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欠けた月が満ちるまで

十年前の話。

まだ結婚する前の僕と妻は、二人で屋久島へ行った。
あの島ではいつも不思議なことが起こる。屋久島の登山道は足の悪い彼女にとっては険し過ぎる。岩場、木の根、獣道。肩で息をしながら一歩一歩、慎重に足を運ぶ。しかし、ある区間を境に突然彼女の足は軽くなる。軽やかに岩から岩へと飛び移り、驚くことにスキップまでしてしまう。

普段の彼女を知っている僕からすれば、その光景はもはや〝奇跡〟だ。
「どうして?」と尋ねると「木霊が下から腰を押してくれる」と彼女は言った。実際にぴょんぴょこ歩き回っているのだからそうなのだろう。
そういう世界があるならば、疑うよりもまず、僕はその世界の存在を信じたい。
とにもかくにも、屋久島の自然は僕たちに力を与える。

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話を省略する。
白谷雲水峡から縄文杉まではおよそ一日かけて登るのが一般的な登山ルート。理由があって、僕はその往復十二時間かかる道のりを〝走って登る〟ことで四時間で成し遂げた。
最初はジブリ映画『もののけ姫』の舞台となった「苔むす森」で引き返す予定だった。しかし、途中から僕は「縄文杉を見ることができたら、彼女の病気が治る」と願をかけてしまったのだ。引き返すに返せなくなった。
結果的に僕は縄文杉まで到達し、無事手を合わせて帰って来ることができた。
しかし、彼女からはひどく怒られた。というのも僕は、その間、彼女と荷物を「苔むす森」に置いてきたからだ。

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その夜、ホテルから数分歩いた川の畔にある小さなバーへ二人で行った。
カウンターには常連の男性が一人、一つ席を空けて僕たちは座った。
彼女はひどく怒っていて、バーのマスターに事の経緯を話した。マスターはシェーカーを振りながら楽しそうにその話を聞いた。常連の男性は「とんでもないことをする子だ」と笑っていた。

「確かに彼女さんが怒る理由はすごく分かる。でも、彼が上まで登って行った理由を聞いたら、なんだか…怒れないね」

ジンフィズを出しながら、マスターはそう言った。
今考えてみると、僕が彼女に許してもらえた理由は、彼女より僕が18歳年下だったことと、マスターの言葉のおかげだと思う。

僕は酷く体が疲れていた。体中が痛くて、食欲もなかった。縄文杉の一件でケンカもしていた。ただ、今日だけはすぐにでも仲直りするべき理由(相応しい言い訳)があった。
僕と彼女はジンフィズとビールで乾杯をした。

「誕生日おめでとう」

天使のささやきのような音が響いた。
マスターと常連の男性、それから僕たち二人で話した。常連の男性は屋久島のレジャー事業の会社を経営していた。年の頃なら五十歳くらい、とても気さくで、日に焼けた肌は生命力に溢れていた。
しばらく会話を続けた後、誰かに呼ばれたのか会計もせずに出て行った。

屋久島のコーヒーはおいしい。くたくたの体を良い気分にさせるには少しのアルコールで十分だった。マスターがドリップしてくれたコーヒーを一口飲むと、生き返った心地になった。おいしさの理由を聞いた。

「水と空気」

蛇口をひねった水で湯を沸かしながら、マスターはそう言った。
屋久島の自然の話を聴いていると男性が戻って来た。手にはCDがあり、それをマスターに渡した。それから何事もなかったかのように店を中座する前にしていた会話の続きを話しはじめた。

突然、音楽が流れた。
聴いたことがない曲だった。
そして、火花を散らしたパフェが目の前に登場した。

誕生日がやってきた
祝おうよ今日の日を
良かったネ 元気だネ
おめでとうをおくりましょう
いくつになっても Happy Birthday


後々、知るのだがこのCDは吉田拓郎の『いくつになってもHappy Birthday』という曲だった。
マスターと常連の男性が一緒に歌い、祝ってくれた。隣で彼女は手拍子して笑っていた。
なぜだか分からないけれど、泣いてしまった。
うれしくて、身体が酷く重たくて、屋久島で出会った不思議、縄文杉で拾った落葉、今日はじめて出会った二人が歌っていて、彼女が楽しそうに笑っている。
全てが一緒になって、泣いてしまった。

うっかりしててごめん
君が君になった日を
人生に正面から
向かいあって歩いてる
いくつになっても Happy Birthday


涙を堪えながらスプーンを口に運ぶ。でも、涙のせいでパフェの味なんて分からない。
外は暗闇、時折、月の明かりが水面に反射して川に星が散りばめられたような表情を見せる。山が生き物のように静かに唸っている。
涙の理由は分からないけれど、僕にとって、これまでの僕の人生にとって一番のHappy Birthdayだった。


人生の主役は君
幸せ運ぶのも君
いつまでも変わらずに
元気でいてくださいネ
いくつになっても Happy Birthday


常連の男性は歌いながら僕にウィンクした。
この日、僕は「しっかりと生きよう」と思い、「そばにいてくれる人を大切にしよう」と誓った。
重たい扉をこじ開けると、強い風が吹いていた。
あれがきっと、大人になった日なのだと思う。
彼女は何も変わらず、そのままこちらを向いて笑っていた。

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ホテルに戻り、ようやく眠りについた。
しかし、どういうわけか夜中の三時に目が覚めた。
吸い寄せられるようにカーテンを開けると、山のてっぺんが光っていた。カバンから一眼レフを取り出して何度もシャッターを切るが、どういうわけかピントが合わない。
きっと山の中で不思議な出来事が行われていたんだと思う。

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日が明けて、朝食を食べながら宿の管理人さんに夜中のことを伝えると、「あらそう、そんなことがあったのね」と平然とした顔で言った。
「よくあることなんですか?」と尋ねると、「私は見たことない──でも」「でも?」

「ここじゃ毎日不思議なことが起こるから」

そう答えた。


これが十年前の九月十六日の話。



あれから十年経った。
昨年の今日の記事を読み返す。


不思議なことにずっとずっと変わらない。
この気持ちは年々増すばかり。

こんな想いにさせてくれている家族や仲間に感謝でいっぱいです。年々、守る者が増え、感謝する人が増え、尊敬する人が増え、少しずつ少しずつみなさんへこの想いをお返ししていきたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします。


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