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海外1人旅をして得たもの

初めて海外へ1人旅へ行った。ベトナム社会主義共和国へ8日間ほどの旅をしてみたのだが、色々と学ぶことも多かった。具体的にはどのようなことを学べたのだろうか。自分を納得させるために、色々と書いていこうと思う。


1.日本の当たり前は、化け物級。

これは月並みな感想かもしれないが、日本という国はたいへん凄いのである。ベトナムで生活をしていて気づくのであるが、まずは日本の道路が美しい。どこにもゴミが落ちておらず、路面もたいへん綺麗に整備されている。

なおかつ、歩道がちゃんと歩道としての役割を果たしており、街を歩きやすい。ベトナムでは歩道に原付が駐車されていて、いつも道路側を歩いていた。クラクションは常にうるさいし、道路にはかなりの量のゴミが放置されていた。大型のネズミ・ゴキブリに慣れてしまった。

なおかつ、日本では「ぼったくり」が滅多にない。ベトナムの店では値札が無いので、ほとんどのお店で値段交渉をしなければならない。「自分の欲しいと思う金額で買う」という感覚は当然と言えば当然である。しかし、毎回値段交渉をするのには体力を使うわけである。これを市場の原理で勝手に決めてくれる、日本のすばらしさは計り知れない。

さらに日本では、下水道が綺麗に整備されている。トイレに紙を流しても何の問題もないし、ウォシュレットだってどこにでもある。公共施設のトイレが無料で利用できる国なんて、世界的に見てもたいへん珍しい。さらにそのトイレはどこに行けども美しい。これは化け物級の国家である。

日本人のように真面目で丁寧な人種は、世界的に見てもかなり希少だと感じた。そのおかげで、国中が隅々まで美しく、清潔に保たれている。

2.自分の意見は、主張してなんぼ

「僕はこうしたいのだ!!」と強く主張する。なんとか言葉にして、相手を納得させるのである。これは海外旅行に必須の能力であり、僕はあまり持ち合わせていないことであった。海外旅行では、すべての決断が自分の責任として降りかかってくる。「それで、あなたはどうしたいの?」と常に問答されているような感覚に陥るわけである。

言い換えるのであれば、「今ここにいる自分は、何をどうしたいのか」を常に主張し続ける環境。これは日本に居ながらでは身につかない事だろう。これが「人生観かわったわ~」と話す人が続出するゆえんだろうと思う。

3.英語すらしゃべれないの?という感覚

ベトナムは英語圏ではないので、まずはベトナム語で話しかけてくる。それでも通じないようなら、英語で優しく語りかけてくれるわけである。そこで旅行者は一つの洗礼を受ける。

「え、英語すら喋れないの?」

そういう目を向けられるわけである。「この旅行者は英語も喋れずに、ほんとうに大丈夫だろうか」という不安げな目。「英語すら喋れないなら、多少値段をふっかけても大丈夫だろう」という、たくらみの目。そういった目が旅行者に向けられるわけである。

自分自身も、英語すら喋れない自身に恥じらいを感じるようになる。「あいてはこちらに譲歩して、優しく英語で語り掛けてくれた。僕は英語すら話せないのか。」このような劣等感が身を包むわけである。

旅行者は、必死になって英語を読解しようとする。必死になって英語を話そうとする。するとどうしたことだろうか。以前よりも、英語が理解できるようになるわけである。生きるために必要だからだ。

4.日本の労働者は、わりと幸せ

韓国やベトナム、カナダや台湾に旅行に行ってきたのであるが、多くの国は財閥企業が経済を牛耳っていることが多い。大企業と中小企業には多大なる賃金格差があり、競争に負けた人々は喫茶店を開いたり、個人商店を営んだりする現状を見てきたわけである。

それに対して日本は、競争に失敗しても中小企業という受け皿がある。さらにその賃金も、そこまで大きくは変わらない。さらにその下には生活保護制度に支えられているし、健康保険で身体的なことまで守られている。会社は1度や2度のミスで簡単に雇用解消をしないし、法律にも守られている。

会社は労働者が選べるし、一生懸命に働いたのであれば転職もできるだろう。辞めるか続けるかの選択肢は労働者側にあり、簡単に起業することもできる。わりと労働者の未来は明るいし、そこそこハッピーに暮らせる国なのである。人生の自分に対して責任を持ち、自分の意思を明確に示せるのであれば、こんなによい国はない。

しかしながら、日本には独特の閉塞感があると感じた。なにか「規律を守らなければ」という空気が国中に張り巡らされており、お互いがお互いを監視している感覚があった。これでこの国は清潔に保たれているのであるが。「高速道路付近の木々にハンモックを掛けて、半裸でお昼寝ができる人間」が、この国には何人いるんだろうか。日本人よ、自分を解放せよ!

5.「日本以外でも生きていける」という感覚

海外に行ってみて気づくのであるが、どこに行っても人は優しい。世話を焼いてくれる人がいれば、つたない日本語で話しかけてくれる若者もいる。英語を多少話すことが出来れば世界中で通じるし、仕事はどこにでもあるわけである。

ベトナムの人々は、みんな幸せそうに働いていた。賃金が低くても、自分自身のことや自分の国に誇りを持っている。みんなで助け合って生きており、孤独死なんてもっての他、という感覚さえ持てる。僕は「地元から出ないヤンキーに似てるな」と思った。彼らはとんでもなく幸せなのだろう。

何よりも、「僕は日本で合わないだけで、他の国では合うのだ」という安心感がヤバい。日本でうまく生きていけなかったとしても、本来の僕の居場所はこの国にあると信じることが出来る。心のよりどころになる。

さらに現代はインターネットの発展によって、どこにいても日本の顧客と繋がることが出来た。もう解放への準備は整っているわけである。世界は広く、どこに行っても人は生きて行ける。私たち日本人は、「最強のパスポート」という自由への翼を持っている。

過去2000年で達成されることの無かった、「どこへでも行って、何をして生きても良い時代」がついに到来した。さあ、次はどこの国は行こうか。


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