕らの手の中」を合唱する。
川上は「他のみんなはB’zとかミスチルとか聞いてるけど、俺が共感できるのは甲本ヒロトだけだ」みたいなことを言う。
そして少女も「それわかる!」みたいなことを言う。
いや、オマエら甲本ヒロトを誰も聞いてないようなマニアックなミュージシャンみたいに語ってるけど、THE BLUE HEARTS好きなやつ、ふつうにイッパイおるからな。
そして少女は唐突に川上の唇にキスをする。さらには「抱いていいよ」とまで言う。
さすがに川上もびっくりしてセックスは断る。
ならばと女は「泣いていいよ」と胸を差し出す。
……ちょっとこの脚本、童貞が書いたんですか?どれだけ都合のいい女だよ?
これほどまでに「だいじょうぶ?おっぱい揉む?」を体現したシーンがあっただろうか?
作り手のヤリたい気持ちだけが先走っている。

次なる会話は川上が、手製の銃の試し撃ちを終えて自宅のアパートに帰り着いた時、隣に住む色っぽい女が無言でドアを開ける。
女はドアの枠にもたれかかってセクシーなポーズをとりながら川上をしばし見つめた後、ドアを閉めずに部屋の中へと引っ込んでいく。
ドアは入って来いと言わんばかりに開け放たれているので川上は女の部屋に足を踏み入れる。
部屋に入って二人は話し込む。女は川上の言葉にたっぷりと耳を傾けてくれる。
この女は革命家二世であり、今も活動家みたいな人たちとも多く関わりがあって、社会的な弱者になってしまった川上の考えを理解してくれる。
(この段階で川上は孤独な革命家として描かれている)
女は近いうちに開催する活動家仲間のパーティに誘ってくれる。
川上が「ピストル作ってるんだ」暗殺を仄めかすと、女は凶行に及ぼうとする彼の身を案じてなだめようとしてくれる。
またしても簡単に共感を得てしまった川上。

最後は妹だ。
川上は「話がある」と妹を砂利だらけの駐車場に呼び出す。
なんでこんな仮面ライダーが闘うような場所に妹を呼び出すのか?
兄妹が会って話すというシーンを自然に設定することすらできないの?
映画作家としての能力を疑いたくなる。
「何の用?」
妹は尋ねる
「用なんてないよ」
川上はつぶやく。
「じゃぁなんで呼び出したのよ!」
妹は怒鳴る。
ほんまやで。なんで呼出してん?砂利の駐車場に?
大学を卒業して着実にキャリアを積み重ねている妹に対し、川上はグチグチと文句を言い始める。
身内だからこそ口にできる甘えだ。
妹にとってはマジでなんの時間かわからないだろう。
川上は「俺だって星になる」みたいなわけのわからないことを言い出す。
呼び出された妹は呆れて帰ってしまう。
そのあとは安倍元首相の暗殺のシーンだ。
そしてその後、今度は妹によっての独白が始まる。
しかもおもいっきりカメラ目線になる。
この演出についてはABEMA Prime内で足立監督も「映画では禁じ手で、そういうことはしないんですけど、まあそういうくらい強く主張したかったってのがあります」と弁明している。
(演出や撮影の技法で言ったら他にも変なとこはいっっっぱいあるけどな!)
妹は語る。
「民主主義の敵は安倍さんのほうだよ、誰が考えても民主主義の敵を攻撃したのは兄さんだよ。だから私は尊敬するよ」
ついには、兄を否定していた妹も都合よく川上を肯定するようになってしまった。

足立監督は川上(≒山上)に自分自身を重ね合わせたと語った。
登場する女性がことごとく、川上のことを手放しで共感してくれる様を見せつけられると、革命の志も、権力への憤りも、結局はオンナが欲しいというという気持ちに結びついているようにしか思えない。
もちろん、しょうもない心情を描くことが目的なのであればそれでかまわない。
しかしABEMA Primeでの足立監督の意見を聞く限り、事件の容疑者を革命家として美化しようとしていることは疑う余地はないだろう。
だとしたら情けない映画だ。
本当に圧政下にある国家に於いて、検閲に怯え、命を懸けて創られた、自由を求める芸術作品と比べると『Revolution +1』はなんと個人的な欲望にまみれていることだろうか。
結局は酔いしれることのできる革命家の自分と、抱ける女さえあればよくて、社会をよくすることなんて1ミリも望んでいないのではないか?

民主主義の敵は誰か?

それはまさしく足立監督だと言いたい。
民主主義の社会の中で、暴力はもちろん行使されてはならない。
しかし民衆の中には暴力の可能性があることが仄めかされていなければならない。
為政者が民主主義のルールを破り、圧政を敷いて市民を苦しめ続けた時、最後の、最後の、最後の、最後にその怒りが暴力となって巨大な権力に向けられる。
このことを権力者と市民が相互理解していることは、健全な民主主義が営まれるうえでの必要条件だ。
無血革命だってこの相互理解が前提で実現される。

だが日本赤軍をはじめとした過激派は当時何をしたか?
言論の自由が保障され、選挙制度も機能している国で革命と銘打ってテロ行為を働いた。
民衆の最後の懐刀であるべき暴力を、極めて安易に振りかざした。
当時の学生運動家たちの中には、のちに企業の役員や国務大臣になった者もいる。
彼らのどこが虐げられた民衆だっただろうか?
裕福な国のインテリ坊ちゃんたちの過激派が起こした革命ごっこは、市民や彼ら自身の仲間を傷つけた。

それだけではない。
過激すぎた運動が、その後にシラケ世代を生み出した。

今日まで日本人を政治的に無関心にさせてしまった大きな原因のひとつは、彼らのような過激な活動家にあることはまちがいないだろう。
宗教団体を動員して選挙をコントロールしようとした安倍元首相は確かに民主主義の敵だ。
だが過激派はそれ以上に民主主義の敵だ。
暴力を行使したことはもちろんのこと、人々を政治参加から遠ざけたという点で民主主義の大敵だ。

そんなことをしでかした老人が、自らを省みることもなく、事実上テロリズムを礼賛する映画を撮り、承認欲求をこじらせてはただただオンナを求めている。
安倍元首相を民主主義の敵呼ばわりする前に、足立監督が自分自身の犯した暴力革命行為をどのように総括しているのか聞いてみたいものだ。

劇場を出て十三の駅に向かい歩く。
「お兄さん!これから飲みどうですか?」
信号待ちをしているとキャバクラのキャッチの人が声をかけてきた。
「いや、だいじょうぶです」
「そんなこと言わんといてください。ワンチャンだめですか?」
「また今度ね」
俺は歩き出し横断歩道を渡った。
女の子と酒を飲みたがっているだけの映画監督なら一人知っているけどね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?