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あなたの会社にいる「最近の若者」は、こんなことを考えている


「あの先輩はたった半年で仕事を辞めたらしい」というのを、風のうわさで聞いた。あとあと調べてみると、たしかに半年で辞職していた。

周りの友人たちに話を聞いてみると、「まあこの会社に3年も居れば、長い方だよ」などと語っている。何を隠そう僕も、最近の若者の1人であるから、その時間感覚にすごく理解できる。

その一方で、「たった2年や3年働いただけで、社会や会社の何がわかるというのだ」という考え方も、ごもっともだと感じる。おそらく10年・20年と働いて初めてわかる景色というものがあるのだろう。

氷河期世代の方やバブル世代の方のアドバイスを差し置いて、僕たちは次々に会社を辞めていく。この現象はなぜおこっているのだろうか。僕の頭の中、ひいては若者の頭の中をご紹介する。

会社に守ってもらえるとか、期待してない

1度くらい高度経済成長を味わいたいと思ってベトナムに行ったが、皆が笑顔でせわしなく仕事に取り組んでいた。しかしながら日本に育った僕は、今ある会社が、明日も元気に存続してると思えないのだ。

僕は不景気の中で育ってきたので、「今日よりも明日の経済が明るくなる」といった感覚を味わったことが1度しかない。

財政基盤の弱い会社は、廃業か買収を迫られ、○○ホールディングスなるものがわんさか増えるのではないか。その時に急に雇用を切られて、明日の生活ができるかどうかも危ぶまれる事態になるのではないか。分社化して子会社に派遣され、昇進があり得ない場所に放り捨てられるのではないか。

30代~60代の方々はすでに実績も経験もあるから、まずはじめに本社に残されるだろう。経験も実績もなく、あるのはやる気・生意気さ・可能性だけの僕らは、どう戦っても勝つことができないだろう。大学を出てすぐのヒヨコな僕が戦力になれる時期など、何年後の話だろうか。

必ず僕の雇用を守ってくれる保障や、終身雇用契約なんかがあるわけではないのだ。そのような会社に、安定を信じられない。

早くキャリアを積まないと、生活がヤバい

「雑用や掃除を馬鹿にするものが、仕事なんてできるわけがない」という意見に、僕はまったくもって賛成である。仕事の名前もないような小さなことをバカにして行わないというのは、まったくもって失礼な話だということにも、大いに共感する。

しかしながら、どんどん経済が落ちぶれていく日本。
働き方改革によって、どんどん若者が甘やかされていく日本。
ジョブ型雇用の実力主義が導入されつつある日本。

僕たちは叱られもせず、残業時間は規制がかかっているためにハードワークができるわけでもない。これは僕の甘えであるが、ハードワークをするのであれば、会社のみんなで一緒になって残業することで、やっとこさやる気が出るわけである。

「家に帰ってから、1人でセルフブラック化をすればいい」という話があるが、これでは1人で頑張らなければならないので難易度が高い。

いちおう多少は1人で頑張るのであるが、チームで一緒になってハードワークを乗り越えてきた40代や50代の方々との、圧倒的な実力の差が生まれてしまうのではないかと不安になる。

「この会社にいても、本質的な成長は見込めない」

”成長とは何たるか”ということもよくわからないのであるが、とにかく自分はここにいてはだめなのだ、このままではダメなのだという不安だけが積もっていくのである。

僕を認めてくれる会社はどこだ…?(転職思考)

転職系サイトのCMがバンバン流れる時代である。WEB広告の多くも転職サイトであふれているし、「スカウト型転職」というものも大いに流行っている。就職活動でさえ、「スカウト型就活」というものが生まれている。

僕は非常に世間知らずの愚かものであるから、「自分を認めてくる場所はどこだろうか」という承認欲求に縛られて生きている。社会に出て間もないヒヨコに、そんな場所はあるわけがない。

しかしながら、転職スカウトから「あなたのような即戦力が必要です」と連絡が来るのである。そこで僕は勘違いをする。

「ああ、この会社こそ僕の天職かもしれないのだ。ここでこそ僕は成長して、輝けるに違いないのだ」というようにピョコピョコ連れられていってしまう。いわゆる ”引き抜き” というものが、新卒の一般人にも起きてしまうのが少子高齢化の恐ろしいところだと思う。

本人の実力がたいしたものではないのに、働く人材が足りていないので「あなたの素晴らしい能力をわが社で活かして頂きたい」という風にべた褒めされるわけである。それで僕は勘違いをして、「僕は思ったよりも優秀な人間だったらしい。それならば会社を選ぶ権利は僕にある」と考えてしまう。

これによって、 ”自分には何も実力がない” という事実を理解できずに、フラフラ転職を繰り返すわけではないだろうか。

まとめ

僕は「最近の若者」そのものであり、実際に上記の考え方をすることが時々ある。そのたびに「若者なんて社会的にみたらヒヨコなのだし、昔の方と比べて努力量も圧倒的に足りていないのだから、しっかりもう1年頑張るのだ!」と考えるようにしている。

しかしながら、若者側の不安もを考えると、相当なものがあるだろう。日本経済の先行きは怪しいし、働き方改革で叱られなくなったので、実力の勘違いが加速するのではないかという不安感。さらに少子高齢化で働き手は少ないので、僕らは”貴重な人材”としてさらに甘やかされてしまう。

家庭をもてるほど近所関係がいいわけでないし、子供を持つほどお金がたまっているわけでもないから、ある程度好きに生きてもしかるべきだろう。

しかし老後のことを考えると、「自分は何のために人生を生きていたのだ」と孤独になりそうな気がする。うーむ、うーむ。

愛のあるご指導をしていただける人がいないことに不安を覚えているので、「どうか僕に厳しい指導をしてください」と上司に頼んでみるか。それはそれで、本気で殴られ蹴られでもしたら怖いしなあ。

はてさて、最近の若者である僕はどのように生きていくべきだろうか。

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