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従兄弟の留学話。其の二

1年間の語学留学を経験し、仕事で多少の英語を使うようになった我が従兄弟。なんと会社から3年間のタイ赴任の話を受けていたことが先日発覚。

さて彼の答えとは?

はい、結論からいいます。

断ったそうです。

私は愕然としました。「お前、なんのために1年間語学留学したん?」と。

彼はこう答えました。「いやオーストラリアとかならいいですけど、タイはちょっと…。」

その後も従兄弟の彼と話を続ける中で、見えてきたことがありました。留学がファッションみたいな流行りものなんだな…と。

インターネットがなかった30年前、留学情報はこれほど日本語で溢れていませんでした。例えばこの数年年間1万人近い日本人がオーストラリアにワーキングホリデービザで滞在しているのに対し、30年ほど前にワーホリビザが設立された時の申し込みは1000人に満たなかったと聞いています。

このnoteもそうなのですが、2021年現在、インターネットにはたくさんの留学経験談があり、ウェブに留学エージェントがたくさんの情報を載せています。

そう、留学は年を重ねるにつれて一般化、大衆化しているのです。

決して英語が、勉強が、得意じゃなくても多少のお金があれば海外体験、多少の留学経験が可能な時代になりました。(それでも留学なんて高くていけないよーという人が多数いることも理解はしています。)

思い起こすのは、僕らが高校生だったころの話。年齢に不相応な高級ブランドの財布やマフラーを身に着けることが流行ったように、若い人ならいつの時代も背伸びしたいもの。

今の中高生でいうとiPhoneを持つこと?がそれに近しい現象なのかもしれません。WIFIとISPの違いはわからないけどiPhone欲しいみたいなね。まぁ大学生が留学することも、そんなことに近しい行為になっている気がしているのです。

もちろん当時のすべての高校生がハイブランドの小物を所持していたわけもありません。今だってandroidのスマホを使う中高生はいて、いやスマホすら持っていない中学生はきっといるはずです。

ただ、そういったものたちが大きな意味もなく大衆の憧れになってしまうことに少し怖い印象を受けてしまいます。

ちょいと身内の批判的なことを書いたように見えるかもしれませんが、留学ってお金だせばできるファッションみたいなものになってほしくないなと僕個人は思っています。

なので、彼には言っておきました。

仕事でオーストラリアに来たくても、タイ赴任を断った人間にはオーストラリア行きの話はこないぞと。オーストラリア赴任の話があっても、まずタイ赴任を経験した人にその話が行くだろうと。

もちろん彼はわかっていたし、そもそも、彼の会社にオーストラリア赴任という話はないらしいです。まぁ人それぞれ考え方があるとは思うのですが、ちょいと考えさせらえる出来事でした。


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