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漫画と落語

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「漫画と落語」をテーマにした記事のまとめです。
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『漫画と落語』・目次

第一章:田河水泡と『のらくろ』その1 江東区森下の「高橋のらくろ〜ド」/手に入らない、か…

加山竜司
1年前
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漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 14

田河水泡=滑稽の人  これまで見てきたように、田河水泡は実に落語的な人物であった。では、…

加山竜司
10か月前
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漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 13

国家総動員法と新聞雑誌用紙統制委員会  戦争の影響は、作品の内容だけでなく、雑誌や書籍の…

加山竜司
10か月前
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漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 12

爆弾三勇士と『のらくろ』の昇進  田河水泡が『のらくろ二等卒』の連載を開始した1931(昭和…

加山竜司
1年前
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漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 11

漫画界に押し寄せた「円本ブーム」の余波  田河水泡が漫画家としてデビューした当時、出版業…

加山竜司
1年前
3

漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 10

日本最初のロボット漫画『人造人間』  これまで田河水泡(高見澤仲太郎)は「新しいもの好き…

加山竜司
1年前
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漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 9

漫画家・田河水泡の誕生  新作落語の連載が1年ほど続いた頃、仲太郎は「面白倶楽部」の中島民千編集長から、ある提案を持ちかけられた。  美術学校出身という経歴を知った中島編集長が、それならばと勧めてきたのである。漫画を描くとは思いもしなかった仲太郎は、はじめは渋ったものの、中島編集長に勧められるままに挿絵を描き、次第に漫画を描くようになっていった。    落語作家としてのペンネーム「高澤路亭」は編集部につけられてしまったが、漫画家としてのペンネームは仲太郎自身が考えた。  

漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 8

大正の新雑誌創刊ブーム  1925(大正14)年、日本美術学校を卒業した仲太郎は26歳になってい…

加山竜司
1年前
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漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 7

田河水泡の軍隊経験  幸福な修業時代は、突如として終わりを告げた。  1919(大正8)年、…

加山竜司
1年前
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漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 6

仲太郎の小僧修行  1914(大正3)年、仲太郎は実父のもとに戻された。 家業を学ぶために、…

加山竜司
1年前
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漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 5

「落語作家」を生んだ明治深川の大衆演芸事情  1905(明治38)年、仲太郎は小学校へあがり、…

加山竜司
1年前
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漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 4

江戸っ子・田河水泡  田河水泡の本名は高見澤仲太郎という。  1899(明治32)年2月10日、…

加山竜司
1年前
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漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 3

“漫画の神様”も心酔した田河水泡  手塚治虫が生まれたのは1928(昭和3)年である。  手…

加山竜司
1年前
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漫画と落語:田河水泡『のらくろ』 2

昭和恐慌と『のらくろ』の時代  田河水泡の漫画『のらくろ』シリーズは、猛犬連隊に入営した野良犬の黒吉、通称「のらくろ」が不慣れな軍隊生活でドジを踏み続けるナンセンスギャグ漫画である。「のらくろ」のしくじりが偶然にも功を奏して手柄を立てることになり、勲章をもらって出世していく……といった内容だ。いわば「のらくろ」は落語における与太郎のような存在といえる。  のちに田河は「子供に人気の『犬』と『戦争ごっこ』を組み合わせれば人気が出るだろうと着想した」と、述懐している。  19