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芸人永野は天才である【映画『MANRIKI』の狂気とユーモア】

今、最もインタビューしたい人がいる。

芸人の永野さんだ。あの“有名画家に捧げる歌”で、テレビの世界に登場した鬼才。青赤のファッション、ワンレングスボブの髪型、にこやかな表情と据わった目つき。腰を振って、髪をかきあげ、笑顔で手を振り、テクノミュージックに乗ってアンセムソングを歌う。当時からその不気味さを含めて好きだったのだが、ここ最近になって永野さんのコアにある魅力を理解しはじめた。

確かに永野さんは「ラッセン」のネタで認知度を獲得したが、彼のおもしろさの本質はもっとディープなところにあった。彼を点(ギャグ)として見るだけではもったいない。永野は“現象”なのだ。

永野さんのおもしろさは、その語り口にある。彼は常に世の中に対する不満を抱えていて、自身の哲学や美意識との不協和に沸々とした怒りを宿らせている。それは単なるボヤキ芸に留まらない。周囲の言葉を細やかに拾いながら、それらを平らげてゆく。怒りに対しては怒りとして同調し、褒めに対しては褒めに共感して増幅してゆく。だから、彼が誰かと話し出すと絶望と幸福の感情が激しく行き来する。そのダイナミズムが、実におもしろく、実に奇妙なのだ。そのようにして独自のグルーヴを生み、笑いを広げてゆく。

そこにいる人は、永野さんをいじっているように見える(永野さんもいじられているように演じている)が、場を支配しているのは明らかに永野さんなのだ。軽やかに侮蔑と皮肉を込めた言葉を吐きながらも、どこかで刃を反転させて周囲から攻められる構図をつくる。破綻と構築を繰り返しつつ、最終的には自身の哲学に雁字搦めになったピエロとして笑われる(ように見せる)。おそらく永野さんはすべてを馬鹿にしているのだと思う。つっ込んだり、いじったりしてくる相手も、それを受け止めり、乗ったりする自分も。

その現象こそが、彼のおもしろさの本質なのだとわたしは感じている。揺るがない美意識を持ちながらも、すべてを笑いとして吹き飛ばす無常観を持ち合わせている。それが、あの“不気味さ”の理由であり、永野さんの魅力なのだ。絶望と幸福、無能感と全能感、にこやかな表情と据わった目つき。それらのアンビバレンツな要素が、常に永野さんの中には同居していて、見る者に笑いと気味の悪さを与えている。

「この人は、天才なのかもしれない」と思った。彼を“点”では見ているだけではもったいない。“現象”として味わうべきだ。

おすすめの動画をいくつか紹介しておく。

①『太田上田』

『太田上田』のゲストで登場した回。爆笑問題の太田さんに乱暴な共鳴を見せながら、くりぃむしちゅーの上田さんにつっかかるところがたまらない。攻撃しながらも同時に破綻してゆく儚さを含めて、味わい深い回だ。

②『マッドマックスTV 論破王』

ひろゆきさんとのディベート対決。ひろゆきさんや世の中に対する怒りをぶちまけながらも、討論ではなく同じポジションへとずらしてゆく。ディベートという概念さえも破綻させる見事な展開。ひろゆきさんのトークの切れ味を生かしながらも、永野さん自身が場を支配してゆくすごさが見て取れる。

➂『McGuffin【永野 × D.O】』

ラッパーのD.Oさんとの対談。Hip Hop好きのわたしとしては心躍る回。音楽と精神の談義。永野さんの美意識は、実はお笑いよりも音楽との付き合い方からの方が伝わってくるものが多い。おそらく、お笑いはプロフェッショナルの領域なので粋と野暮のラインが明確にあるため、あえて伝わらないようにしているのだと思う。音楽の話はお笑いでは隠されている部分があふれ出すので、永野さんの美学を知りたい方は音楽談義から入ることをおすすめする。

当然、YouTubeチャンネルの『永野CHANNEL』もおすすめだけれど、個人的に永野さんの魅力が最も伝わるのは、田中みな実さんのラジオ『あったかタイム』のゲスト回。個人的に、どの動画よりもこのラジオが一番おもしろく、永野さんの真骨頂を味わえる。また、田中みな実さんのMC力も高く、永野さんの魅力を存分に引き出している。永野さんをきっかけに、田中みな実さんも好きになった。年に二回のペースでゲストに呼ばれ、毎回すばらしい完成度。YouTubeで違法アップロードされているので、気になる人はディグるといい。

人から笑われているように見せていて、自分を含めた世界のすべてを馬鹿にして笑っている。天才と呼ばずにはいられない。

考えてみれば「ゴッホより、普通に、ラッセンが好き」というネタも、とてつもない皮肉が込められた破壊的なおもしろさがあった。聴けば聴くほど、哲学的な響きをそこに感じる。「王様は裸だ」と言った少年の無垢さと暴力性がそこにはある。ゴッホやピカソのような、美術史の文脈から価値があるとされる絵画に対する大きな問い。「お前たちは、本当にこの画家たちの作品の良さがわかっているのか?」と突きつけられているような危うさがある。「わかっている」と言っているのは、当人の心の声か、周囲から「価値がわからない」と思われないためか。彼らの独特のタッチの絵画よりも、わかりやすく流麗なラッセンのイルカの絵の方が本当は良いと思っているんじゃないのか。思い当たる節があるから、人はあのアンセムを聴いて笑うのだ。芸人永野が「王様は裸だ」と言ってくれたのだ。

加えて、永野さんの容赦の無さは「普通に~」にある。「ゴッホより、ラッセンが好き」なのではなく「普通に好き」なのだ。この“普通に”によって、ラッセンまでも笑いものにしてしまうのだ。結果的に、ゴッホも、ピカソも、ラッセンも、登場人物すべての画家を馬鹿にした歌になっている。それを聴いて笑う観客も、そのネタを笑顔で踊って歌う本人も、森羅万象を馬鹿にして笑い飛ばしたところに永野の境地がある。

長い前置きがようやく終わった。

ここからが本題だ。彼は芸人だけでなく、クリエイターの才能も既に世に出している。2019年に『MANRIKI』という映画の企画・脚本・出演を果たしている。主演は斎藤工さんは、永野さんの原案に心打たれ、プロデューサーとしても尽力してこの映画を実現させたという。


顔が大きいことをコンプレックスに抱いているモデルの女の子が、小顔矯正に行く話なのだけど、これが文学的であり、ブラックユーモアたっぷりでおもしろい。ファッショナブルな映像の美しさと、音楽の重厚感も相まって、細やかな心の傷や歪が立体的に内側から生まれてゆく。永野さんの世界を観察する目と感性ゆえの、ナイーブで痛ましい精神の苦しみが生々しく息づいている。さらにそれが笑いに昇華されていて、映像作品としてもすばらしい内容になっている。俳優陣もみな魅力的だ。小池樹里杏さんと神野美鈴さんの演技がたまらない。

映画に関する感想をもっと書く予定だったのだが、前半の永野さんのおもしろさを解説する文章でエネルギーのほとんどを使い果たしてしまった。永野さんのおもしろさに共鳴してくれた人には、ぜひ見てもらいたい。声を出して笑うはずだ。本当にすごい才能の持ち主なのだと思う。ダメだ。力を消耗し過ぎて語彙力までなくなってきた。

とにかく、永野さんのことを今最もインタビューしたいという話。




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