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9割は周りのせい ~Vol.4~

Vol.3では、高校生活の中でも主に部活を通して得たことについて振り返った。今回のVol.4では、主に学校生活と私の進路について振り返ってみる。


教師の夢への断念


Vol.1、Vol3を読めば想像が付くだろうが、教師に対するイメージが180度変わった。中学時代、教師という職業に魅力を感じ、将来の夢となったものが、良くも悪くも高校でぶち壊された。

言うまでもないが、今の時代、教員とは凄く大変な職業だ。体罰に対しての取り締まりが厳しくなり、親からのクレーム、SNSの普及などで子供の扱い方がより難しく、多くのことを考えなければならないようになっている。

それらによるストレスで辞めてしまう教師も多く、人員不足や、教師の質の低下などにつながってる。

そんな部分を高校生の時に気づくことが出来たと思えばポジティブな出来事だったと思う。

私の大好きだった先生も若いが故に、多くの仕事を任され、大変そうだった上、沢山怒られていた。中学の時は助け合っていたように見えていた教師関係が、高校では責任のなすり付け合いのように見えた。

やりたく無い仕事を後輩教師にさせるなぁ」と高校生ながらに感じていた。そして自分もそうなってしまうのでは無いかと感じ、だんだん教師になることに魅力を感じなくなっていった。

大学選び


大学一年時は「教師になるため」に、またキーパーコーチの出身校でもあったことから福岡教育大学を目指していたが、その夢が変わったことで完全にフラットな状態になった。

就職か大学、もしくは専門学校という選択肢の中、「海外経験」をしてみたかった事と「自分がどうなりたいか」を考えたくて、大学に行きたいと担任の先生と親に言った。

ただ、サッカー中心の生活だった事はそれを難しくする。Vol.3で書いたように毎日自主練をしていたため、帰宅はいつも21:30~22:00だった。家に帰ると、すぐにご飯食べて風呂に入って寝る。そんな毎日だったため、電車の移動時間で宿題を終わらせ、家で勉強をするなんて事は一度も無かった。

睡眠時間を確保しないと確実に体調を壊していたため、「時間の使い方」を意識し始め、行き帰りの電車や待ち時間などの隙間時間を効果的に使える
ようになっていった。

とは言っても、課題を最低限こなす毎日。模試では全ての公立・国立大学
E判定だった(入ることが出来ない)。

でもどうにかそういった大学に入り、親を少しでも楽をさせたいと思い、推薦入学を狙っていた。そのため、席を1番前にして、3年間成績オール5を維持した。

担任の変更


教頭先生の定年退職によって、教員たちの様々な立場が変わったことで、私の所属していた特進クラスでは珍しく、「3年時にクラスの担任が変わる」ということが起きた。

進路を確定させる大切な時期に見ず知らずの先生が担任となり、クラス内はブーイングムードだった。しかし私にとっては、この先生との出会いが
今の大学に入る大きなキッカケとなった。

「北九大のAO入試受けてみないか?」

「AO」とは、Admissions Office(アドミッションズ・オフィス)の略で、各学校の入学選考事務局を指しますが、評価の基準となるのは学校または学部・学科が提示する「アドミッションポリシー(受け入れ方針)」に基づいた「期待する人物像」です。例えば「自立心を持ち、何事にも積極的に取り組む姿勢を持つ生徒」といった人物像に合致するかどうかがポイントです。

進路ナビ 高校生のための進路サイトより引用

聞いたこともない言葉に戸惑った。

AO入試?そんなものがあるあんて知らず、どうせ一般入試で受からないし、やってみて損はないと思いやることにした。

その高校では前例が無かったため、その先生が分からないながらに放課後や夏休みも親身になって対策をしてくれた。そのおかげで奇跡的に合格を
果たし、私の高校から初めて、北九州市立大学地域創生学群に入学が決まった。

今の大学生活で私の人生は大きく変わったと思う。それも今後振り返るつもりだが、その大学に入ることが出来たのは間違いなくこの担任の先生のおかげだった。

高校生活の後悔


努力をすることの大切さを部活で学び、今の大学にも入ることが出来た。だから高校生活は成功とも言えるが、その中でも「後悔」があった。


サッカー以外のことにも熱を注ぐべき」だった


サッカーで高校に入学したという理由で、それに固執しすぎ、他のものに情熱を注がなかった。例えば、文化祭や体育祭も言われたことだけをただこなすだけだった。リーダー的なポジション、クラス委員みたいなものになるように何度もお願いされたがそれも断り続けた。

可愛いと思っていた人にアプローチすることも無く、それもまたサッカーをやる上で邪魔になると思っていた。

まぁ、それらをやってしまっていたら本当に集中出来ず、ここまで実力を付けられ無かったかもしれない。先生の信頼も失い、こんなに熱心に指導して貰えなかったかもしれない。

何事も「no pain, no gain」なので、何かは捨てないといけないんですが。。

でも、思うのは、絶対もっと学生生活を楽しめたはず。サッカーに固執するという凝り固まった考えストイックすぎたその性格が自分のやりたい事を邪魔していたと思うと後悔もする。


9割は周りのせい

このタイトルのように「自分がどうしよう」とか、「どうなるのか」なんてものは学校や周囲の人の「」によるんだと思う。

今、振り返ると私は凄くラッキーだったと思える。

でも、たとえどこかで違う出来事が起こり、違う道を歩んでたとしてもそれはそれで幸せに暮らしているんだと思う。

例えば、今のような自己肯定感の高い性格ではないかもしれないけど、前述した後悔はないのかもしれない。普通の公立高校に進んでいたら教育大に進み、今頃教師になっているかもしれない。そして、めちゃくちゃ楽しい教師人生を送っているかもしれないし、ストレスでうつ病になっているかもしれない。

例え過去に失敗し、そのせいで道が変わったとしてもそれはどうこう出来るものでは無かった。ベストじゃなさそうな決断も結果的にベストだった時もある。後悔するような決断をしたとしても、それは

周りのみんなのせい(おかげ)である

から気にしなくて良いんだと思う。



9割は周りのせい(完)

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