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知性を交換するということ

愛の営みは魂の交換であり、親しく話すことは品性の交換であり、本棚を見せ合うことは知性の交換である。

プロフィールの文章を読み上げるよりも、好きな本について語ることの方が、その人のことがよくわかる。ということは往々にしてある。本というプロダクトは、所有者の〈人となり〉を間接的によく教えてくれる。本と所有者の関係性もまた、本が抱える物語なのである。

ウィルスが世界に蔓延し、人に会えない日が続いた。その時、「知性の交換」をはじめた。本と一緒に手紙を添えて送り合う。ぼくの元へ、50冊の本が届いた。棚に並んだ本の背表紙を眺めながらこう思った。「一冊一冊に、一人ひとりの物語が詰まっている」。それは、オンラインで買う本でもなく、本屋に並んだ本でもない。ぼくの本棚に並ぶそれらは、特定の個人の棚にあったもので、「ぼくへ送る」という明確な意志を伴って届いたものだ。元の所有者と本の関係、所有者とぼくの関係がそこには込められている世界で一冊だけの本だ。

その世界に一冊だけの本たちはくたっとして、古びた質感だったが、ぼくにはかがやいて見えた(わざわざ新しい本を送ってくれたくれた人もいた)。ぼくは送り主のことを想い、直筆で手紙を書き、選んだ本を添えて近所の赤いポストに投函した。本を選ぶ時間も、手紙を書く時間も、ポストまでの道のりも、ぼくにとってかけがえのない時間だった。

今、第三回教養のエチュード賞の応募作品へ一通ずつ手紙を書いている。朝起きて書くこともあれば、夜眠る前に書くこともある。文章を読み、作者のことをイメージしながら、手紙を書く。果てしないけれど、豊かな時間だ。

ぼくの書いた手紙に、返事を送ってくれる人もいる。「届いた」という喜びは、簡単に説明できるものではなく。晴れやかな気分になり、作者とぼくとの間で築かれた〈つながり〉を味わうことができる。

「知性の交換」も「教養のエチュード賞」もぼくのライフワークだ。それは一見無駄な行いのように見える。お金を生むわけでもなければ、時間もかかる。だけど、それらを通して豊かになる部分も大いにある。ぼくは、そういう生き方が好きなようだ。

昨夜、シンガーソングライターの広沢タダシさんと語り合った。帰り際、互いの知性を交換し合った。ぼくが預かり受けた本はパウロ・コエーリョの『11分間』。その読み込んだ跡が伺えるレトロの一冊は、ぼくの宝物になった。

本をめくりながら、「カフェなんかで知性の交換をしたいですね」と話した。たとえば、参加者はそれぞれにお気に入りの一冊を持ち寄る。自己紹介。自分の名前、それから持ってきた本についての思い出話を語る。一巡したら、アトランダムに本を交換し合う。

現在は確認作業の時代だ。食べログの高評価の店に食べに行き、インスタで話題のスポットで写真を撮り、漫画や小説が原作の映画を見に行く。世の中は、既に知っていることに対して「どれだけ良いか」の確認をするための行動であふれている。そんな中、所有者の物語を帯びた本を偶然手にする。その体験は、きっと人生を豊かにするにちがいない。

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好きな人とも、これから出会う人とも、知性を交換していきたい。

※TwitterのDMは常に解放しています。問い合わせは直接ぼくまで。



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