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断章【00001】~【00005】

一三四
絵画とは、なんとむなしいものだろう。
原物には感心しないのに、それに似ているといって感心されるとは。

パスカル『パンセ』101ページ「第二章 神なき人間の惨めさ」より

例えば、パスカルはこんな事を言っている、
「本物は平凡で、誰も賞(ほ)めやしないが、
その本物を、いかにも本物らしく描くと賞められる、
画家とは、何んと空しい詰らぬ職業だろう」。

小林秀雄『近代絵画』7ページ「ボードレール」より

【00001】

ほとんど何もない(Almost Nothing)。
それはlessよりlessだろう。限りなく無に近い状態。
ほとんど何もないことの凄み。


【00002】

欧米で誕生した=発明されたアート、
そしてデュシャン以降の現代アート。
それはガラパゴス化した日本では受け入れらず、
欧米からしたら非アートの不思議な王国としか認識されないだろう。
そのほんのひと握りの作家のみが
欧米で現代アートとして評価されているのは、
そのためであると言って過言ではない。
そんな島国の中で自分は現代アートの究極化をめざした。
それが0.8mmの点による「ART=・」という作品群だ。
しかし究極化が過ぎて誰にも評価されず現在に至っている。
主な活動はネット空間のみである。


【00003】

そこには点だけがある。
そこには点しかない。
現代アートの究極化「ART=・」。

ほとんど何もない。
そこにあるのは点だけである。
それは現代アートをしか意味しないだろう。
それ以外の意味をほとんど持たないだろう。

0.8mmの・だけが存在し、
それは現代アートの究極化をしか意味しないだろう。


【00004】

何もないこと、何もしないこと、
それだけがアートの、 現代アートの理想ではないか、
そう信じていたのは20歳の頃だろうか。
多分きっと、それは、
ジョン・ケージの対話集『ジョン・ケージ 小鳥たちのために』の
影響以外の何ものでもない。
そこには禅があり老荘思想があり易経があり無があった。
そして、それは60歳を過ぎた現在でも
ほぼ変わってはいないような気がする。


【00005】

何もないこと、何もしないこと、その凄み。
藝術は限りなく無をめざし、限りなく無に至るのだ。
そして、そこには、何もないわけではなく、
たとえば、 0.8mmの・だけがある、
0.8mmの・しかない。
しかし、それは、究極の現代アートそのものなのだ。
そこにあるのは藝術の究極の姿である。




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