実録 寮生活 1

 私は、畑や山に囲まれた、言わずとも思い浮かぶようなド田舎で育った。中学校は全校生徒100名弱であり、20人2クラスの同年代が、私の人間関係のすべてだった。しかし、15歳になって、私は遠方の高校に通うことになり、晴れて寮生活をすることになった。

 昔から、人間関係で困ったこともなく、友達も多い活発的な性格だった。生徒会に属して、体育祭、文化祭のあいさつは保護者、教師の評判もよく、勉強面も器用にこなしていた。だからこそ、あのころは自信に満ち溢れていた。だからこそ、私にとって地元を離れて寮生活をすることもなんてことのないものと考えていた。

 反して、両親は私を多大に心配した。一人息子を遠方の、誰も知り合いのいない場所に送り出すのはさぞ心苦しいものがあっただろうと今は思う。

 私は両親のそんな気持ちも全く気にしていなかった。楽しい未来しか見えていなかったからである。

 しかし、寮に入った途端、井の中の蛙は大海を知る。

 これから住むであろう部屋に入った途端、ホームシックに襲われた。

 自分の荷物を部屋に下すと、急に胸が締め付けられた。もうこの場所で、私は学生生活を過ごす以外に道はなくなってしまったと、なぜだが思った。

 それからというもの、私はすっかり小心者になってしまった。地元にいた頃の自信はどこに飛んで行ってしまったのだろうか、というくらい人と接することにおびえていたように思う。

 一年生の住む寮の部屋は三人部屋で、六月末までは何があっても同じ住人を変えることはできない。私は、まずルームメイトと親睦を深めなければこれから住みにくくなるなあと、やけに生々しいことを考えていたので、ルームメイトとはすぐに関係を作ることができた。さらに、人間関係におびえているからこそ、誰でもいいから関係性を作りたいと思っていたので、きっかけを探して色々な人と会話をした。友達も次第に増えていった。それなのに、中学校の同級生のような気の知れた関係が恋しくて、勝手ながら空しさを感じていた。

 この時は、見知らぬ土地への不安が強かったと思う。最初のうちは毎晩静かに枕を濡らしていた。電話で両親の声を聴いたときに感じた胸の痛みは今でも覚えてる。あのころは、あまり心から笑えていなかった。

 月日が過ぎても、この空しさが消えることはなかった。気が付けば二か月の時が過ぎていて、学校は夏休みに突入しようとしていた。

 寮の食事は、食堂で賄われている。飯は、、、優しく言うとあまりおいしくない。

 その食堂では、長期休みの前にちょっとだけ豪華な食事が提供される。バイキング形式で、から揚げや、チャーハン、スパゲティなど、いつもは数や量に制限のある食べ物も好きなだけ食べることができる。

 この時のバイキングは特別だったようで、なんと食堂のおばさんたちが夏祭りでよく見るスーパーボールすくいの屋台を模様して、1人1プレイで提供していたのだ。この時、私はルームメイトと共に二個のスーパーボールを手に入れた。

 部屋に戻り、翌日には実家に帰るといううれしさもあり、私とルームメイトのテンションは上がりに上がっていた。ノリノリのノリである。

 そんなテンションの二人にスーパーボールを持たせたものなら、やることは一つしかないだろう。

 私たちは二つのスーパーボールを部屋の中の地面に思い切りたたきつけた。1フルスロットルの力で投げつけられたスーパーボールは爆散するように部屋中を駆け巡り、それを見て私たち二人は壊れるぐらい大爆笑していた。

 今にして思うと、奇妙な光景である。部屋に帰るなり、スーパーボールを投げ、それを見て笑う15歳、二人。

 しかし、その日の夜、私は実家に帰ることを初めて憂鬱に感じた。それと同時に、こんな簡単なことで笑えるのなら、これから先、どんなことがあってもやっていけると思った。

 彼とは、今でもくだらない話をして笑いあっている。薄暗い思い出が多い寮生活だが、この思い出が私に勇気を与えてくれたのだと今でも思っている。

 何もかも初めての世界で、私はおびえて、最悪を防ぐために人間関係を難しく考え込んでいた。しかし、いつでも答えはシンプルなものだったと言える。

 笑いあえることが楽しい。ただそれだけで、勇気をもらえるのだから。

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