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9割は周りのせい ~Vol.1~

それでは最初の大きなターニングポイントとなった中学2年生。中学時代の話をVol.1, 2 と2回に渡って振り返り、考えてみる。


何か違った中学生活の始まり


新しい制服に袖を通してウキウキした気持ちで校門をくぐった中学一年生の春。しかし、その学校生活は楽しいものではなかった。なぜそう感じていたのか。みんなから除け者にされるのが怖い。友達がいなくなるのが怖い。という感情が強く、それらが大きなストレスになっていた気がする。

学年が上がり、新しい環境。中学生ということでヤンキーがカッコ良いみたいな考えになるのは決して珍しい事ではない。

喧嘩をすること、先生に反抗すること、悪さをすることが正しいという風潮があり、出来ないやつは何となく見下されていた気がする。

おそらく当時は、それらをやりたくなかったのだろう。しかし、例え自分が「やりたくない」「嫌だ」と思っていても、周りに合わせてやっていたのだ。

今でも覚えているのが、担任と一対一の面談で

ちゃんと授業を受けたい

と言った。

その時に、担任から、

「よしじゃあ、1番前の席で受けてみろ!」

と言われ、席替えで1番前の席になった。

その時に数人の友達から、「なんで1番前に行くの?」「後ろの席で遊ばなくて良いの?」と言われた。彼らの前で「もう真面目にやりたいんだ」と言うことは残念ながら出来ず、またそれが原因で除け者にされるのが怖くて、先生に言ったことを撤回した。

後ろにいたら、ちゃんと授業を受けることが出来ないことは分かっていた。でも、それ以上に自分が1人になることが怖かったんだと思う。

そして、結構学校に行きたくないと思う日が続いた。体感だが、今までの人生で一番長い1年間だった。しかし、「親に心配をかけたくない」という気持ちがとても強く親に「学校に行きたくない」なんて言えなかった。

中学2年生の私

ターニングポイントとなる出会い

中学2年生のクラス替えは本当にドキドキした。同じようなメンバーでもう1年間は本当にキツいと感じていた。

そんな時に、私の中で大きな影響を与えてくれた先生が担任となる。

「担任が私を変えてくれた」みたいな話はよく耳にする話だが、その感じはない。
どちらかというと「学校を変えてくれた」や「クラスの雰囲気を変えてくれた」といった方が適切な気がする。

「悪いことをすることがカッコ良い」という風潮から、「ちゃんとすることがカッコ良いんだ」という風に変化した。

そして、何より学校に行くことがめちゃくちゃ楽しくなった。何が楽しかったか?と聞かれると具体的なものは覚えてないが、1年生の時の学校に行く感情とは大きく違っていたことだけは確かだ。

そして3年時もその先生がそのまま担任となり、本当に卒業したくない、そしてこの生活が終わるのが嫌すぎて大泣きしたことは今でも覚えている。

私に与えられた責任

その先生のおかげで学校が楽しくなってきた中学2年時、それとなく「みんなの意見を聞いて決定する」ような立場、いわゆる、「クラス・学年をまとめる役割」が多かった気がする。

そしてこの経験は、高校、大学と私の人格を形成する上で大きなベースになっていった気がする。

よく言えば「聞き上手」、悪く言えば「自分の意見がない」といった感じの生徒に成長していった。

中学3年時に美化委員長(一般的には風紀委員長というのかな?)という立場になった。きっかけは、2年時に楽な委員会に入りたくてそこを選んだこと。しかし、2年時に私の周りには活発な生徒がいなかったため、3年昇格時に委員長になることを強要された。

おかしい。1番楽な委員長で仕事はほとんど無いということを聞き、承諾した役割のはずが、全校集会で他の生徒に注意しないといけないという仕事が新たに出来てしまったのだ。

例えば、飴のゴミやタバコの吸い殻。1年の時は当たり前だったのに、3年になった私はそれらを下級生に注意していた。全校集会の前で話すのは恥ずかしいし、怖いし、ましてや俺からしたらどうでも良いことを何で注意しないといけないんだと思っていた。

でも、不思議とその担任から与えられた仕事やお願いは嫌な気がせず、その仕事でさえも引き受け、年間で3、4回はやった気がする。

今考えると、先生が注意するより3年生の生徒が言った方が1年生にとって効果的だろうとか、子供に立場、責任を与えるといった意図があったのではないかと想像できる。


責任を与えることの大切さ

もしその意図があったのだったらバッチリハマったのだ。

その他にも、体育祭で後輩の指導、合唱コンクールで全体指揮みたいなこともした。

人の前に立つ役割は他の生徒に比べて多く、どれがきっかけだったか覚えていないが、だんだん人の前に立つことが嫌いじゃなくなってきた

そして、その自信が周りにも伝わっていったのか、多くの教師から「あなたは先生に向いてるよ!」と言われ、何だか嬉しくなったことを覚えている。


嫌なことでも場数をこなすと慣れるんだ」と感じた。

そして子供に「嫌なことを続けさせる」上で大人が考えるべき大切なことを2つ。

1. 子供がどの角度からその出来事を見ているか?

果たして、本当にそこまで嫌なことだったのか?今思うとそんなことも考えたりする。


だって、当時は多くの先生から「教師に向いている」と言われいた影響で、教師になることが将来の夢になっていた。そして人前に立つことがたとえ嫌だとしても、「将来に役立つ経験」という捉え方もしていたはずだから。

苦手だと思っていたことを克服した時、子供は成長を感じるのだと思うでも苦手なことをさせ続ける事は、うつ病の原因になったり、その物事が嫌いになるといった大きなリスクがあると思う。

だからこそ言えるのが、

子供は全ての側面が見えていない。違う側面を見させてあげる意識が大切」だということだ。例え嫌な事であっても「ポジティブな側面を見させてあげること」が大人の役割なのかもしれない。


2. 責任を投げやりにしないこと

その先生は私に責任を与えて、一緒に問題を解決しようとしてくれた。当然わからない事、出来ないことの方が多かった。その中で先生が私の気づいていないことを助言し、最大限のサポートをして経験させてくれた。

そしてこの事は子供だけでなく、大人が生きていく上でも大切なことだと思う。責任から逃げ、なすりつけ合う悲しい文化が根強いこの国では、出来ない人が多いと感じる。

国のトップから、学校の保護者会、多くの会社など。想像すればいくらでも出てくる。。。

責任を「持たせる」と「取らせる」は違う。自分も介入し、一緒に創っていくことがあるべき上司・リーダーの姿だろう。

真実を知ろう!!


余談となるが、この大きなターニングポイントの真相を知りたくなり、その担任に当時の心境を聞いてみた。「何を意識していたのか?」「状況をどう感じてどんなアプローチを取ったのか?」

中学の私では絶対に見えていなかったものが多くあると思い、勇気を出して聞いてみた。


答えは意外にも、「お前たちの代はそこまで変えようとしてない」、「3.4.3の法則」といった回答だった。


「3.4.3の法則」とは、人材育成などの場面でよく使われる言葉で、「意欲的な3割」「どちらでもない4割」「意欲的ではない3割」を表したもので、「どちらでもない4割」はどちらにでもなるということ。7-3になる可能性もあるし、3-7になる可能性にもなるということ。その4割をどう扱うかによって組織の印象が変わるといったもの。

3-4-3の法則は何となく意識した。特に4の部分にクラスの中心となる生徒が多かったと言っていた。

それだけ。。?

私自身、180度変わった学生生活。でも、変えた当人はそこまで意識していないと言う。本当にたまたまなのか、それともその真意を話してくれないのか。。

見えてない部分も多いだろうから、そういった所を聞きたいんだけどなと思いながらそれ以上聞くことを諦めた。

そしてまた帰って、「ただ考えすぎていただけなのだろうか?」と思ったりもする。


次のVol.2では、中学時代のサッカーの話をしてみる。部活ではなく、クラブチームを選んだことによって生じた影響、私のポジション「GK」という特性、また、親との関わりといったところからもその影響を考えてみる。


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