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書き言葉のbefore and after


小熊秀雄の叙事詩についての記事で、五七調から開放された自由なリズムがあると書いた。
先日そう書いた小熊秀雄の作品は口語体だ。
作中には何人かの人物が登場し、マイクを向けられた人物がお喋りしている、誰かの発話、「」のなかの文章、なのである。書き言葉ではない。

比較の例に上げた上田敏、山田美妙らの七五調は、まさに書き言葉なので、そのために七五調への依存が強かった、と私は思っている。
(しかしながら逍遥のシェイクスピアの訳文は口語で七五調だから、言文一致の苦労の中で七五調をどう利用しようかという話の一端なのだとは思うのだけど。いや、歌舞伎の影響かな)

小熊秀雄が新しい詩のリズムを探求するときに、なぜ口語にしたのかを考えると、やはり、言文一致後の書き言葉の無機質な、無味乾燥な、味気ない、文化や文学史と乖離した有り様に困ったのだと思う。

言文一致afterの言語は、近代化(西洋の概念の受け入れ)のために作った言葉なので、それまでの時代の中でみんなで愛してきた詩歌や散文、名台詞、言葉、単語、韻律、余韻までもを捨ててしまったことはよく知られている(井上ひさし「國語元年」)。

そこで、beforeの書き言葉はどんなものだったか、元禄時代の小説を読んでみる。

井原西鶴 「好色一代男」天和二年(1682年)刊

巻一 七歳 けした所が恋はじめ
 桜もちるに歎き、月はかぎりありて入佐山(いるさやま)、爰(ここ)に但馬の国かねほる里の辺に、浮世の事を外になして、色道しきだうふたつに寐ねても覚さめても夢介とかえ名よばれて、名古や三左、加賀の八などゝ、七ツ紋のひしにくみして、身は酒にひたし、一条通り、夜更ふけて戻り橋、或時は、若衆出立でたち姿をかえて、墨染の長袖、又は、たて髪かつら、化物が通るとは、誠に是ぞかし。


これを、私なりに現代語訳すると、こんな感じ。

 桜も散る嘆かわしさよ、月の美しさは限りがあって入る山は入佐山。
 ここに、但馬の国の銀を掘るのあたりに、まともに仕事もせず、女好き男好きの二刀流に寝ても覚めても明け暮れてついに夢介と言われ、名古屋山左(なごやさんざ)、加賀八(かがのはち)などの男たちとおそろいの七つの紋の羽織で、酒に溺れ、一条通りなど夜更けに戻り、ある時は若衆姿、ある時は出家の墨染の袖、あるいは前髪を立てて格好つけ、化け物が通るというのは、まことにこの話である。


プロの現代語訳を引用すると、例えば島田雅彦のは、

 桜も名月もはかないものだ。花はすぐに散ってしまうし、月もやがて山の向こうに消えてしまう。兵庫のとある銀山の麓に、煩わしいことは一切ごめんと、寝ても覚めても女色男色に現(うつつ)を抜かす「夢介」という男がいた。
 京都に出ては、名古屋の三左(さんざ)君、加賀の八さんら名立たる遊び人たちとつるんで、七ヶ所に紋をあしらった揃いの着物で女をたらし、酒浸りになっていた。夜更けに一条通りを経て、戻り橋を渡る時は前髪を伸ばした若衆や虚無僧や、立髪葛(たてがみかづら)の男伊達に扮装し、いい気になっていた。(「好色一代男」島田雅彦訳日本文学全集、河出書房新社2015)

注目すべきは文末だ。
西鶴の文章は、まるで、文末という概念がない。自由だ。〜ました、〜でした、などと野暮なことは言わない。
実はこの文末に現代でも作家たちは悩まされているのである。

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