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受取り方の違いへのスタンス

詐欺広告や迷惑メール。

目にした時に「こんなの引っかかる人いるの?」と思いますが、実際に騙される人もいるのですから、人によって物事の受け取り方は全く違うことがよくわかります。一見フラットに見えるので錯覚しますが、SNSで議論が難しいのは見ている世界が違う人たちが混在していて、それぞれが主張し合うからなのだと思います。

以前、「コーヒーがほんとに好きな人しか来なくなるコピーを書いてくれ」と依頼されたことがあります。求道的にコーヒーを表現しているオーナーさんで、自分の感覚に合う人しか店に足を運んでほしくないのだ、と。要するに「ことばの力でフィルターをかけてくれ」という意味でした。「たくさんの人が興味を持ってくれる文章を書いてほしい」と言われることのほうが圧倒的に多いので、この仕事はわたしにとって刺激的な体験でした。

これは極端な例ですが、SNSでもこういう感覚は大事だと思います。すべての人に理解してもらおうとするとメンタルが破綻する。「伝わればいいな」という希望は美しいですが、「理解させよう」とした瞬間、それは傲慢に変わります。見ている世界が違う人を受け入れるストレス、そこで起きるすれ違いや軋轢を考えると、最初から届かないように設計することも一つの方法です。

さらに言えば、「伝わる」と「伝わらない」の間を揺らぐには体力が必要で、体力のない人は耐えられなくなってこころの調和を崩してしまいます。そうならないためにも、ある程度フィルターをかけておくこと。精神的にも、表現においても。

詐欺広告や迷惑メールがわかりやすいのは、疑いを持つ人をハナから相手にしていない点です。無視されようが、何を言われようが関係なく、「届くべき人に届けばいい」と割り切っている。行い自体は悪でしかありませんが、あのスタンスには健全なメンタルを保つためのヒントがあります。

そもそものエントランスゲートを狭く設計するか、ゲートを広くしつつも「届く人に届けばいい」と割り切るか。そういう在り方を自分の中で決めておくと、こころへの負担は自在に調整できます。

これは、SNSを扱うすべての人が持ち合わせておくべき感覚だと思うのです。

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