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4/29[2]「勤勉であることについて」

【勤勉】
仕事や勉強に一所懸命に励むこと。

「勤勉」であることというのは、あらゆる社会において、一般的に最も徳目として認識されているものの、一つなのではないだろうか。

そんな「勤勉」であること、またそれを含む、人生における徳目とされること、について今思うことを書いていく。


さて、根本的な話、勤勉であることの、何が良いのだろう。これについて考える出発点として、最近考えていることがある。

あらゆる徳目、というのは、何かこう、最初からそれがあるわけではなくて、あらゆる側面の統一として、その徳目に至る、という発想とでもいうのだろうか。

例えば、「勤勉」という概念も、それ自体が、特別なパワーを持っているということではなく、「勤勉であるということ」が及ぼす様々な側面の結果として、それが良い結果になることが多い、という話だ。

つまり、順番を逆にして考えてみる、ということだ。「勤勉」を最初に置くのではなく、様々な求める利益を追求した結果として、「勤勉」という概念に、到達する、ということだ。こうして発想を転換することで、深まる理解もあるのではないか。


勤勉であることが及ぼす良い影響、というのにはどの様なものがあるだろうか。

まず思いつくのが、金が減らない、ということだ。働いている間は、無駄遣いがしにくい。全くできない状況に置かれる場合も多い。

そして、減らないどころか、多くの場合はお金が増えていく。勤勉でなかったらお金が減っていたはずの時間が、勤勉でなかったらお金が増える時間になる。かなり単純化して考えると、経済的に二倍の効果が上がる。


次に、勤勉である間は、退屈しない。なぜなら、勤勉であることは、なんらかの活動をすることだからだ。何か活動をしていると、他のことを考える時間は減っていくものだ。

何もしないと余計なことを考えてしまう人でも、勤勉である間は、余計なことを考えることがしにくい。必然的に、勤勉である時間が増えるほど、余計なことを考える時間は減っていく。

「思考が人格を作る」という格言もある。そうだとすれば、トータルでの、「余計なことを考える時間」が減っていくほど、人格は磨かれていく。

余計なことを考えられなければ、余計な行動をすることはできない。頭の中での想像は、現実での創造に先立つ。勤勉であることで、想像力を悪用できない様になる。


広義では、とにかく、責任を持って、積極的に活動をしていれば、それは「勤勉である」と言えるのではないだろうか。ゲームが上手いことすら仕事になる時代だ。

もう少し厳密に言っても、その活動が、なにかの学びやお金、貢献につながれば、それは勤勉である、と言えるだろう。

そう考えれば、案外その活動内容は、なんでも良いのかもしれない。少し主体性を働かせれば、自分の能力を用いて、「勤勉」になれるやり方、というのはほとんどの人にとっては、見つかるのではないだろうか。


さて、それでも仕事がしんどい人は多いと思う。きっとここに落とし穴がある。多くの人が、目先の利益にとらわれて、「やりたくない勤勉さ」「やり続けると負荷がかかる勤勉さ」を選んでしまっているのではないだろうか。

勤勉であること、の基本的な利益というのは、何かに集中的に活動することで、「余計なことをしない」ことであると確認できれば、勤勉さの実現手段は、広がるのではないだろうか。

「自分がすでにやり続けられること」を知り、それをやり続ければ良いのだ。スキルや価値は後からついてくるだろう。半年稼ぐつもりでやっているのか、向こう三十年稼ぐつもりでやってやっているのか、今一度思い直したい。


【問いで遊ぶ】
・勤勉な活動の範囲はどこまでか?遊びは?恋愛は?趣味は?ボランティアは?

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