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城田涼子の桶狭間巡り旅(全5回)

此城に一夜の宿を借屋して 明くれば水の泡と消えへなん

今川の浪風荒く立ち入れど 勝る水野に靡く義元

今川に流るるものは深草の 名は山中に残る義元

駿河なる兵どもは夢覚めて 名をのみ残す桶狭間山

夏山の茂み吹き分け漏る月は 風の暇こそ曇りまりけれ 

跡問へば昔の鬨の声立てて 松に答ふる風の悲しき

 

今年(2019年)は今川義元生誕500年にあたります。
ということもあり、桶狭間古戦場へ行ってきました。

謎を解きながら訪問記を書いていたら、長文になったので、
5回に分けて掲載します。


第1回 戦い以前の事 今川の城と織田の付城

 大高南部3砦が機能しなかったのは水野信元の裏切り故か?  

第2回 『信長公記』の記述を徹底分析!

 天保21年は「沓掛の戦い」の年だった。

第3回 もう一つの桶狭間 豊明市 vs 名古屋市

 結局、桶狭間古戦場はどこにあったのか。

第4回 今川義元はなぜ討たれたのか?

 今川義元の油断は佐々政次の活躍から生まれた。

第5回 松井宗信の事

 桶狭間では、なぜ松井宗信の名をよく聞くのか。


次の古戦場巡り旅、古城旅の
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【参考サイト】
とよあけ桶狭間ガイドボランティア
NPO法人 桶狭間古戦場保存会
名古屋に桶狭間あり。

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