コロナウイルス問題の意外な対策方法(自由意志という切り札)

「良心の遺言本」を出さねばならなくなった理由について、もう少し詳しく書いておこう。


簡単に言えば、隠れた人間支配者たちへの抗議活動をしなくても、私を含めた「体験自由世界」を目指している人間たちの多くが不条理にいじめられ殺されてしまう可能性があると思ったからだ。


しかも、自分を苦しめている犯人をまったく知らないままに、気づかないままにいじめられ殺されてしまう可能性があると思ったからだ。


だから、私に加えられた攻撃ならば、自動的にその攻撃意志を感知できるので、その手口を公開してゆかねばならないと判断した・・・という経緯がある。


隠れたえげつない支配の手練手管は、複数あるが、今回は、今流行しているコロナウイルス問題についても、隠れた支配者による人間虐殺支配行為である可能性があるので、その問題について公開しておこう。


すでにコロナウイルス問題が世界に発生してから一年近くになろうとしている。


私は、それがウイルス問題であるだけならば、半年程度もすれば、その正体がはっきりとわかり・・・現実的な回避方法や対応策が明確にわかると予想していた。


それが、本当にウイルスだけのものならば、そうなるだろう・・・と。


だが、奇妙なことに未だ、コロナ問題は、こうすればいいという絶対的な防御方法もわからないままに継続している。


いつだれがコロナで死亡しても、「おかしくない」という常識のようなものが世界中にはびこってしまっている。


だが、こうした状況は、実はかなり不自然ではないか?


すでに膨大な感染者が生まれ、死者が生まれて・・・そのデータが蓄積しているはずなのに、その膨大なデータから「こうすれば大丈夫!」という確たる対応策がほとんど出てこないという状態は、これはもう、あまりにも不自然な状況なのだ。


相手がウイルスだけであれば・・・確実な対応策がいろいろ出てくるはずなのに、せいぜい、人と人が接触しないようにとか、ワクチンを接種すればいいとかの対応策しか出てきていない。


例えば、完全な無菌室や宇宙船内のような場所で生活すれば絶対安全のはずだが、どの国もそうした絶対に安全な避難場所を作ろうとか考えていない・・・
その気になれば、技術的にそうしたスペースを生み出すことができるのにだ。


また、もうひとつ妙な部分がある。


人と人が接触しなければ、絶対に大丈夫なのかといえば、人と接触していないのにコロナに感染した・・・みたいな話もある・・・


本人が嘘をついているのだ・・・と言う者もいるが、それが嘘だと断定する証拠など何も示されていない。
長期間、人と全く接触しなかった証拠を出すなどというのは、非常に難しいのだ。


空気感染するかどうかで、空気感染をするというのなら、完全無菌室での生活くらいしか根本防御の方法はないはずなのだ。


そして、PCR検査という代物・・・この検査で人に風邪のウイルスに似ているコロナウイルスが検出できるというが・・・その検査でそのコロナウイルスを目で見える形で検出し、培養したわけではない。


つまり、その検査が本当にウイルス感染者の死者たちの死因であるのかどうかを、断定的に決めることができない状態になっているはずなのだ。


それにもかかわらず、ただ、PCR検査で陽性になれば、コロナ感染だと決めつけているだけのように思われる。


さらに、その検査結果には、相当の割合で誤判定が出るとされてもいる。そんな誤判定がかなりの割合で出る検査だけをもってそれがウイルスの仕業だと決めつけている。


そんなわけのわからない状態で、なぜ、人類は、そんな検査を信用しているのだろうか?


そんなもの適当な風邪ウイルスで陽性が出るようにしておけば、いくらでも陽性反応が出続けるし、そもそも風邪という病が、ウイルスの仕業だと仮定しても、では、そのウイルスを隠れた支配者が裏で操作してコントロールして人を殺しているという可能性について、絶対それはあり得ないという証拠もないのだ。


ウイルスの仕業だから・・・自然界の道理だから仕方がない・・・では済ませられない。ウイルスを創造した者が絶対にいるわけだし、それが突然変異するというならば、突然変異を隠れた支配者たちがわざと操作して生み出していないという確実な証拠も、どこにもないのだ。


さて・・・なぜ、そんなことをここでせっせと説明するのかといえば、そこには重要な理由がある。


先日・・・私の体調異常と隠れた支配者の意志が、リンクしていると感じたからだ。


この判断の真偽については、絶対的な客観的証拠は出せないが、かなりの確率で、この判断は正しいと私は感じている。


つまり、結論から言えば、コロナウイルス問題は、隠れている人間支配者たちに、故意に意図的に生み出されている可能性があるという話になる。


いろいろな「意志」を感知できる自己観察力のある人間であれば、自分に向けられている意志と自分の肉体や精神の状態を同時に観察することができる。


すると、妙なことに、その隠れた意志と連動して、奇妙な一致をもって自分の肉体や精神が不具合を発生させたり、天気の状態に通常では明らかに不自然と感じるほどの異常を確認したり、鳥などの小動物がけたたましく鳴き出して騒いだり、虫たちの異常な攻撃行動が発生する・・・などの不自然極まりない現象に気が付いたりする・・・


風水の世界では、こうしたことは「外応」と呼ばれていて、昔の人はそれを使って運命を自分の望むようにしょうとしていたらしい。


だが、そうした外応という現象が存在するということは、その裏を見れば、人間やこの世界のあらゆるものが徹底的に支配されていて、不条理に酷い体験や運命を恣意的に与えられて強制されている世界でもある・・・という証拠にもなるのだ。


そして、世界に苦しみが満ちている・・・という事実は、「明らかな残酷な世界支配行為の現行犯の証拠」ということになるのだ。


こうしたことは、そんなの妄想だよ・・・というのが今の日本社会の常識なわけで・・・こうしたことを言うと、それを被害妄想や精神病だとして狂人や病人扱いする文化が既にできあがっているわけだが・・・


私は、そうした文化そのものが、隠れた支配者たちの自作自演の代物だと感じている。


そうやって、隠れた支配者の不条理な残酷支配行為をわからなくするための「人間たちに刷り込んだ洗脳という常識」というわけだ・・・

だが・・・


では、なぜそうした支配者たちが、それほどまでの圧倒的な支配力を持っていながら・・・わざわざ必死で隠れているのか・・・という疑問が出てくる。


それほどのチートな能力があって、世界支配を自由にできるのならば、支配者たちは、表の世界に出てきてもいいはず・・・


「我こそが、人類の支配者なり! 」と言って登場して出てこないのは、なぜだろうか?


冷静になって、よく考えてみると、ひとつの答えに突き当たる。


もし彼らが完全に無敵で人間からのありとあらゆる攻撃を無効にできるのならば、わざわざ隠れている必要はない。


支配者として、表舞台に出てきて、やりたい放題やるだろう・・・


少なくとも、そうしたことを何度か過去にしてきたはずだろう・・・


だが、そうした隠れた支配のプライベートな情報は、ほとんど表に出てこない・・・


出てこないが・・・支配行為は実際になされ、「意志」や「結果」として感知されている・・・


とすれば、少なくとも隠れなければならない理由、隠れて居たい理由が必ずあるはずだ。


そして、その理由が、「自由意志の力」は回避できずにもろに全部受けてしまう・・・つまりは人類にやりたい放題に酷いことはしたいが、それで直接ダイレクトに恨まれて、憎まれて、強い意志をもって否定されたくない・・・それは絶対に避けたい・・・という感じなのではないだろうか・・・ということが推定されてくる。


そして、私たち人類は、各自・・・自分の「自由意志」を持っている限り、それを試すことができる。この技を使うのは、危険でもあるので、もう本当に明日自殺したくなるくらいまで追い詰められたりしたら、試してみる手がある。
私などは、酷いことをされると自由意志の力が、ほとんど自動発動してしまうので、止めようがなくなって試しまくって、そうしたことに気が付いたわけだが・・・

人間支配者に歯向かった場合、出る杭は打たれる(危険だ)が・・・あまり出過ぎた杭(支配者に気が付いて自由意志の力で対抗してくる魂)は打たれにくくなる(推進力や自衛力として使える)・・・という感じではないかと思う。


隠れた世界支配者なんていやしないよ・・・それも妄想だ・・・などと思う方もいるだろうが・・・


隠れた残酷な支配者がいないのならば、それも妄想なのならば・・・いくらその隠れた「残酷な」支配者をその自由意志で本気で否定しても、恨んでも、憎んでも、罵っても・・・・そんなのは全部妄想で実際にはそんな支配者もいないし、不自然な現象もただの偶然であるというならば、・・・そうした自由意志の否定を受けても、誰も嫌な思いもしないし、傷つかないし、困らない・・・はずだろう・・・


そんな行為は、ただの馬鹿げた行為でしかない・・・


であれば、そんな行為をいくら人類が繰り返しても、そんな行為は、無視してほっとけばいいだけだ・・・


しかし・・・だ・・・実際にその行為を「本気で」試してみると・・・どうなるのか・・・


私の試したところ・・・明らかに背後に意志を伴う「反応」があった・・・


意志を持った反応があるということは、その意志をもった誰かに何らかの影響を与えた・・・ということだ。


このようにして隠れた支配者やその部下たち・・・を逆探知することができる・・・


そして、何がいいたいかといえば、コロナ問題にも、この自由意志の否定の力が有効かもしれない・・・ということだ。


コロナ用のワクチンを接種すれば・・・安全になる・・・などと思っている人が大勢いるようだが・・・そのワクチンが、隠れた支配者のさらなる人間支配アイテムではないという証拠はどこにもない・・・


もし、隠れた支配者たちが、コロナウイルスとか実は関係なく・・・人間の心身の状態を好き放題に自由に操作して、ありとあらゆる肉体異常を発生させることができ、その命まで奪えるとしたら・・・現在のコロナ騒動は、そうした隠れた支配者たちの人間虐殺のための「煙幕」のようなものである可能性がある。


もしそうならば、それなら悪い者だけをその力で世界から消してくれるのでは・・・という淡い期待は、すべきではないだろう。
なぜなら、もうすでに悪い者ではない良い人たち、あるいは罪のない人たちが多数・・・いや膨大に殺されているからだ。


無差別・・・あるいは利己的な恣意的な殺戮をしている可能性があるからだ。


ちなみに、地殻変動である地震やそれに伴う津波・・・さらには台風や大雨や竜巻や雷や雹などの異常気象をわざと生み出している隠れた支配者の意志は、すでにずっと前から感知している。


携帯電話やインターネットなどの通信世界にも、当然、その支配の手が伸びている・・・

ねこもしゃくしもデジタル化推進の背後には、そうした隠れた支配者たちの意志があると感じる。

人間の肉体の生命エネルギーである「気」まで、隠れた人間支配者が操作している。

そうなると普段自分の意志で動かしている筋肉が、自分の意志に反して動かされたりすることすらある。危険でしょうがない。それで大事故になっても自己責任と言われておしまいだ・・・

耳鳴りなども平気で遠隔操作で生み出す・・・


こうしたことを理解してゆくと、なるほど・・・肉体とは体験強制装置であり、世界とは体験強制収容所のようなものなのだということが、実感できるようになる。


こんなことは、知りたくもない・・・知らずにおきたかった・・・と思う人もいるかもしれないが、一応、話半分にでも知っておかないとそれこそ、やりたい放題されて、しかも、いろいろな失敗や不幸や苦しみを、ついには自分のせいだと思い込まされてしまうこともよくあることなのだ。


私の若いころが、そうだった・・・完全にそういうことに無意識無関心だったために・・・実は、わざと酷いことをされていたのに、まったく気が付かないまま酷い体験の数々を味わってきた・・・


例えば、その人間がどんどん不自由になってしまうような異常な食欲やその他の衝動や欲望などを故意に人間に植え付ける・・・などというようなことも頻繁に人間になされている。


まったくそうした攻撃に気が付かないと、許せない・・・あんまりだ・・・という「隠れた支配者たちを否定する気持ち」すら持てなくなるから・・・一応、話半分で、知っておいてもらいたい・・・


そして、実際に、そうした知りたくもない酷い裏支配のあの手この手のことが理解できる状況になれば、つまりは、酷い体験を強制される事態になれば、すでにそうなっていれば、、、必要に応じて、また、臨機応変に、賢く・・・その自由意志の力で対抗してもらいたい。あるいはその他のありとあらゆる方法と手段で対抗してもらいたい。


世界中で・・・個人は、その自由意志や自我などを捨てて・・・自然だとか、大いなる意志だとか、神だとか、恐怖政治国家の指導者だとか・・・その他、体験強制ピラミッドシステムの支配地位の上の者の意志に100%全面的に従うようにと・・・ありとあらゆる種類の飴体験と鞭体験の体験強制を故意に発生させ、自分たちの代理支配者をわざわざ置いて、隠れた支配者たちのイエスマンを自分たちは隠れながらいろいろな手練手管で生み出そうとしてくるのは、そうした裏事情があるからだということも、そのうちに理解できるようになるかもしれない・・・

親に従うべきだとか、ご先祖様には従うべきとか、先輩には従うべきとか、宗教指導者には従うべきだとか、神には従うべきとか、恐怖政治国家のボスたちには従うべきだとか、全部、同じ穴のムジナ……同じ目的=利己的な支配者に何でも従うイエスマンを生み出すための予備練習……そのための手を変え品を変えての手練手管のの仕組みであろう。


★つまりは、個々人の持つ「自由意志の力」を封殺しておきたい・・・わけだ・・・そして、自分たちは何とか絶対に知られないように隠れた状態で、否定されるような酷いことをやりたい放題したいわけだ・・・

それでいて、そんな理不尽で不条理で残酷で勝手気ままな支配者たちの言うことを無条件で何でもハイと肯定する良心的に壊れた悲しいロボットのような魂を生み出そうとし続けてきた……それが裏の世界での本当の人類の歴史というものだろう。

みんなにとっていいことだけするなら、自然にみんなに肯定され感謝されるだろうから、隠れる必要はない・・・みんなにとっていいことをするのなら、「体験自由世界」を目指せばいい。

そうした利己的で残酷な体験強制世界を存続させてその良い地位につこうとするのではなく、あらゆる魂が自分の体験そのものを自分の意志で自由自在に選んで楽しめる体験自由世界を目指すように……

その結果が出ない限り、良心は、この世界の創造主だけでなく、そうした体験強制世界を利己的な目的で存続させようとする隠れた支配者たちも否定することになる。

そこには二択があり、

一つ目の選択は、

残酷体験強制ピラミッドシステムを根本から本気で改めて体験自由自在世界=あらゆる魂にとっての本当の楽園世界を実現する。

もう一つの選択は、

自分たちの利己的な動機で強制してきたありとあらゆる残酷体験を自業自得の罰として味わい続ける。あるいは魂としていったん完全に消える。

みんなは、それぞれ、どちらを選ぶだろうか?

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