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オール・アバウト・マイ・マザー


映画「オール・アバウト・マイ・マザー」
1999年のスペイン映画です。

監督は、スペインが世界に誇るペドロ・アルモドバルです。

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この作品は監督の人間愛、映画愛に満ちた傑作ですよ。


冒頭、なにかのボタンらしきものや、なにかの機械らしきもののアップが映し出されるんですね。

画面ひいていくと、それは医療機器だということが分かる。病院の中なんですね。観客の注意を画面にむけさせる演出ですね。映画の善し悪しは冒頭で決まりますね。

病院で働く、マヌエラというひとりの女性がいるんですね。臓器移植を待っている患者にドナーを提供する仕事してるんです。

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マヌエラ、おんなでひとりで息子を育てているシングルマザーなんです。息子は作家志望で、日々の出来事を詩のようにノートに記してるんです。

この作品、冒頭もそうですけど、「なんだろう」と思わせて、話しが進むにつれて「なんだろう」の理由がわかるように、観客をおいてきぼりにしないよう進んでいきます。優しいですね。


マヌエラは息子の誕生日に、息子とふたりで芝居を観にいくんです。

芝居終わって夜の雨の中、息子は主演女優のウマにサインもらおうとお母さんと待ってるんです。


息子、雨のなか主演女優の乗る車を追いかけるんです。次の瞬間、息子は脇からでてきた別の車にはねられるんです。

母の目の前で息子の命が消えた。

そして母は決心するんですね。息子の死を父親に伝えることを決心するんです。

父親が誰なのか息子には伝えてなかったんですね。ふたりで芝居を観た夜、息子から「父のことを知りたい」と、胸の内を聞かされたんですね。その夜、伝えられないまま息子は旅立ったんです。

今はどこにいるか分からない夫だった男に、息子の死を知らせるため母は旅立つんです。


この映画、いたるところに、過去の映画のオマージュが散りばめられています。


父親探しの旅にでたマヌエラ、ひょんなことから息子が追いかけた主演女優のウマの付き人になるんです。

ウマには付き合ってる若い女の子がいるんです。この女の子はウマの付き人もやり、ウマの舞台にも役者として出てるんですね。でもこの女の子、ドラッグの問題があるんだね。マヌエラは行動力を買われて、この女の子の代役で舞台にたつんです。実はマヌエラは昔、芝居をしていたんです。ウマから信頼を得ていくマヌエラを、若い女の子は嫉妬するんですね。

このあたり1950年の映画「イヴの総て」のオマージュですね。ベティ・デイヴィス演じる大女優を踏み台に、演劇界をのし上がっていくアン・バクスター演じる若手女優の物語でした。

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映画の最初のほうで、マヌエラと息子が深夜に観ていた映画も「イヴの総て」でしたね。


また、息子が車にひかれるシーン。

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1977年のジョン・カサヴェテス監督の作品「オープニング・ナイト」での、ジーナ・ローランズ演じる女優が、舞台が終わり車に乗り込みますが、車に駆け寄ってくるファンの女の子が車にひかれるんですね。

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これ、そのシーンのオマージュですね。


なにより、舞台女優ウマの動き、仕草は

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「オープニング・ナイト」のジーナ・ローランズを思い出しました。

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そして、ウマが何度か劇中に言う「私は施しをうけて生きてきた」いう台詞があります。

これは1951年のテネシー・ウィリアムズ原作の芝居、

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「欲望という名の電車」の台詞ですね。

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父親探しのマヌエラが、昔役者としてたった舞台も「欲望という名の電車」なんですね。そして息子が亡くなった日に、マヌエラが息子とふたりで観たウマの芝居も「欲望という名の電車」なんです。マヌエラにとっていろんな意味で忘れることのできない芝居なんですね。


時代は違いますが、どれもひとりの女の人生を描いた作品ですね。


舞台女優ウマの他にも、マヌエラは父親探しの旅のなかで多くの人たちと出会うんですね。

昔からの友である性転換手術をした娼婦の子がでてきます。この役者がいいね。 

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この作品にコメディの要素をいれてます。貴重なおいしい役ですよ。監督もこの役者の芝居気にいったんだと思います。最後までいい場面を用意してもらってます。


また、エイズにおかされた修道院で働く女の子がでてきます。お腹には赤ちゃんがいるんです。この女の子をペネロペ・クルスが演じてます。 

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アルモドバル監督作品の常連であり、ハリウッドでも活躍する女優ですね。


人生は出会いですね。ひょんなことから人は人と繋がっていくんですね。環境がかわれば出会う人がかわる、そして自分がかわるんですね。人と関わると面倒なこともあるけど、それが人生なんですね。

説明的にならず違和感なく、旅を続けるマヌエラの物語に登場人物たちが交わっていきます。


そして、この作品、アルモドバル監督の色が忘れられませんね。スペインの色ですね。
赤、青、黄、と原色が画面を彩ります。

金髪に真っ赤な口紅の舞台女優ウマの顔が張り出された大きな看板を背に立つ、赤のコート姿のマヌエラの画など、アルモドバル監督の色彩感覚ですね。

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終盤、マヌエラは別れた男、亡くなった息子の夫に出会います。男は女性に姿をかえて生きているんですね。そして、ペネロペ・クルスに病気をうつしたのもこの男だったんだね。

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マヌエラは息子がノートに残した言葉を、父であった男に伝えるんですね。大事なシーンですね。息子が作家志望でノートに言葉を描き続けてきた意味がこのシーンで生きてきますね。

マヌエラはペネロペ・クルスの赤ん坊をひきとるんですね。それぞれの登場人物がそれぞれの決断をしていきますよ。

ラスト、舞台女優ウマは今日も舞台にあがる準備をしています。

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舞台にあがる、そのときのその顔がいいんですね。追い風だろうが向い風だろうが、今日も始まるんですね。物語は、人生はこれで終わりじゃない、まだまだ続くんだいうような、いい顔ですね。

いい役者はいい顔しますね。

ああだこうだいっても死ぬまで人生続くんですよね。自分で終わらせることはダメですよ。


この作品、アルモドバル監督からの人生の歌ですね。

届けてくれた監督に拍手です。

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