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陰謀論と聖書:前編

こんにちは!
新米クリスチャンのリョウです。

このブログは、全くのノンクリスチャンだったボクが、
クリスチャンとして導かれ、その中で見たもの感じたことなどを
気ままに書き綴っていこうかと思っています。

不定期更新ですので、たまに覗いてみてください。

第二十回目は、「陰謀論」についてです。
陰謀論が正しいとか間違ってるとか
この事件は、◯◯の陰謀だ!とか
そういう話ではありません。

陰謀論について、正しく冷静に見分けるために
ボクがしていることを書いてみたいと思います。

今回は長いので前編・後編に分けました。

前編では、
社会のニュースをどう見分けるか
情報を見分ける3つのポイントについてお話し出来ればと思います。

後編は、
その3つには当てはまらないけれど、真実の情報もあるかもしれないと思える時の第四の視点について。
そして、聖書はそれらのポイントから見て
信頼の置ける本なのか?
また、信頼が置けるとしたら、聖書は何といっているか?について書いていこうと思っています。


お話しの前に…

以前少し話した様に、ボクは陰謀論者でした。
今も一般的な人からみたら、陰謀論者なのかもしれません。
「真実を知りたい」という欲求は、今も強いです。

ただ、聖書に出会ってからは、あまりそういった情報を調べなくなりました。
知っても仕方ないものもありますし、極端な陰謀論も増えてきて、混乱させられるからです。
それに、聖書の真理を学ぶ時間の方が、価値のある時間と思えるからです。

とはいえ、今世の中は大きく動いてますし、陰謀論的な話もたくさん出てきます。
それらはただの陰謀論の場合もあるし、真実を語ってる可能性もあります。

しかし1番怖いのは、陰謀論に振り回されてしまうことかと思います。

なので、情報を見る時、ボクはどうやって情報を見分けているかを書いてみようと思いました。

それは「こうしなさい」「こうするべき」という話ではなく、
あくまでも参考までにお話する程度なので、皆さんの考えも是非聞かせて欲しいです。

嘘か真実か…2つにひとつは大間違い

陰謀論を考えるとき、まず最初に理解しておくことは、
何かのニュースが起きた時、
「表のニュースと裏(本当)のニュースの2つある」
と考えるのは間違いである、ということです。
つまり「嘘か真実か、2つにひとつだ!」という考えは、少し危険な物の見方だということです。

実際は、ひとつの事件がおきると
・表向きのニュース
・フェイクニュース
・単なる誰かの意見や憶測
・立場によるそれぞれの真実
・客観的事実
と、様々な側面があります。
(もちろん表向きのニュースが、しっかり真実を報道してる時も大いにあります)

これらを全て正確に判断するのは、非常に困難です。

そして、同じ事件一つとっても
アメリカ(日本)、ロシア、中国などには、情報の国境線みたいなものがあって、それぞれにその事件への解釈が変わりますし、アクセス出来る情報にも制限があります。
それら全てを並べて検証することも、ほぼ不可能です。

実際にはその様に、多角的に検証しなければならないくらい、複雑に情報が交差しているのですが(それがサタンの戦略ですね)
無意識で、表のニュースと裏(本当)のニュースの2つしかないと思っていると惑わされます。

なぜかというと
例えば、テレビは表のニュースしか扱わないから、
テレビの言うことは全て嘘だ!
とか、
国の言うことは全て嘘だ!
とか、
極端な意見に偏ってしまうんですね。

確かにテレビの信用度はそんなに高くはありませんが、テレビのスタッフも人間ですから、全て嘘の情報を発信するなどと言うことは出来ません。(出来るとしたらとんでもない企画力です)

それにテレビや新聞社で働く友人もいますが、彼らはとても正義感溢れる人たちです。

一流の詐欺師は、全てを嘘で固める、と言うことはしません。
ほとんど90%以上本当だけど、
“ここ”って言う大事なポイントだけ嘘をつきます。

サタンも同じですよね。

だから、「◯◯の言うことは全て嘘だ!」とはなりません。
そう考えてしまうと、
逆に◯◯が全て嘘だから、◯◯に反対している⬜︎⬜︎の情報は全て正しいはずだ!と、思えてきてしまう危険性があります。

これこそ、相手の思うツボです。

それに、本当の情報まで、「嘘だ」と思い込んで、真実がより一層隠されてしまいます。

ですから、実際はひとつひとつ丁寧に情報を精査する必要があります。
例えば、テレビのこの情報の、ここは事実かもしれないけど、ここは一旦本当かどうか調べてみよう、などと考えてみるんです。
(そもそもボクはテレビから情報を得ることはほとんどしませんが、あくまで例えばの話です)

情報は多角的に見る。
これが第一のポイントです。

陰謀論的な情報をすぐ鵜呑みにしてしまう方は、0か100か、白か黒かの極端な物の見方に陥らないようお気を付けください。

統計は一度疑う

「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う」
という言葉がありますが、日本人は、統計という言葉に非常に弱い気がします。

しかし、統計データは、色んな条件を踏まえて見ないと、正しいかどうかはわからないことも多いです。

例えばタバコの喫煙率は年々減ってるのに、肺がんの発症率がどんどん上がっているという統計グラフがあります。
(※実際にあります。国立がん研究センター がん対策情報センター/JT全国喫煙者率調査のデータ)

そのグラフだけを見ると、「喫煙率が減っているのに、肺ガンが増えているなら、タバコを吸ったらガンになるというのは嘘だ!」と思ってしまうわけです。

しかし、タバコの喫煙率は減っていても、データをとりはじめたときと比べて、日本人の人口は大幅に増えています。
実は喫煙率は減っていても、タバコを吸う人数自体は増えているんです。
あとは、高齢化社会になっていて、そもそもガンになる確率が上がっている。または、タバコを吸ってガンになるのには、数十年のタイムラグがある、など、そういったデータを無視した統計グラフとなっています。

統計に関するこの手の話は、山の様にありますし、ちょっと数学的な話になってしまうこともあり、見極めるのは非常に困難です。

なので、ボクは統計データが出てきたらすぐに信じ込まずに、一旦立ち止まってじっくり検証することにしています。

ちなみに平均して◯◯。
というのは、わかりやすくミスリードされます。
誰もが平均的なものに安心感を覚えますから。

よくある平均年収とかがわかりやすいですが、平均年収というのは、とんでもなく稼いでいる少数の人が平均年収を底上げしてるので、平均というのは、真ん中という意味ではないです。(中央値というものを見なければなりません)

なので、例えば転職する時
「この会社の平均年収は高いから、ここに転職しよう!」とか思うのは、ちょっと待った方がいいかもしれません。

社長や重役が、平均年収を引き上げていて、普通に働いてる人は平均を下回っていることが多いからです。

他にも統計のミスリードは調べてみると沢山あります。
完全に嘘の数字を書いているわけではなく、都合のいい数字だけを使うので、見極めるのは難しいです。
(ちなみに難しくなるので書きませんが、統計でいうと他にもシンプソンのパラドックスとかも面白いですよ!興味ある人は調べてみてください)

数字に惑わされない。
これは第二のポイントですね。

情報の出所をおさえる

これは基本中の基本ですが、意外とみんなが見落とすポイントです。

ボクは情報の出所が曖昧なものは、一切信じていません。
「人から聞いた話」とか
「友人の友人が見た話」とか、
全く信用が出来ません。

現代だとYouTuberやインフルエンサーが言っていた、という場合もあるかもしれませんが、
(その人を信じていないわけではないですが)その人の言う情報源をしっかり確認しないと信じることは出来ません。

どこが発信している情報なのか、どういうデータが元になっているのか、
誰の証言なのか、
それは、どこで語られたものなのか(本当に証言したのか)
それがハッキリしないものは、
頭の中の「一旦信じないフォルダ」に一時保管しています。
(100%信じないというわけではありません)

置き換えてみたらわかると思います。
友達の噂話とか、悪口などを聞くことがあると思いますが、
それが本当に真実なのか、確かめてみたことはありますか?

実際悪口を言われている人に話を聞くと、
それなりの事情があったり、誤解があったりしますよね?

もちろん本当の時もあるとは思いますが、よく話を聞いてみると、
大体の場合、その噂話には尾ひれが付いていることに気がつく筈です。
つまり、情報の出所が曖昧なものは、他人の噂話程度の信用度しかないと
ボクは思っています。

そして、ネットに出回る陰謀論の多くは、噂話レベルのものが多いです。

例をあげます。
「◯◯のニュース記事が、消されていた!」
と言って、その記事のタイトルのスクリーンショットがネットに出回る。
ということがたまにあります。

消すということは、不都合な真実がそこにあるに違いない!と思うわけですね。

しかし、ちょっとネットに詳しければ知ってると思うのですが、仮に記事が削除されていたとしても、過去の記事は、簡単に復活させることが出来る筈なのに、なぜ誰もやろうとしないのでしょうか?

Wayback MachineというWebサイトがあります。
https://archive.org/web

こちらのサイトは、世界中のホームページの過去の情報を保存しているサイトで、実に8570億ページもの過去のインターネットのサイトの情報を保存しています。
新アレクサンドリア図書館で情報を保管しているすごいサイトです。

このサイトで見たいURLを貼り付け、日付を指定すれば、タイムマシンの様にその日まで遡って、サイトを見ることが出来ます。

削除前の記事のタイトルをスクリーンショットしておくほど、用意周到な人が、なぜ、削除された記事を復旧させる努力をしないのでしょうか?

こういったものが、情報の出所が曖昧なものです。
特に最近では、写真や動画として情報が拡散されることが良くあります。

写真や動画に関しては、もはやフェイク画像やフェイク動画が簡単に作れる時代ですから、真っ先に疑うべきです。
特殊なAIでも使わない限り、人間の目でフェイクかどうかを見分けることは困難です。
可能なら、その写真や動画がいつ、誰が、どこで、何のために撮ったのか、調べる必要があります。(それでも調べきれないことが多いので、その情報は人に言わずに一旦保留しておきます)

ボクはいずれ、真理を伝える人のフェイク動画が作られて、教会を分離させるようなことも起きるんじゃないかと思っています。

画像や動画に踊らされてはいけません。
しっかり見極める目を持たなければならないと思います。

第三のポイントは、
情報の出所を確認する。
ですね。

まとめ

以上の基本的な3つのポイントをお話ししました。
・多角的に検証する
・数字に惑わされない
・情報の出所を確認する

他にも、「自分はこういうことを大切にしているよ」など、あれば教えてください。
(今思いつきましたが、発言者の立場から考えるっていうのもありますね。ポジショントークというやつです。できたら後編に少し補足しますね)

次回は、その3つに当てはまらないけど、真実の情報もあるかもしれないと思える時、どのように考えるといいか。
第四の視点について。

そして、聖書はそれらのポイントから見て信頼の置ける本なのか?
また、信頼が置けるとしたら、聖書は何といっているか?
について書いてみたいとおもいます。


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