【書評】わたしを離さないで (著)カズオ・イシグロ ハヤカワ文庫

つくられた命があるとすれば、私たちと等しく人権を与える必要はないのか。

徹頭徹尾が主人公キャシーの回顧録として進んでいく本書を読み進めていくと、牧歌的な穏やかさの中に散りばめられた違和感が徐々に輪郭を表し、次第にへーシャルム(施設)の残酷な真実が明かされていくことで、読み終えた後にも尾を引くように冒頭の問いを投げかけられます。

そもそも、どうして著者はこんな酷たらしい世界を読ませるのだろうか。

勝手なメタメッセージを受け取って良いのか、それは作品を虚心坦懐に読む心を失った、邪な読書に堕してしまうことではないのか。

そう迷いながらも、著者が単なる嗜好性の捌け口として、意図もなくグロテスクワールドを見せつけることはあるまい、と了解して腹を決め、いや決めるまでもなく読めば問いを立てざるを得ませんでした。

ヘールシャムでの日常は、主人公の解説がなければありふれた学校生活のシーンのようであり、出来事が只だ流れていくように進行していくのですが、キャシーたちは歳を重ねるにつれて、保護官(先生のような立ち位置)の見せる奥歯に物が挟まったような態度の裏に、ある残酷な真実を憶測するようになります。
その憶測の1つはキャシーたちにとって、既定の未来から脱して自由を得るための一縷の望みとなるわけです。
キャシーたちがどのように命を得たのかについては具体的に書かれていませんが、同じく「提供者」の運命を背負う親友ルースの自己犠牲、トミーの純心には心が痛みます。
つくられた命が私たち以上に「魂」を体現するならば、何をもって命の価値を測れるのか。

さて、解説で柴田元幸氏が述べるように、この物語は細部だけを抜き出して全体を評するのは難しいため、こうして書いている今も筆が進みません。

事実、普段の読書ではそれが論評であれ物語であれ、心に留まる箇所は付箋を貼りながら読み進めるのですが、本書を読む中で一度も付箋を貼ることはありませんでした。
貪り読むというよりもむしろ、熟考しながら読んだのですが、付箋の張りどころが分からないのです。

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