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心も断捨離、そして老人の不安に気づく

一つ前の記事で、家中の断捨離を敢行した旨を書いた。


どこを見てもきれいに片付けられている家。

自分で片付けた場所を見るたびに「ほうっ…」といいため息が出る。

「きれいね~」「すてきね~」「よくやったわね~」

自画自賛。

それで不思議なのだが、父に対してもあまり怒りがわかなくなった。

小競り合いとかちょっとした言い合いは相変わらずあるのだが、言い合えばすっきりして後を引きずらない。

私の中にあった、怒りのマグマのようなものが無くなったような気さえしている。

あんなに渦巻いていたマグマ。

ちょっとした父の一言がきっかけで「あの時もあの時も」「お父さんはこうだった」と過去の出来事がよみがえってきて、現在の怒りと思い出し怒りが混ぜ合わさってとんでもないマグマが噴火していた。

それが今はマッチ棒くらい。チャッと着いてふっと消える。

家の中の不要品を無くすだけで、こんなにも心は平穏になるのか。

これは良い誤算だった。

不要品と一緒に心に溜めてたゴミも断捨離できたのだろうか。そうだと信じたい。


この二か月間、片付けがしたくてしたくてたまらない日々を過ごしていた。

欲、とも呼べるような衝動だった。

買い物に行かなきゃいけないのに「ここを、ちょっとだけ…」と片付けを始めてしまう。

断捨離したくてしたくてたまらずムラムラした日々。

なんだったのだろう。

生きているとこういう日々が訪れることもあるのかもしれない。


父に「これもう使わないでしょ?捨てていいよね?」と聞くと必ず「使わなくなったから捨てるなんてひどい」と言われた。

ひどい??

と最初は疑問だったものの、そのうち

「あ~これは不要品と自分を重ねているのだな…」

と気づいた。

年を取り、今までのように生活できなくなることへの不安、自分も「不要品」なのではないかという不安、自分もそのうち捨てられるのではないかという不安…

そのようなものが感じ取れてしまった。

年配の方は物を捨てられない方たちが多いけれど、物のない時代に育ったという以外に、こんな心理も隠されているのではないかなーと思った断捨離だった。

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