見出し画像

「セクシーさ」についての考察

「セクシーだ」というと、どんな印象を受けるだろうか。小中・あるいは高校生ぐらいの頃だったら、なんだか気恥ずかしかったと思う。

今言われたらどうだろう。男で、セクシーだ、なんて褒め言葉をもらえるのは、よほど容姿に恵まれている男じゃないだろうか。でも、そんなふうに言われたら、やっぱり嬉しいと思う。


そんな「セクシーさ」について、「セクシーさ」とはどういうものか、なにをするものか、ということについて今思うことを書いていく。


なぜこんなことを考えたのかというと、実に卑近なことかもしれないが、カラオケの前に、制服であぐらをかいて座り込む女子高生とすれ違ったからだ。

スカートの中が見えそうだったが、覗き込むと相手にバレそうだったので見なかった。だが、中はパンツとは限らない。黒パンという、パンツを見られない様にするため(?)のものを上から履いていることも結構ある、ということを、経験的に知っている。

だけれど、普通にパンツの場合もある。他の人に決してパンツを見られたくないならば、黒パンぐらい履くんじゃないだろうか、という疑問が湧いてくる。


そもそも、スカートという形態自体、「パンツを見られる可能性」を前提としているとしか思えない。それに、一昔前には見せパンなんていう文化も流行っていたと記憶している。

だからと言って、「女はパンツを他の人に見せたがっている」なんていうつもりはない。だけれど、やはり一定数の女にとって、パンツや生足やスカートなんかは、何か女性性を象徴する、ある意味武器の様な、認識があるのではないだろうか、と思うのだ。


そもそも、セクシーさとは何か。それは、性の形容詞であり、性的なもの、性を象徴する様なもの、ということになると思う。

日本語では、「色気」という言葉もある。興味深いことに、この「色気を出す」という言葉は、性的魅力を引き出す、ということから転じて、「多くのことに手を出す」という意味でも用いられるらしい。

これはつまり、浮気症だということなんじゃないだろうか。どうやら、多くの異性に手を出す、ということは、色気、すなわちセクシーさ、というものにつながることがあるらしい。


男にとってのセクシーさ、女にとってのセクシーさ、というものも、きっと違ってくるのだろう。少なくとも、表面的な現れ方としては。

それは、体の形態が違うのだから、当然のことなのだろう。形態は機能に追従する。それでも、本質的なところは、何か同じものがあるんじゃないか、という様な気もするし、だからこそ男と女で繋がる部分があるんじゃないか、という気もする。


セクシーさについての考察。あれこれ書いてきたが、経験不足だということを実感。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?