見出し画像

ショートショートに花束を 1巻

〈前書き〉

 いつもお世話になっております。今はお休み([追記]先日、創作小説を再開しました)しているのですが、以前、ショートショートや掌編小説を書いていたサトウ・レンと申します。今は溜まった創作物をマガジンに雑に放り込んであり、お世辞にも省みられる状態になっているとは言い難いのが実情です。読み返してみると、拙いところばかりが目に付き、恥ずかしくもありますが、これから誰の目にも触れられず朽ちていく姿を眺めているのも寂しい……、

 ということで今まで創ったものの中からいくつかピックアップして、簡易のショートショート集を作ってみました。タイトルは阿刀田高『ショートショートの花束』にちなんで、「ショートショートに花束を」。好きなところから読めるように目次も付けました。一部すこし訂正を加えたのと、それぞれ最後に簡単な後書きを付けているのが、前回からの変更点となります。

 第一巻は、ホラー以外の作品でまとめました。青春、恋愛小説が中心になっています。

「ファーストフレンド・ラストフレンド」

 夏の終わりのまだ暑い午後、少年は見慣れない景色に飛び込んだ。すこし強い風が吹いて枝葉がかさかさと揺れている。その音に少年はかすかな不安を抱く。
 少年は辺りを見回すが、もちろん見たこともない場所でその先に何があるのかも分からない。先に行ったところで少年の求めるものは何もないだろう。それでも今日は学校からそのまま家には帰りたくない気分だった。
 すれ違う母娘が少年を心配そうに見ていることに、少年は気付いた。泣きそうになっていることを知られたくなくて顔を背ける。
「大丈夫?」と聞いた、少年よりもすこしだけ年上だろう少女の言葉を少年は無視する。大人に心配されるよりもそれはずっと嫌なことだった。
 少女のお母さんはすぐに察したみたいで、「さぁさぁ、ほら行くよ」と娘を急かした。
「だって……」
 少女のほうは納得行ってないみたいだったが、先に進むお母さんを見失ってはいけないと追い掛ける。ふたりの姿が遠く離れていくことを肌で感じる。
 手で胸を押さえて、ふぅ、と少年はゆっくりと息を吐く、と、突然!
 怒鳴り声のような音が聞こえた。その音の恐ろしさにそれまで抱えていた哀しみは脇に追いやられ、その音にのみ注意がいった。
 その音が聞こえてきたのは、和風の邸宅からだった。地元の名士が暮らすような……。貧しい暮らしをしている少年では一生住めないであろう立派なお屋敷だった。
 少年の住む団地にはひとり、政治家の娘でお金持ちのお嬢様が暮らしていて、少年はそのお嬢様のことがとても好きだった。その子はお金持ちであることを鼻に掛けたりはしないし、たぶん少年が遊びに誘ったらいつものあの笑顔で「うん!」って言ってくれるはずだ。ただそんなことを「金持ちは敵だ!」が口癖の両親が許してはくれないだろうし、そもそも少年にそんなことを言う度胸はない。
 こっそりと少年は生け垣の隙間からお屋敷の中を覗く。窓と障子が開け放たれていて、その先に布団にくるまり、苦しそうにしている人の姿を見つける。顔ははっきりとは分からないが、なんとなく老人のように見える。
 大変だ! 怒鳴り声じゃなくて、苦しんでいるんだ!
 少年は慌てて生け垣をこえ、庭からその人が寝ている部屋に入る。想像通り、かなり高齢の老人だった。少年の祖父よりもさらにふたまわりくらい年を取っているような雰囲気だ。
「大丈夫ですか!」
「み、水……」苦しむ老人は掠れた声で自分の背後を指差す。指の先にあった水差しと湯のみを少年は手に取り、老人のもとへと持っていく。
 水を飲んですこし経ち、老人が落ち着きを取り戻したことを確認すると、少年はその場から立ち去ろうとした。しかし背中越しに、
「待ってくれ」
 と呼び止められ、少年はおそるおそる背後を振り向く。怒られる筋合いはもちろんないけれど、不法侵入には変わりなかった。
「礼を言いたいんだ。すこしゆっくりしていってくれないか?」
「は、はい……」
 ずしりと重みのある低音に、思わず少年の声が上擦る。
「すまないな。妻はもう死んでいるし、息子夫婦とは離れて暮らしていて、な。家政婦は買い物中、と私ひとりだけだったんだ」
「そうなんですね。こんな広いお屋敷に、ひとり……あっ、ごめんなさい」
「いや、気にしなくていい。本当のことだからな」
「でも――」
「きみは、どこから?」
「隣のS町から」
「そうか、私も幼い頃はあそこで暮らしていた。子どもの頃は人見知りがひどくて友達なんてひとりもできなくてな……」
「本当ですか!」
「何をそんなに驚いているんだ。そんなにS町に住んでいたことがめずらしいのか?」
「あ、いえ、そうじゃなくて……」
 実は、と少年は老人に友達ができずに悩んでいることを話し始めた。大人にこんなことを話すのは初めてだった。この人になら分かってもらえる、と何故かそんな気持ちになった。いじめられているわけじゃないし、距離を置かれているわけでもない。ただ周りにとけ込むことができなかった。
「……そうか。友達がいない、か。まぁ無理して作る必要もないなんて、この年齢にもなったら思うが」
「でも嫌なんです!」
「そうだよな。その通りだ。今、言ったことは忘れてくれ。自分の子どものころのことを忘れてしまっていた。私も、欲しかったし、ひとりは嫌だった」
「うん……」と少年が頷く。
「これが解決策になるかどうか分からないが……」老人は少年の頭を撫でて、「きみを見ていると懐かしい感じがする。私の子ども時代の経験を真似てみないか?」
「経験を真似る……?」
「あぁ、私は子どもの時、きみと私くらい年齢の離れた友達を作ったんだ。どうだ。私と友達にならないか」
「お爺さんと友達?」
「嫌か?」という老人の言葉に、少年は首を横に振る。
「きみの名前は言わなくていいし、私の名前も言わない。来たい時だけ来ればいい。友達ができるまでの、友達だ」
「友達……」
「そうきみにとっては最初の友達で、私にとっては最後の友達」
「最初の友達と最後の友達」
 初めての友達ができた少年は、それから数日間、毎日のように老人のもとを訪ねた。そして同い年の友達ができた少年がその報告のために老人に会いにいくと、顔見知りになっていた家政婦さんから涙ながらに老人が死んだことを告げられた。
 少年は初めての友達の死に、一日中、泣いた。

 それから数十年の時が経ち、少年は老人と呼べる年齢になっていた。
 初恋を実らせ政治家の娘婿となり義父と同様に政治家となった彼の周囲には多くの人間が集まった。しかし影響力を失うと徐々に周りからは人が減っていき、最後まで心の底から愛し続けた妻との死別、息子夫婦との別居を経て、医師からの余命宣告。もう会うのは、この広い邸宅で共に暮らす信頼できる家政婦ひとりだけとなった。
 布団にくるまり、ふと過去の光景が頭に甦る。そうか、もしかしたらあの数日間だけしか会うことのできなかった最初の友達は、未来の……。
 そこまで考えたところで急に胸が痛み出す。苦しさでうめくが、家政婦は買い物に行っていて、家には今、自分ひとりしかいない。
「大丈夫ですか!」
 あぁ知っている。その声は、これから最後の友達になる……。

(後書き)

 黒野燁さんという優れたショートショートの書き手がいて、その方の作品に触発されて書いた掌編です。萩原朔太郎の言葉を持ち出すまでもなく、多くの人にとって創作自体は孤独なものですが、それとは別に、誰かの存在が巧拙を超えて〈何か〉を宿すことはあると思っています。この作品に巧拙以上の〈何か〉が宿っているとしたら、それは黒野さんの存在があったからとしか言うことができません。


「彼女がいなくなる日」

 細かな雪が衣服に付着したのを見てようやく雪が降っていたのだと気付いた。冷たい風と合わさって、今が冬だ、と強く実感する。四季の移り変わりは時期で判断するのではなくその時の情景や気温の変化で判断するべきだ、というのがぼくの変な持論なのだが、そういう意味では、今、ぼくの中で冬になったと言える。雪に対して幻想的な美しさを感じるひとは多い。雪国で生まれ雪国で今も生活を続けるぼくにとっても雪が幻想的に感ずる瞬間は確かに多々あるけれど、実際の生活の一部となってしまうと、幻想性を毎回感じているわけにもいかないし、強く吹雪けば厄介で危険な存在でしかない。
 冬になるとぼくのもとを訪れ、春を待たずに幽かな気配のみを残して消えていく女性の姿がぼんやりと頭に浮かぶ。白雪。雪国の冬に似合う名前を授かった彼女との再会の予感がした。胸が湧き立つような想いを白い息とともに吐き出しながら家路を急ぐぼくの姿を、すれ違う人たちはどのように感じているのだろう。家族や恋人のもとを目指しているようにでも映っているのだろうか。残念ながらそれは間違いだけれど、ぼくの待ち望むひとが大切なひとであることは間違いない。
 自宅のマンションの鍵を開けて中に入ると、やはり彼女はそこにいる。こんにちは。久し振り。消え入りそうな、しかし確かに耳に届く優しい声音だった。あぁ彼女だ。一年振りに出会う彼女は以前となにひとつ変わることなく、ぼくの目の前にいる。
 冬になると決まってぼくに会いに来てくれる彼女は、高校時代の同級生だ。あれから二十年近い月日が経って、ぼくもだいぶ老けてしまったなって思うけれど、彼女はあの日と同じままだ。美しさだけではない。儚げなほほえみの浮かべかたひとつ変わってくれない。そのことが変化を望むぼくを苦しませる。
 最近はどうしてる?
 何も変わらないよ。たった一年じゃ何も変わらない。君は?
 私? 実はあんまり覚えていないんだ。ごめんね。こんなこと急に言っても変だよね。いつも気付いたら、この辺りにいて、あなたに会いに行かなきゃって思うんだ。だから私、いつもこれを夢だって思ってるんだ。あなたに会いたいと思った私が見る夢、幻。
 夢でも会いたいって思ってくれたなら嬉しいよ。
 だからあなたのことを聞かせて。私には話せることなんてないから。
 ぼくは毎年のように行っている近況報告を彼女に聞かせる。あの子が結婚した、とか、あいつは今こんな仕事を新たに始めた、とか、そんな風に追加される話題もあるけれど、基本的にはいつも大して変わらない。
 ぼくは彼女が好きだったが、結ばれることはなかった。永遠に結ばれる機会は訪れないとも思っている。
 涙を流した後に見る光景のように彼女の姿はぼんやりとしている。
 高校時代、白雪がとけるように短い生涯を終えた少女がいた。彼女は今も自分の死さえも知らないまま、ぼくのもとを訪れる。何故、彼女がぼくに会いに来るのか、その真意は分からない。おそらく彼女自身、分かっていないのではないだろうか。
 その死を彼女が自覚した時、彼女は完全に現世からその姿を消してしまうのではないだろうか、と勝手に想像している。そのおそれから、ぼくは彼女にその事実を伝えられずにいる。
 冬の間しかともに過ごすことを許されない大切なひと。彼女がいなくなる日が来ないことを願いながら、触れることさえできない十六歳のままの少女との日々は、苦しくも甘い。

(後書き)

 切なさの残る幽霊物語(ゴーストストーリー)が描きたい。それ一心で紡いだ物語は想像以上に短いスケッチのようなものになってしまったが、存外、気に入っている。ホラー好きは意外と夢想家なのですよ!


「ラブレター」

「形式上のお墓なんて私には要らない。だけどひとりでいい、ひとりでいいから、毎年私の命日に私を想ってくれるひとが欲しいなんて言ったら、わがままかな」

 海辺に立つ白いワンピースの少女はいつも死のにおいを纏っていた。陽光に照らされた暑い夏の中で写された一枚の写真を、ぼくは肌身離さず持ち歩いている。これは遺影さえも持たない孤独な少女が確かにいたということをあらわす唯一の痕跡だった。写真の中で暑さを何も感じさせず、涼しげに微笑む彼女は自分の時間を自身で止め、永遠に色褪せることの無い自分を手に入れた。
 彼女の命日になると、ぼくは毎年、この場所を訪れる。彼女は死んだ日、ぼくとここを訪れたのだ。高校生だった彼女は本当に美しかったが、つねに他者を遠ざけようとしていた。ぼくを彼女に恋をしていたけれど、恋人同士になれるような関係ではなかったし、なろうというつもりもなかった。そもそもぼくたちの関係はそんなものではなかった。新米教師と初めての教え子という関係で終わるはずだった。なぜ、ぼくを選んだのか、ぼくにはもう知るすべがない。
 海水に手を浸し、こぼれないように水を掬う。「水って、気持ちいいよね。ほらっ」とぼくの顔にその海水を浴びせ、無邪気に笑う彼女が本当に死ぬなんて思ってもみなかった。
「今日、私、死のうと思って……」
「何、言ってるんだよ。そうやって教師をからかうな」
「嘘じゃないよ」
「死ぬ奴はそんな元気じゃない」
「それはただの一般論」
「なにか嫌なことあったのか?」
「うーん。嫌なことないと、死んだらだめなの。じゃあ全部、嫌」
「頼むから、やめてくれよ」
「ねぇ先生。私」彼女がもう一回、私の顔に水を浴びせる。思わず目を瞑る私にキスをした。「形式上のお墓なんて私には要らない。だけどひとりでいい、ひとりでいいから、毎年私の命日に私を想ってくれるひとが欲しいなんて言ったら、わがままかな」
「な、に、を」突然のキスに戸惑い、うまく言葉が出てこなかった。
「先生、写真撮ってよ」
 彼女が肩に下げていたのがカメラだとその時、初めて知った。困惑していたぼくは彼女の言うままにカメラを構える。
「分かったよ」ぱしゃり、というシャッター音とともに、彼女がひとつ息を吐く。
 ポラロイドカメラからゆっくりと写真が吐き出されていく。その写真を彼女に手渡す。「先生って、写真部だったんだよね。構え方が様になってる」
「写真を撮って欲しかったから、一緒に来いってことだったのか?」
「まぁ写真を撮ってもらうのが目的だけど、先生じゃないとダメだったんだ。さっきも言ったけど、私、今日死ぬんだ」
「だから、からかうのはやめろ」
「私が死んだら、毎年、私の命日に私を想ってくれる?」
「死んだら想う、だけど死ぬな」
「じゃあ、私の死を止めて。言葉で」と彼女に手渡した写真……それを今度は彼女のほうが、ぼくにその写真を突き出す。「この写真の裏に言葉を書いて。私の望んでいる言葉を。それが私の求めている言葉だったら、私は死なない」
〈何があったのかは知らない。だけど人生これからなんだから、生きろ〉悩んだ末に、写真の裏に書いた言葉は、とても陳腐なものだった。
「帰ったら、読む。そして決める。だけど先生、私なんで先生を選んだか、ちゃんと考えた?」
 その寂しい後ろ姿を見ながら、抱きしめたい欲求に駆られる。駄目だ、とぼくは理性を働かせた。いっそこの時、抱きしめておけば何かが変わったのだろうか。
 翌日の朝、彼女が死んだという報せを受けた。
 数日後、郵送されてきた封筒には一枚の写真が入っていた。写真の裏を見るとぼくの書いた陳腐な言葉の横に小さく、〈死に、理由を求めるなんてナンセンス!〉と書かれてあった。
 それからぼくは教師を辞め、まったく違う種類の仕事に就いた。多忙な日々で彼女を忘れようと努力したが、無理だった。毎年、彼女の命日になるとこの写真と一緒に、早朝に、あの海辺を訪れる。早朝を選ぶのはあまり人と会いたくないから。彼女の真意を考えながら、悲痛でうずくまる姿なんて誰にも見られたくない。
 しかし、もう過去とは決別しようと、今年は覚悟を決めていた。
 ぼくは写真を手に持ち、ゆっくりと水に浸す。流れていけ……そう願いながら、水に浸した写真から文字が浮かび上がる。水であぶりだされた文字に驚き、慌てて拾い上げる。

〈死ぬ理由はもちろんあるよ。だけど死ななくてもいいかなってことだったの。でも死んでもいいやとも思った。だけどもし先生があのキスで気付いてくれたら……抱きしめて私と一緒に生きたいって言ってくれたら、生きててもいいかなって思ったの。これ、いつ気付くかな。ごめんね。先生。私、先生が大好きだったから。生死の判断を先生に委ねてみようって思ったの。先生の性格を考えたら、これ以外に先生からの愛を勝ち取る方法がないかな、って。私、わがままだから。どっちにしても先生の心から永遠に消えない人でありたかったの〉

(後書き)

 最初の頃に書いた作品で、ホラーやファンタジー要素が多い私の作品の中では異色に当たるのかも……というか当初は自分っぽく無いな、と悔いることもあった。ただコメントを頂いたりした最初の創作小説で、改めて読み返してみると意外と悪くないな、と思えてしまうのが不思議です。


「公園にさよなら」

 ふらりと近所の公園を訪れる。久しく訪れていなかったその公園に、なぜ立ち寄ったのか、それまでの記憶がまったくない。生まれ育った街に昔からある公園だ。今でもこんなに遊具が揃っているんだ、と彼は不思議に思った。彼の記憶の中では、もう寂れた公園のはずだったのに。ジャングルジム、シーソー、ブランコ、鉄棒、ベンチ、砂場……しっかりと揃った公園は彼を童心に返らせた。ただひとつ違っているのは賑わっていたはずの公園に、今は彼しかいないことだ。
 最近は訪れていなかったが、昔は何かあるたびにこの場所に来ていた。ジャングルジムで友達と一緒に遊んでいた時に落ちてしまい、頭を打ってしまい、その日の夜に祖父に叱られて、一日中、泣いたっけ。小学校の校長をしていて、厳格な祖父だったらしいけど、このすこし後に病気で死んでしまい、実はこれくらいしか祖父との記憶が無いのであまり印象に残っていない。ただのんびりとした両親とは最後まで反りが合わなかったらしい。すぅっと、ジャングルジムの姿が消えたことに彼は気付かない。
 小学生の時、初めて家出をした。嫌いではなかったが、口の悪いという欠点を持っていた父が、仲良くなった彼の友達のことを悪く言ったことで喧嘩になり、雨の中、家を飛び出した。けれどどこへ行ったらいいか分からず、結局、公園のブランコに座り、ただ雨に打たれていた。もう意識が無くなりそうだと思っていた頃、探し回っていた父が広げた傘を差し出し、「ごめん」と彼を抱きしめた。そんな父は中学校に入るすこし前に死んでしまった。すぅっと、ブランコの姿が消えたことに彼は気付かない。
 中学校に入ると、好きな娘ができた。でも中学校で初めて会った女の子ではなく、昔から知っている幼馴染だった。それまでは、仲の良かった幼馴染、という想いが恋心に変化した、というよりは、ずっと抱えていた想いを恋だと自覚した、そんな感じだった。昔を懐かしむように訪れた公園で、ふたりで懐かしむようにシーソーに乗った。身体が大きくなっていた彼の側のシーソーが深く沈み込み、彼女が浮き上がる。彼女は楽しそうに笑っていた。夕暮れの誰もいなくなった公園で、彼は彼女に告白した。頷く彼女。大切な想い出だ。それもいつしか終わりを迎え、違う高校に通うようになってしばらく経った頃、ふたりは別れることを選んだ。すぅっと、シーソーの姿が消えたことに彼は気付かない。
 高校三年の冬、彼は大学受験に失敗した。勉強が特別出来た、とは言えなかったが、それでも彼なりには頑張ったつもりだった。地元の国立大学を受験したものの、試験の手応えがまったくなかった。それでも一縷の望みを賭けて、合格発表を見に行ったが、もちろんそこに名前は無かった。誰とも会いたくない気分だった彼は、夜まで繁華街をうろつき、その夜は家にも帰らず、最後に向かったのはいつもの公園だった。深夜の公園はとても静かだった。彼は特に意味もなく鉄棒に向かい、逆上がりをしてみた。それも失敗に終わってしまい、わけの分からない悔しさで涙が止まらなかった。経済的な理由で私立の大学へ行くことはできず、彼はフリーターの道を選んだ。それから数年経って、バイト先の会社で正社員に登用してもらえるのだが、フリーターとしての最初の一年はその勤め先で馘首最有力の無気力人間だった。人生のすべてに敗北したような気分を抱えている時期だった。すぅっと、鉄棒の姿が消えたことに彼は気付かない。
 三十歳手前になった頃に彼は結婚し、三十歳になると同時に子どもをひとり授かった。幼稚園に入った頃にはよく公園の砂場に連れていき、我が子の遊ぶ姿を微笑ましく眺めていた。ずっとこんな幸せな日々が続くと信じていた。だけど終わりは突然、訪れた。彼と彼の妻の性格は正反対だった。かつてはそれをお互いが尊重しあっていたはずなのに、とても哀しいことに、いつしかそういう思いやりは無くなってしまっていた。「子どものため」という言葉が効力を発揮できないほど、ふたりの溝は深くなっていた。そして離婚という選択とともに、彼は妻と子どもを失った。その後の妻だった女性と子どもにはただ幸せのみを望んでいるが、彼女が別の人と結婚したと聞いて以降は一度も会っていないので、その後のことは分からない。すぅっと、砂場の姿が消えたことに彼は気付かない。
 四十歳の時、母親が交通事故で死んだ。運転を誤ってガードレールにぶつかってしまったのだ。愛憎相半ばする関係と言えばいいのだろうか。一般的な、仲の良い親子ではなかったかもしれないが、それでも強い喪失感を覚えた。好きだった時期よりも嫌いだった時期のほうが長く、殺してやりたいと思ったことも一度では済まない。それでも母の死を知った時に溢れ出てきた想いは、感謝だった。そして深い悲しみだった。そんな感情に戸惑っている自分がいた。葬式が終わり数日経って落ち着いた頃、彼は遊具のほとんどが撤去された公園へ行った。ベンチに座り、泣いた。葬式ではほとんど出なかった涙が、とめどなく流れた。すぅっと、ベンチの姿が消えたことに、
 ようやく彼は気付いた。公園にあったすべてのものが消えていることに。
 そこはもう更地になっている。
 そして自分が忘れていた一番大事なことを思い出す。いや最初から忘れてなんていなかった。ただ自覚するのが怖かった。
 俺は、もう死んでいるのだ。
 死を自覚した時、すぅっと、彼の姿が消えたことに彼は気付かない。

(後書き)

 ラストの場面が書きたいがために創った作品です。今になって読み返してみると、拙く思える部分が多いけれど、結末に関して言えばかなり気に入っている。そんな愛憎半ばするような作品。


「永遠の片想い」

 地元の国立大学ではなく、両親を強く説得してでも東京の私立大学へ進学を決意したのは、風光明媚という褒め言葉以外に褒めるところがないこの田舎町を嫌ってのことではない。嫌ってはいなかったけれど、離れたい、とは思っていた。
 ぼくを必要してくれる、ここではないどこか、が存在するはずだ。その確かな実感が欲しかった。夢物語ではなく確実に存在する、という確かな実感。ぼくが生きるべき場所は必ずどこかにあるはずだ。上京のため、東京へと向かう新幹線のある駅まで向かう各駅停車に揺られながら、ぼくはそんなことを考えていた。思うだけ。恥ずかしくて口にはできない。
 一緒の大学へ行くような知り合いはいないし、これから新しい周囲と関係を作っていかなければいけない。ホームシックになるかもしれないな、とふと思うが、始まる前からそんなことを考えてしまう自分の心配性が情けなくなる。
 次が降りる駅だ。そろそろ立ち上がろうと腰を上げた時、
「ふざけんな!」
 という低い怒声が聞こえた。そんなに乗客はおらず、ぼくを含めた多くの乗客がその声のほうに視線を向けていた。おそらくカップルだと思われる男女が口論になっている。
 ふたりから視線を離し、場所を離れようとそそくさ移動しようとした時、「ちょっとまずくない……」というひそひそ声が聞こえた。その声につられるようにカップルのほうへ視線を戻すと、男が女の肩を掴んでいた。今にも手が出そうな雰囲気に気付いた。
 周囲に頑強な男性が見当たらなかったことも大きい。ぼくはおそるおそるふたりに近付き、「あ、あの。ちょっと。こんな場所で、喧嘩は」と伝えるが、怒りで耳に入らないのか、それともわざとなのか、その声は無視される。
 男が思いっきり服を引っ張るのを見て、ぼくはとっさに彼の腕を掴んだ。意識しての行動ではなかった。
「さっきから、邪魔だ!」
 と振り払われた男の手が、ぼくのあごに向かって飛んできた。避けようとしたぼくは、後ろの扉に後頭部を思いっきり打ち付け、
 薄れゆく意識の中、死ぬんだ、と漠然と思っていた。……そこまでは覚えている。そこからが思い出せない。
 気付いた時、ぼくは見知らぬ部屋のベッドに横たわっていた。痛みは何もなかったけれど、身体に今まで感じたことのないような違和感を覚えていた。
 鏡で自分の姿を見て、ようやくその違和感の正体を知った。
 心の底から驚いた時は悲鳴さえも出ないのか、とその状況と冷静に向かい合っている自分に何よりも驚いていた。

 教壇に立って見る生徒の顔というのは、こんなにも多種多様なのか。教室に入って眺め回すその風景は、見慣れているはずなのに、新鮮だった。
どこで、何を言うのか。なんとなく覚えているけれど自信がない。   「よーし。朝礼、始めるぞ」
 こんな感じだったろうか。
 普段のぼくならありえないような低音。ぼくは昔から自分の甲高い声が嫌いだったけれど、今はその声が懐かしくなっている。
もう当分会えなくなるだろう、と思っていた顔が揃っている。こんな形ですぐに再会するとは思ってもいなかった。
「起立」クラス委員長の女子生徒の声が響く。「礼。着席」
 座った生徒たちの顔をもう一度、見回す。ずっとそちらの方向へは目を向けないようにしていたのだが、見てしまった以上はもう誤魔化せない。
 ぼくが、いる。厳密に言うなら、一年前のまだ学生服を身にまとう高校二年生のぼくだ。
「先生……」と、ひとりの女子生徒がぼくに声を掛ける。
「……どうした」と、とっさに反応できなかったのは、ぼくがまだ〈先生〉だという事実に慣れていないからだろう。
「あの、大丈夫なんですか。谷川先生から大怪我したって聞きましたけど」
「あ、あぁ。実はマンションの階段で転んでしまってな」
 これは嘘だ。
 三日前、ぼくが鏡にうつる姿を見た時の感覚はうまく言い表せない。もちろん驚いてはいた。恐怖も感じた。ただ自分でも驚くほど、その状況をすんなりと受け入れていた。
 大宮先生……、その姿はぼくの高校生活三年間、ずっと担任教師をしていた人だった。
 机には財布があり、免許証が入っていた。『大宮隆、平成○○年○月○日――』載っている住所はおそらくここのマンションだろう。新聞を確認すると、日付は一年前の冬になっている。どうしようか、と一時間ほど悩んだ挙句、ぼくは学校に『マンションの階段で転倒して怪我をしてしまったため、休みたい』旨を〈大宮先生〉として伝え、ぼくは病院に向かうことにした。もちろん転倒もしていないし、怪我もしていないが、朝起きてから意識や記憶が曖昧、というあまりにも漠然とした理由で。結局、〈異常なし〉と診断され、精密検査を受けるかどうか確認されたので、丁重に断った。
 本来ならもっと足掻くべきなのだろう。それでも自分自身がその答え以外を信じていない以上、足掻くのも馬鹿らしく思えた。
 そして三日後、学校には怪我で記憶が曖昧になっているが、日常通りの生活を送らせて欲しい、と嘘を吐き、〈大宮先生〉の形をしたぼくの意識は教壇に立っている。そんな状態で復帰するということに難色を示すものもいたが、普段の大宮先生の真面目な人柄もあり、復帰を許された。人手不足という事情もあったと思うが……。
 ぼくは、過去のぼくを見ながら、もしかしたらかつてのぼくの中に大宮先生の意識が入っているのではないか、と考えたが、どうもそんな雰囲気は感じられない。おそらく未来のぼくの意識の中に大宮先生の意識が入っているのではないか、と思うが、確認するすべはない。
 ぼくは自然と過去のぼくから、その視線を横に向ける。過去のぼくを見ないよう意識していたように、彼女の姿も見ないように意識していた。
 西塚愛理……。当然、分かっていた。この時期なら彼女がまだ生きている、と。学生時代、話した機会はすくない。
 それでも恋愛感情に乏しかったぼくに、初恋としか思えない感情を残し、
 この世を去った――。
 また会えるとは思ってもいなかった。そんな彼女と目が合うと、彼女はぼくに――いや、正確に言えば、大宮先生に――にこりと微笑んだ。そのしぐさに思わずどきりとしてしまう。
 その意味を、その時のぼくはあまり深く考えていなかった。というより、別のことが頭によぎったのだ。
 彼女の死を、ぼくは止められるかもしれない、と。

 学校が終わり、自宅に着くと大きく息を吐く。まだこの自宅にも慣れないが、それでも常に緊張を強いられる学校ほどではない。なんとか過去の大宮先生っぽい行動を心掛けるが、都合の悪いことは「忘れた」「分からない」とやり過ごし、たとえ正体がばれたとしてもぼくには改善する方法が分からないのだから、その時はその時、と開き直るしかない。そんな開き直りがいまのところは良い風に転がっている感じがする。
 しかし……いやまぁ当時から薄々気付いてはいたが、こんなにも大宮先生が女子生徒から人気があるとは思っていなかった。まさか自分が――いや、厳密には自分ではないのだが――女子生徒から呼び出されて、告白されるとは。
「ごめん」と断った時の泣いている姿に胸が痛くなるが、大宮先生の性格ならおそらくそういう行動を取るだろうし、それに仮にその告白を受けたとしても大宮先生の振りをしながら禁断の恋を続けるなんて芸当、特別な理由でもない限り、できる気がしない。それに……、
 西塚愛理。
 彼女にもう一度、会えるなんて夢にも思わなかった。ほとんど話したことのなかった彼女は、ぼくにとってずっと気になる存在だった。誰とでも明るく接しながら、どこか冷めた雰囲気をかいま見せ、穏やかだけどときおり激しい感情を放つ。誰もが美人と声を揃える学校の人気者とは違うけれど、ぼくには、初めて会った時から忘れがたいものを残すひとだった。気付けば目で追っている。恋、という感情に疎く、それが恋愛感情だと気付いたのは、彼女と最後に話した時だった。
「私のこと、好きだったでしょ」
 最後に話した時、そう言い残して去った彼女は、その日、自らの命を絶った。今から二ヶ月後の未来の話だ。桜の樹の下で命を絶った彼女の死に顔はとても美しい、と不謹慎な噂が立ち、その噂の主は周囲から強い非難にあった。だけどぼくはその噂を聞きながら、なんとなく納得していた。ぼくはその死に顔を見ていないけれど、きっと美しかっただろうし、そうあって欲しいと願ってもいた。
 鮮烈な印象のみを残して、彼女はぼくの前から永遠に姿を消した……はずだった。しかし今、間違いなく彼女は存在している。だとしたら、ぼくが彼女のためにできることは――、
 と、考えたところでインターフォンの音が鳴る。
 どうしよう……。ある程度、学校は事前のシミュレーションのおかげで乗り越えたが、ふいの出来事にはまだまだ弱い。居留守を使ったほうが良いのではないか、と不安を抱えつつ、ぼくはインターフォンの画面を確認する。
それはやはりふいの出来事だった。
 画面に映っていたのは、先ほどまで頭に浮かべていた初恋のひとだった。迷った挙句、玄関のドアを開けると、彼女がぼくに向かって飛び込んできた。
「私、やっぱり諦められない」
 彼女の行動に驚きながらも、同時に腑に落ちるような感覚も抱いていた。
『私のこと、好きだったでしょ』という会話をした時の、その後の会話が蘇ってくる。というより何故、忘れていたんだろう。やっぱり認めたくなかったからだろうか。
『好きな相手に、好きって伝えるの、難しいね。たぶん、私たちって、そういう運命のもとに生まれてきたんだと、思う。絶対に、好き、という気持ちは伝わらない』
 その言葉を当時のぼくは、ぼくに対しての拒絶としか受け止められなかった。告白する前に先手を取られたような感覚だった。だけどそうではなかったのだ。
 彼女は、大宮先生のことが……。
「あなたに、何度、諦めろ、と言われても、私は」
 彼女の意志は、とても強い。ぼくにはとうてい真似できない。だけどたった三年間だけれど、大宮先生の意志の強さも真面目さも知っている。それにもしも先生が彼女の想いに応えていたとしたら、最初はうまくいくかもしれないが、彼女はきっと大宮先生から離れていくだろう。なんとなくそんな気がした。
 泣いているこのひとを初めて見たな。
 気付くとぼくは、自分の指で彼女の目の縁の涙を拭っていた。もしも今の姿が自分自身だったら、こんなことできなかったはずだ。
 大宮先生――いまのぼく――が彼女を受け入れればすくなくとも彼女が死ぬことはない、と思っての行動だったのか、彼女を手に入れたいという欲望に任せての行動だったのか、正直なところ、ぼく自身、分かっていない。
ただそこには客観的に見れば、女子生徒を抱きしめる教師の姿があった。

 あれから三ヶ月経った今も彼女は生きている。
〈過去〉。そんな見知った、だけど、ここではないどこか。そこでぼくは、初恋のひとへの叶わなかったかつての想いが成就した。
 ぼくの永遠の片想い、という事実が変わるわけではないのだけれど……。
 きっとそのうち彼女はぼくから離れていくだろう。だってぼくは大宮先生ではないのだから。それでも彼女の死を止めることはできたはずだ。見返りを求めるわけじゃないけれど、今だけは、せめて今だけは、この甘やかな日々に身を堕したい。

(後書き)

 三話目の「ラブレター」に近い設定を使って、もう一度、作品が書きたい。そんな想いで書きました。タイトルに反して、読後感は苦くなってしまったかもしれませんが、こういう作品しか書けない人間、ということで許してください。