#02 死にたいなんて言わないでよ

例のアプリに身を置いてからは色んな人に出逢い、色んな形で刺激を貰った。
ヴァーチャルロワイヤル。
なかの人達はヴァーチャロとかヴァチャロワなんて呼称していた。
僕はVRと呼んでいた。名前なんてシェア出来てるならなんでも良いというのが
僕の考え方で。僕の呼び名だってなんだっていい。言った通りシェア出来てるなら。裏で思われがよくない意味の名前でシェアして呼ぶのはどうかと思うけれど。

そこに行ってみてよく目についたのが、僕が男である性別上かなんなのか
死にたい死にたいと口にする女の子たち。
皆、何が理由なのか?
聞いてるうちにわかってきたことは、家族間に問題があるということ。
それぞれがすごく感受性が豊かで傷つきやすいということ。
そして公衆の不特定多数の前では滅多に口にすることはないということ。
10代後半から20代前半に多くみられるということ。
これらは傾向でしかないし、僕が認識してない人が
言うわけでもなく、決まった人から日によって聞くことがある程度で。

でも僕が得てして知ったことは、その声を聞いているのが
聞こえてくるのがしんどい、だった。
仲良くなるにあたってその人のバックボーンを知らないといけないと思う。
その上で聞いてるこっちがメンタル抉られるような辛かったエピソードが出てくるのは仕方のないことだが、何度も何度もその話に帰結していく人が
あまりにも多くいて困った。
僕は臨床心理士でも心理カウンセラーでも医者でもなんでもない。
ただの一介の人間。どこにでもいる普通の人間で。
何故?こんな僕に?
話してくれるのか、いまいち理由がわからない。
話しやすい?誰にもいわなそう?
漠然としていて曖昧すぎる。確かな決定打が見つからない。
考えるのも無駄かもしれない。

でも不幸話ばっかり聞かされるのも辛いし、何より人として嫌いになれなかった。
嫌いになれたらどれだけ楽か。
例えば乳製品でアレルギー反応が出たのに無理して口にする人がいるだろうか?
味が好きだからとかアレルギー反応も見越して口にする猛者も
もしかするといるのかも知れない。でも僕は違う。
嫌いになりきれなくてもアレルギー反応やそれらを乗り越えてまで
とは思わない。

ひとりまたひとりと増えていく。

僕は何度も同じようなことを口にした。
「どうしても死にたくて死なずには居られないのなら仕方ないのかも知れない。
でも僕は生きて欲しいと思ってるよ。」
そんな言葉やそれに似た言葉を何度も掛けた。
無責任にそんなことを言ってるわけではない。
僕の中にも希死念慮は確かに存在する。存在するんだ。
でもそれをうまく話せない。どこから話していいものかわからない。
人は一度や二度ならず人生に於いて本当に死にたい場面に遭遇するものだと
思っているところもあるから、僕だけが特別じゃないと思っている。

あの子に出逢うまではそうだった。


僕は特別な何かを持っているらしかった。
あの子にとっては。日和【ひより】にとっては。

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